(速えよ……もう接触してるのか!)


 玲芽が図書室から出てすぐに、未梨の姿は見つかった。渡り廊下の向こう、南校舎に入ってすぐの場所。

 だが未梨の背後には魔獣が一体。そいつの両腕は未梨を捕らえており、彼女を喰わんと顔面の口を大きく開いている。

 玲芽の脚は主人の命令を待たずに動き出す。急げ、動け、彼女を守れと走り出す。


(ここからだと重なる様な形になっている)(時間はない)(近接攻撃じゃなくて遠距離攻撃の技)(デカいから狙い撃てば楠瀬には当たらない)(頭が出てる)(肩幅も一回りデカい)(あそこなら狙える)(俺の一番得意な技なら──)



(──今の俺なら)



 状況確認から行動の決定までをほぼ同時に終えて、玲芽は走り出した三歩目で魔力を魔術に変換する。


氷楔ひょうせつ──‬!」


 玲芽の周囲に氷の楔が創られる。円錐状の氷柱とも言える鋭いそれ等を創り、玲芽は全神経を右目に集中させる。


「貫け!」


 叫びと同時に楔が飛ぶ。空を裂いて主より速く走る氷楔が、玲芽の狙い通り魔獣の顔面と両肩に直撃する。


『コヒュウゥゥゥゥゥゥ…………』


 魔獣の口は後頭部まで貫通し、空気が狭い穴を抜ける様な音を立てる。肩が落ちて未梨を捕まえていた両腕が解かれる。


「あっ、ちょ……」


(そりゃそうだ。引き剥がしたんだからあいつは放される)


 未梨に追いつき、床に勢いよく落ちかけた少女の肢体を走りながら抱える。上半身を両腕で支え、減速しながら数歩横に進んだ先の壁際にゆったりと寝かせ、まだ息のある魔獣の方を睨む。

 脚がふらついていたが、戦意は削がれていないようだ。

 玲芽は氷の剣を創造し、その手に握る。魔獣の姿勢が整う前に肉薄し、袈裟斬りにする。深く斬りつけた箇所から煙が立ち昇り、魔獣は転倒と共にその身を霧散させる。


「ふぅ……くはっ」


 ビリッと光が走るかの様な頭痛に頭を押さえる。見開いていた目をいつも通りに戻して、次やるべき事──‬倒れた楠瀬未梨の方に目を向ける。

 屈み込み、未梨の細い首に手を当てる。


(脈はあるし呼吸もしている。口中にあいつの体液が入っているはずだが……あのタイプの魔獣は低い体温で液状を保っているから、人体に入ったら気化する。気管とかの問題はない、はず。多分、きっと)


 玲芽は未梨の身体を観察し、怪我がないかを確かめる。顔の方から横に流していた目線が、スカートの辺りで止まる。

 スカートとタイツが部分的に濡れていた。


(そういやこいつさっき、トイレ行くって言ってたな……あの魔獣の体液は筋肉弛緩の効果があったよな。つまり……これは、そういう事か)


「うわ」


 先程未梨の状態を知らなかったとはいえ、抱きかかえてしまった。未梨の『やらかし』は仕方ない事と割り切れるし怒りなど一ミリたりとも湧かない。だがそれはそれとして、ばっちいものはばっちい。

 玲芽は自分の魔術で放水して手を洗い、ハンカチを取り出して拭く。


(こいつが気絶している内に、着替えとくか……)


 思い立って、玲芽はどこからともなく着替えの服を取り出した。


「……よし」


 玲芽は手早く着替えを済ませる。蒼い九分丈のシャツに灰色のスキニーなパンツ。シャツの上に白いケープを羽織って黒い手袋をつける。更なる戦闘に備えて上履きのスリッパからスニーカーに履き替える。


(前髪……はこのままでいいか)


「ん……」


 近くから声がする。未梨が目覚めたようだ。


「気付いたか……?」

「あれ、きりかわくん」


 玲芽は薄く目を開けた未梨に寄り、膝を突いて屈む。


「しばらくはちゃんと身体が動かないと思うから、まだもうちょっと寝転んでおいた方がいい」


 例の魔獣の筋弛緩毒は、即効性はあるが効果時間は短い。だが魔術的物質に耐性のない未梨は、動けるまでまだ二分程度かかるだろうと玲芽は推測する。


「うん……」


 未梨から少し離れ、玲芽は壁にもたれて手を閉じたり開いたりして手袋を馴染ませる。


「そのふく……どうしたの?」


 まだ回りきらない舌でそう訊いてくる。


私有圏しゆうけんの魔術といってな、何と言うかこう……自分だけの倉庫に物を置いておけるんだ。そこから取り出した」


 私有圏の魔術。厳密には自分の心象風景を仮想空間として『自分の中に在るモノ』として展開し、そこに無機物を収納しておける魔術の初歩だ。


「すごいね……。そのふくも、にあってるよ」

「え? ああ……どうも」


 突然服装を褒められ、少し慌てて礼を言う。

 未梨の調子が戻り始めたのか、身体をゆっくりと起こして階段に座る。


「歩けるまでは、もう少しかかるか?」

「そうだね、まだちょっと脚は震えて……あれ? 何だか太ももの辺りが冷たいような……っ!」


 未梨が異変に気付いて、自分のスカートを指先でちょんと触る。その高い湿度で彼女は全てを察したのか、一気に顔の温度を上げて目に涙を溜める。


「……あ、いや、その……」


 玲芽は俯いた未梨に声をかけようとするが、上手い言葉が思い浮かばない。他者とのコミュニケーションを可能な限り絶ってきた影響だろうか。


「えへへ……ごめんね。私こんなので」


 へなへなと力のない笑い声を上げて、未梨が玲芽に謝罪する。

 玲芽は反射的に未梨の前に三度膝を突き、彼女の赤い顔を覗き込む。


「ごめん、今顔見られたく──‬「うるさい。今から俺が喋る」


 玲芽は顔を背けようとする未梨の言葉に、上からはたき落とす様に被せて言う。


(俺は……何をしてるんだろう。こいつが何を思い何をしようが、俺には関係のない事なのに)


 先程脚が勝手に未梨の方へと走り出した時と同じ様に、玲芽は頭と行動言動が一致しない状況にあった。

 言葉は勝手に選ばれ、口が一人でに動き出す。


「さっきの魔獣──‬あの怪物が出していたのは、身体の筋肉を緩める毒だ。だから、その……さっきお前は身体の力を強制的に抜かれてこうなったんだ。だから、つまり……仕方ないんだ。別にお前だからこうなったとかじゃない」


 未梨の目をまっすぐに見つめて、玲芽は励ます。だが肝心の未梨はまだ涙目のまま。それもまた仕方ない事だ。結果としてやったものはやった。未梨はその結果を恥じているのだから。


(まだだ。まだこいつは悲しい顔をしたまま。これじゃ足りない)


 いつの間にか本能に引っ張られ、玲芽は懸命に未梨を元気にするための言葉を必死になって考える。


「その、すまない。謝るべきは俺だ」

「え、き、きり錐川くん!?」


 頭を下げる玲芽に、意外そうな反応をする未梨。もう身体は自由に動くようだ。


「そもそも俺があの時怒鳴ったりしなければ、お前は孤立する事はなかったのかも知れない。俺がもっと早く異常事態に気付いていれば、あの魔獣に捕まる事もなかったのかも知れない……だから、俺のせいだ」

「そ、そんな……錐川くんが悪いわけじゃ」


 未梨の制止も無視して、玲芽は彼女の手を両手で包み込む様に握って謝罪の次に語るべき言葉を紡ぐ。


「だがまだ異常な状態のままだ。だから次は、お前がそんな顔をしなくていいように……俺がお前を護るよ」


 しっかりと目を合わせ、玲芽はそう強く誓う。

 未梨は玲芽の強い言葉に口元を波立たせ、ふるふると目の涙を振り払って頷く。


「うん。錐川くん、私の傍にいて……護ってね」


 そう微笑む。恥じらいは消えたが、まだ少しだけ顔が赤い。


(あれ……なんだろ。こいつの笑った顔を見てると、背中の力が抜ける)


 二人は暫し見つめ合い、ふと恥ずかしくなって玲芽の方から離れる。

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