14
*
「その罰は、私にしてください」
少しの間気を失っていた玲芽は、その言葉に頬を叩かれた様な感覚がして意識を取り戻した。
(クソ……身体が動かない……!)
あまりにも無茶な提案をした未梨を止めたい気持ちで山々だったが、気持ちだけで身体は動かせない。その提案に立ち上がって玲芽の身体から立ち上がる志乃を、止められない。
「貴女、何を言っているのか判るの?」
キィキィと板の床を踏み鳴らす音。志乃が自分から離れ、少しずつ未梨に近付いていく。
無言でコクリと頷く未梨。声を発せば他者に震えているのが伝わってしまうのだろう、彼女は柔らかそうな唇の下で歯を食い縛り、恐怖に耐えている。
「あの子には暗殺の依頼が出ている……そして、珍しい二色の魔核を有しているかも知れない。大きな魔核を物好きな奴等に売り捌いて生活している私達にとっては、あいつは恰好の餌なの。一方貴女はどこにでもいる普通の女の子。貴女を殺すメリットは私にはないわ。マガツメは兎も角、ただの人間を殺してしまえばマズい事にもなるしね」
(動け……動け動け動け! 動けよ玲芽! お前はあいつに約束しただろう!? 護るって! だったら、護れよ!! もうあいつに怪我の一つも、悲しい顔もさせないように……護れよ!!)
玲芽の必死な呼びかけに、指先がピクリと動く。そして少しずつではあるが、頭と身体が再び接続し始める。
「はぁ……。ここで戻ったら、私に噛みつきかねない顔ね。いいわ。殺すわけにもいかないし、死なない程度に痛い目に遭ってもらうわ」
身体を反転させ、うつ伏せになる。上下がいつもと一緒になった視界に写る情報を集め、自分のやるべき事を考える。
(二人の距離は近い)(篠崎が手を上にしている)(魔力が指先に集中している)(あの手を狙うのは危険)(狙うなら手首)(俺の身体は動かせない)(魔力は充分)(大丈夫。目だけはいつもより見える)
(護れる。俺は、護れるよ)
行動決定と意志の凝固。
指先の魔力と右目に神経を注ぎ、掲げた志乃の右手首だけを注視する。
「氷楔──ッ!」
創造したのは、針の様に細く小さな氷楔。大きな物では貫通して未梨に当たる可能性もある。
声を上げた玲芽に志乃は振り向く。だが手は挙げたまま。幸い、髪に覆われて塞がった視界では小さな氷楔が見えないらしい。
針を飛ばし、志乃の手首を貫く。いつもの氷楔よりも数段上手く放たれたその魔術は、彼の狙い通りに志乃の手首に命中し、突き刺さる。
「うぎ……っ! 何で、動ける……!?」
右手首を庇いながら膝を突き、玲芽の方に身体を向ける志乃。
「……!」
その背後で、未梨が背負っていたリュックサックを手に持ち、頭上に大きく振りかぶっていた。
(楠瀬、それより逃げ──いや。俺を見ているならあれが最善か? 反撃の危険はあるが、逃げ切る方が可能性は薄い……外に出ても魔獣はいるかも知れない。ならあいつを倒す方が安全)
思考を終え、黙って志乃を睨み続ける玲芽。このまま黙っていれば、未梨の一撃が志乃の意識を奪えるかも知れない。なら自分がすべきは、それが上手くいかなかった時のケア。
志乃を睨んだまま手足に意識を向ける。好調とはいえないが、彼の持つ切り札を使えば充分志乃が反撃する前に次の一手を打てる。
「やっ!」
「ぐあっ!?」
リュックが志乃の脳天にブチ当たる。教科書を入れているのだろう、ゴツっと鈍い音がして志乃の不意を突く。
玲芽は素速く立ち上がり、未梨の手を取って志乃から引き剥がす。再び出入口の方まで戻り、彼女を庇う様にして自分の背後に回らせる。
「錐川くん、動いて大丈夫?」
「問題ない。しかし、お前凄いな……魔術士相手に物理攻撃で対抗しないぞ普通」
玲芽は未梨が傍にいる事を無自覚に喜び、少し饒舌になる。
「い、いやあ。自分でも無茶したと思うよ。でも何だか、身体が勝手に……」
未梨はそう言って照れ隠しに丸い頬を掻く。
玲芽は話しながらも志乃をよく観察し、動く気配がない事を確認する。
「しかしな、あんまり無茶な事は──あ」
言葉が止まる。数瞬志乃から視線を切って未梨の方を見たその刹那。視界にうっすらと見た事もない人の姿が見えた。
咄嗟に未梨を抱き寄せ、出入口の方にいたその影と未梨の間に自身が来るよう位置を調整する。
──背中に熱い痛み。恐らく斬られた。この痛みは、幾百幾千と経験してきたそれだ。
不意を撃つ痛みの中でも、玲芽の思考はクリアだった。その冷静さは彼の経験から来るものだ。
首を忙しなく回して、情報を集める。
(背後から大男)(あいつに斬られた)(いつの間にか楠瀬の服に血がついている)(あの大男の方から床に血)(多分俺に血を浴びせて魔術にした)(手練れだな)(篠崎はまだ寝ている)(使えるか?)(楠瀬ももう人質に取られた)(やるしかない)
背中の傷はひとまず放置して、玲芽は未梨に一言「すまない」と謝罪し彼女の身体を離す。
そして流れる様に奥で気を失っている志乃の方まで駆け寄り、掌を彼女の方に向ける。
「こいつの仲間だろう?」
玲芽は掌に魔力を集めながら、やって来た大男──大地に呼びかける。
「ああ、そうだが。つまり俺もお前を殺しに来たわけだが」
(斬られている……という事は、甘音さんと戦ってここまで来た……?)
大地は肩から腹にかけて大きな傷口を開けている。恐らく甘音と戦闘したのだろうと考えて、玲芽はそれでも尚彼がここにいる理由を問う。
「お前、ここに来る前に戦ったんだろ。恐らく女性と」
「そうだな。そいつは今、どうなっているだろうな?」
巨躯に似合わぬいやらしい笑みを浮かべ、大地がそう含みを持たせた発言をする。
「貴様……ッ!」
玲芽は一瞬怒りに身を任せて大地へと攻撃しようとするが、彼の横で立ち尽くす未梨を見て冷静になる。
「今はいい……とにかく人質交換だ。こいつは見逃してやるから、お前もこれ以上何もせずに帰れ」
玲芽は氷の剣を創造し、その切先を志乃に向ける。
「俺は人質など取っていないが? この子はお前がここにむざむざ置いただけだろう?」
「血液には魔力を含まれている。お前はそれを彼女に付着させているだろう。俺にしてみせた様に、その子を傷つける事も可能なはずだ」
とぼける大地を強く睨み、事実を突きつける玲芽。
未梨の体操着の背中には、少量ではあるが血液が付着している。恐らく大地の身体から溢れ出ている物と同じであろうその血には、彼の魔力が多量に混ざっているはず。
「……ふふ。慣れない事はするものではないな。判った。お前の言った条件を呑もう。俺はその子にもお前にも手を出さない。だからそいつから離れろ」
ふうっと大きく息を吐き、大地は諦めた様に笑って両手を挙げる。
玲芽は暫し大地の目を見つめ、嘘はついていないと察したのかゆっくりと志乃から離れる。
志乃を担ぎ上げる大地を見ながら、出入口で立ち尽くしている未梨の方に移動する。
「よっしゃあ玲芽! 助けに来たぜ!!」
そこでやたらにうるさい声が廊下から響いてくる。
「おっせえよ、勇武」
玲芽は全てが終わりかけてようやくやって来た増援に、そうジトっとした目で悪態を吐く。
「わ、わりい。魔獣に手こずった。んで、何でそいつ捕まえないんだ?」
「人質交換が成立した。──そうだ。こいつ等が外に出るまで見張ってくれないか? 楠瀬にそいつの血がついている」
勇武はいまいち状況が見えていないらしくその眉間に珍しくシワを寄せるが、取り敢えず頷いて大地の後ろにつく。
勇武と大地、そして気を失った志乃が図書室から去り、室内は再び二人きりになる。
「終わった……の?」
未梨がそう呟く。脅威が目の前から去って恐怖が追いついて来たのか、途端に脚を竦ませる。
「まだ油断はできないが……あの男なら約束は守るはずだ。安心してもいい、と思う」
確証は持てないが、あのゴツい方の魔術士は妄りに不義理な事をしない印象を受けた。それに志乃が言っていたように、魔術士でない未梨を傷つける事は彼等としてもメリットはない。
「ふわぁ……」
確定はしていないが安心してもいいと言われた未梨は、その場にするするとへたり込む。いつも穿いているタイツは濡れてしまったため裸足なのだが、その感覚に慣れていないのか「ゆかがつめたい」などと魔術全然関係ない感想を漏らす。
「…………」
玲芽はそんな未梨の脚部を見つめ、何かを忘れているような気がしてこれまでを省みる。
未梨は下こそ体操着のショートパンツだが、上は濡れていなかったのかワイシャツのままだ。
「き、錐川くん。あんまり見ないで。恥ずかしいよ……」
玲芽の視線に気付き、合わせた太ももの内側をもじもじと擦る未梨。
「あ、いや。すまん」
指摘された玲芽は未梨から視線を逸らし、思い出してスマートフォンを私有圏から取り出す。
チャットアプリを開いて勇武にメッセージを送信し、ポケットに入れる。
(そういや、さっき背中やられたんだっけ。痛い)
玲芽は首を捻って懸命に背中を確認しようとする。流石に目に入れるのは無理があったが、ケープが縦に破れている。
(切り口からして、そんなに深くはなさそうだな。服が破れたのはムカつくけど)
「あ、あれ」
姿勢を戻そうとして、足元がふらつく。無理な形になった影響ではないらしく、膝が笑っている。
ふらふらと一歩二歩転ぶまいと足を前に出すが、遂に膝から身体を崩す。
「きりか、わ、くん──!? わぶっ」
座っていた未梨に、覆い被さる様にして転んでしまう。未梨は倒れてきた大きくも細い玲芽の身体を受け止め「大丈夫?」と耳元で囁く。
「悪い……ちょっと限界らしい」
玲芽は正直に自分の状態を告白する。
「椅子座る?」
「いや、申し訳ないがもう完全に脚が動かない。というかもう……意識も限界だ」
限界である事を正直に話し、うつらうつらと閉じようとする目蓋を開ける。
未梨は正直な玲芽に薄く笑い、彼の後頭部に手を回してその白い髪を優しく撫でる。
「そっか。じゃあ、寝てていいよ」
「ん、ああ……。悪い」
その言葉に甘え、幕を閉じようとする目蓋への抵抗を辞めて視界を黒く染める。
「おやすみ、錐川くん」
意識が薄れる中聞いた優しい言葉に、玲芽はかつての日々を思い出しながら眠りについた。
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