15



 未梨は玲芽が完全に眠ったのを確認し、すっと身を後ろに下げて彼の頭を膝の方に落とす。変な姿勢で眠っていては、身体のどこかを傷めるかも知れない。

 玲芽の寝顔を覗き込んでみる。

 いつも眉にシワを寄せて不機嫌そうな表情をしている玲芽だが、眠っている時は笑顔──‬とまではいかないがニュートラルな顔をしている。

 刺々しい雰囲気がないからか、眠っている時はいつもよりも幾分若く見える。というよりも、年齢よりも少し幼くすら見える程だ。


「……ふへへ」


 思わず変な笑い声が出る。今まで知らなかった部分を見られて、少し嬉しい気分になる。それに未梨は玲芽に『とても強い人』という認識をしていたが、こんなふうに歳相応な姿を見せられると庇護欲の様な何かが湧き上がってくる。

 ふと気付いて、玲芽の前髪を整える。先程の戦いで髪を乱され、目覚めた後も少しだけ顔の左側が見えていた。


 ──‬彼が隠しておきたいものなら隠しておかないと。


 その気持ちは未梨にだって理解できる。彼女にも隠しているものがある。


(この顔の痕は、錐川くんが言っていた言葉に関係してるのかな)


 玲芽は戦闘になる前、未梨に向けて自分は『人間』から進化した種であると言っていた。

 その時の彼は怒っていたが、どこか焦りの様な──‬或いは義務感の様な気持ちを抱いているように思えた。

 そして自分が魔獣に襲われた後。玲芽は何の迷いもない、強くまっすぐな視線で『人間』である自分を護ると言ってくれた。

 その顔に表情こそ無かったが、だからこそ嘘偽りのない言葉であると受け止められた。その誓いを守るためかどうかは判らないが、敵の魔術士にどれだけ傷つけられても限界を超えて護ろうとしてくれた。


 人を見下し嫌悪する、憎しみを持つ玲芽。

 自分より弱い者を護る、気高き優しさを持つ玲芽。


 ──‬一体どっちが、本当の錐川くんなんだろう?


「……わっ」


 考え事をしていると、突然着信音が鳴る。それは眠っている玲芽のスラックスから聞こえていた。


(取った方がいい、よね?)


「しつれいしまーす……」


 未梨は玲芽を起こさぬようゆったりとした動きで、玲芽のスラックスのポケットに手を伸ばす。何だか盗みを働いている様な気分で申し訳ない。


「はーい……」

『ん、楠瀬? 玲芽はどしたよ?』


 相手は勇武だ。慣れ親しんだ──‬というまで仲良くはないが、相手が知り合いで何よりだ。


「錐川くんは、ちょっと疲れきっちゃったみたいで寝てるの」

『寝てるぅ!? 玲芽が、人前で!?』

「おしずかに」


 驚愕の出来事で勇武が大声を出すが、それは玲芽にも聞こえるかも知れない。未梨はぴしゃりと電話越しの勇武に、人差し指を立てつつ注意する。


『す、すまん……。今まだ図書室か?』

「うん。暫く動けないかも」

『了解。そっち行くわ』


 それだけ言って、勇武は通話を切る。

 勇武はあまり間を置かずにやって来た。想定外だったのは、彼以外にもう一人。未梨の知っている人物がいた事だ。


「あー、ほんとに玲芽くん寝てるー……って、女の子の膝枕つきで寝てるぅ!?」

 そう言って室内へと走ってきたのは、黒髪の途轍もない美少女。

「た、立華先輩だ……」


 その少女、立華甘音は忙しく顔を動かして玲芽と未梨の顔を見比べていた。


「あ、あれ? はじめましてだよね? 私貴女みたいな可愛い子ならすぐ覚えるんだけどなー」


 玲芽が眠っている事と顔見知りですらない未梨に名前を呼ばれた事に驚き、首を上下させているようだった。


「立華先輩有名なんですよ? 私達のクラスにもファンがいますし」


 可愛い子と言われた気がするのは何かの間違いだとスルーして、未梨は自分が甘音の名を知っている理由を教える。


「わ、そうなんだ。ところで貴女のお名前は?」

「楠瀬未梨です。あ、錐川くん寝てるから静かにした方が……」


 名乗りつつ、未梨は口元に人差し指を持っていって甘音に向ける。


「ふふ、ごめんなさい。可愛いよね? 玲芽くんの寝顔」


 言って、甘音はその白い指で玲芽の輪郭をなぞる。そうしている彼女の表情は、悪戯っぽくもありながらどこか慈しむようでもある。


「ま、まあ……そうですね。いつもの不機嫌そうな皺がなくて、ちょっと幼い感じがして」


 自分の膝の上で眠る男子の事を話すのは恥ずかしいが、未梨は素直に思った事を甘音に話す。


「楠瀬ちゃんは、特に怪我はない?」


 甘音の興味は玲芽から未梨に移り、首を傾げて訊いてくる。


「あ、大丈夫です。一人になった時にまじゅう……? と接触しちゃいましたけど、その後は錐川くんが護ってくれましたから」

「ほほーう……? 玲芽くんが?」


 未梨が満たされた様に笑ってそう言うと、甘音は一瞬目を見開いた後すぐにニヤついていやらしい目つきになる。


「は、はい……。お陰で私は傷一つありませんよ。錐川くんは……この通りなんですけどね。私のせいで」


 玲芽は自分を護るために傷付き、背中に傷まで負った。未梨にはそんな思考が拭えずにいる。


「それは違うと思うよ。私はその時の玲芽くんを見てないから確証は持てないけど……多分違う。玲芽くんはそんなふうに他人のせいにしたりしない。自分の意志で戦って、傷ついたんだと思う」


 甘音はニコニコとした表情から真剣な顔になって、未梨の自責の念を拭い去るべく言葉を紡ぐ。


「そう、ですかね……?」

「多分ね。それに私達の仕事がそれだし」

「え、それってどういう……」


 未梨が甘音の発言に質問を投げようとしていると、ガシャーンとド派手な音が鳴る。


「勇武くんうるさーい。安眠妨害だぞー」


 どうやら勇武が、倒れた図書室のドアを直そうとしていたらしい。立てたドアを壁にぶつけて鳴った音のようだ。


「いや、無音でこの作業すんの無理があるっすよ……」

「ん……」


 甘音が勇武にクレームを入れていると、ドアの音に目を覚ました玲芽が小さく呟く。


「あー、やっぱり玲芽くん起きちゃったじゃーん」

「お、おはよう玲芽……」


 甘音の文句に勇武が言葉に困り、取り敢えず起床した玲芽に挨拶をする。


「おはよ……ええと、ええと……学校か」


 玲芽は身体を起こして周囲を見渡す。どうやらこの短時間に相当深く眠っていたらしく、眠る前の記憶に靄がかかっているようだ。


「おっす玲芽くん。楠瀬ちゃんの太ももは気持ち良かったかなあ?」


 まだ半目の玲芽の額を小突き、甘音はハラスメントめいた質問を投げかける。


「楠瀬の……あ、ありがとう、ございます」


 段々と思い出してきたのか、何故か敬語で礼を言ってくる玲芽。


(錐川くん寝惚けてる……そんなとこあるんだ)


 未梨が何か言う前に顔をぷいっと外方に向け、よろよろと立ち上がる。


「ちゃんと歩ける?」


 甘音も玲芽に付いて立ち上がりそう訊くが、玲芽は「大丈夫です、甘音さんは楠瀬を」とだけ言ってドアを直す勇武の方へと歩く。歩調も不確かというわけでもない当たり、本当に大丈夫なのだろう。

 玲芽は勇武の耳元で何かを話していた。小声で喋っていたので聞こえなかったが、勇武は何故か玲芽に向けてサムズアップで応えていた。


「どしたのー? 何の話ー?」


 甘音が素速く男子二人の方に移動し、話に割って入る。未梨も立ち上がって本日大活躍のリュックサックを背負って三人に近付く。


「い、いえ。特には何でも……」

「何でもないです。ないです」


 勇武も玲芽も露骨に目を逸らし、甘音の質問をいなそうと誤魔化す。玲芽に至っては二度に渡って否定している辺りが尚更怪しい。


「えぇ〜。仲間外れは寂しいなぁ。玲芽くぅん」


 甘音は玲芽の袖を掴み、甘えた声で玲芽を尋問する。甘音の方が身長が低いので、恐らく上目遣いにもなっている。


(こ、これは強力……!)


 甘音の蜜味尋問は特に男子には凶悪な威力を発するのだろう、玲芽はふるふると軽く震えて口元を結んでいる。


「い、言えません……」


 それでも玲芽は話そうとしない。何でもないから言えないに変わっているので尋問の効果はあるのだろうが、玲芽は何とか牙城を崩さずにいられた。


「むーん。仕方あるまい……」


 玲芽の鉄壁に、甘音は撤退を余儀なくされる。


「ところで、そいつ魔獣と接触したんで連れて行った方がいいと思います」

「ん、あーさっきそんな事言ってたね。万が一何か変な物身体に入ってたら大変だし、そうだね。連れて行こう」


 話題の方向性が突然変わり、未梨は三人の顔を見回す。確かによく判らない生き物と接触して大変な目には遭ったが、今現在彼女の身体に異常はない。


「楠瀬ちゃんこれから時間ある? 一応身体の検査をした方が良いんだけど」

「え、あ、私は大丈夫、ですよ……?」

「今は大丈夫でも、後から何か変な毒が効いてくるかも知れないのよ?」


 未梨の『大丈夫』に、甘音はムッと眉根を寄せてやんわりとお説教する。


「いや、時間は大丈夫って意味ですよ?」

「あ、はい」


 未梨は時間があるという意味合いで『大丈夫』と言ったのを、甘音は身体が大丈夫という受け取り方をしたらしい。

 すれ違いコントの様なやり取りにだんまりを決め込んでいた勇武がぷくくと笑い、最後にドアがちゃんと開閉するかを確かめる。


「オッケー。んじゃ行きますか」

「よーし。それじゃあ楠瀬ちゃんを、我等が秘密基地へと案内致しましょー」


 三人が校外へ向かい始めたのを見て、未梨もそれに追従する。


(秘密基地……ちょっとワクワクする……!)


 そんな少年的な思考に、未梨の足取りは疲労を忘れたかの様に軽やかになった。

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