帰りのホームルームが終わり、放課後になる。学校という義務から解放された学生達は、牢獄の様な箱から我先にと飛び出していく。

 玲芽は数分してある程度人が捌けたのを確認して、帰路へ向かうため立ち上がる。

 外へと向かう玲芽の背中を、細い物がつついた。シャツ越しの小さな衝撃に振り向くと、どこか悪戯っぽい笑顔で見上げてくる未梨がいた。


「またお前か……。今度は何だ?」


 朝、体育終わり、そして放課後の今と。今日で三度目になる未梨との対面。いい加減嫌になりそうなそのコンタクトに、玲芽は隠す気もない声色で訊く。


「錐川くん、何か忘れてない?」


 玲芽の高い背丈と低い声に臆す事なく、未梨は低い身長と高い声で質問を質問で返す。

 その言葉に目を細めつつ思い出そうと思案するが、やはり覚えがない。


「今日金曜日だよ? なら何かあるんじゃない?」

「あー……」


 未梨に言われて思い出す。週に一度の罰掃除だ。

 玲芽は基本的に体育には参加しない。彼を避けるクラスメイトと団体行動を伴う体育の授業は、玲芽には難しい。

 だがただ見学するだけでは合格の印は押してもらえない。その補填をするため、玲芽は週に一度の清掃と月に一度のレポート提出を課せられている。金曜日はその清掃の日だ。

 罰掃除は体育を一定回数見学した者にも課せられる。未梨は今週体育を見学していたため、一緒に清掃する事になったらしい。


「嫌な事を思い出したような顔だね?」

「嫌な事を思い出したんだよ実際に」


 得意げな表情で玲芽の思考を読み当てた未梨に、少し腹が立った玲芽は思わずおうむ返し気味の返答をしてしまう。


「ふふ。今日は図書室だって。行こ」


 その返しが面白かったのか、未梨は口に手を当てて笑い玲芽の前を歩き出す。

 綾崎南は北校舎と南校舎の二つがあり、クラス教室は全て南校舎に固まっている。美術室や音楽室といった特殊な教室が北校舎にあり、図書室もそちらに存在している。

 南校舎の階段を降りる最中、校内放送が鳴る。


『田中先生、職員室までおこしくださぁい」


 どこか間の抜けた声色の放送を聞き流し、二人は三階に降りる。

 だが未梨の様子がおかしかった。これ以上階を降りなくてもいいにも関わらず、彼女の身体は階段の方を向いていた。


(……面倒だな)


「おい、楠瀬」


 階段が近くまだ生徒の残る校内だ。大声を上げて様子を見に来られるのも面倒だし、肩を叩けば驚いて階段から落ちてしまう可能性も未梨ならある。

 玲芽は未梨に近付き、両手で肩を掴んで小声でそう声をかける。


「ひょっ」


 未梨は素っ頓狂な声を上げてビクッと身体を跳ねさせる。階段を降りかけていた未梨は驚いて大勢を崩し、案の定階段から落ちかける。

 玲芽は未梨を自分の方に引き寄せて「予想通りかよ……」とぼやきつつ彼女から手を離す。


「あ、あれ? 私何で二階まで降りようとしてたんだろ……?」


 未梨は慌てながらそう苦笑する。そんな少女に玲芽は溜息を吐き「行くぞ」と渡り廊下、その向こうの北校舎の方に足を向ける。


「さっきはありがとね。声をかけてくれただけじゃなくて、階段から落ちそうなのを助けてくれるなんて」


 玲芽の左隣に回った未梨が、先程の礼を言う。玲芽には彼女の表情は見えないが、恐らくいつものように力の抜けた笑顔をしているのだろう。


「どうせ、お前ならやらかすだろうと思っただけだ」

「しつれいだなぁ。私ってそんなにドジに見える?」


 玲芽の返答にぷんぷんと頬を膨らませる未梨。


「見えるんじゃなくて、鈍臭いだろ実際に」


 玲芽は思わず滑らかな受け答えをしてしまう。他の人間とは一定の距離を置けているのだが、どうしても未梨を相手にすると自分の素が出てしまっている気がする。


「……ふふ。そうだね。私ってば、ドジだね……」


 不機嫌な様子から一変して笑い声を上げる未梨。それが気になった玲芽は首を向けて彼女の方を見る。

 未梨は実際に笑っていた。いつもの柔らかな笑顔のようだったが、少し懐かしむ様な優しさが窺えた。

 その笑顔が眩しくて、目を逸らす。


「……変なやつ」


 そう吐き捨てて、歩調を早める。

 図書室にはその後すぐに到着した。

 中はがらんどうだった。木の様な匂いが僅かに香る室内は静かなものだ。古い床をキィキィ鳴らして出入口からは死角になっている場所も確認するが、やはり誰もいない。


「司書室にもいなかったよ。変だね?」


 別室を確認してきた未梨がそう報告する。確かに変だ。司書が生徒の増える放課後に席を外すのはおかしい。


「鞄もあったからすぐに戻ってくるとは思うんだけど……」

「先に始めておくか?」


 玲芽の提案に、未梨は頬に指を当てて「うぅん……」と唸る。


「でも戻るまでに掃除終わって、先にやっときました! って報告しても説得力が……」

「あぁ……まあ、確かに」


 司書が戻るまでに掃除を終えたとして、予め掃除をやっておいたと報告してもサボりを疑われかねない。掃除をしている姿はしっかりと見てもらった方がいい。


「じゃ、待ってようよ」


 言って、未梨が席の一つに座る。何の気無しに玲芽は彼女の向かい側に座り、適当な本棚に視線をやる。

 本を読まない玲芽にとってこの部屋は退屈であったが、それは未梨も同じらしく本を取って時間を潰す、といった事はする気配もない。


「ふへへ……」


 と、不意にそんな笑い声が聞こえてくる。声の主人は判りきっているので、目の前の女生徒に向けて「何だよ」と気怠そうに訊く。そんな態度だが玲芽も退屈なのだろう。


「いやぁ、今日はやけに錐川くんと一緒にいるな〜、って」

「確かに……もううんざりなんだが」


 未梨の言葉に、玲芽は悪態を吐く。そんな玲芽に未梨は「もー」と牛みたいな声を上げてぷくっと頬を膨らませる。


「そういうとこだよ錐川くん」

「は? 何がだよ」


 何か説教が始まりそうな雰囲気を察して、玲芽は嫌そうに口元を歪めて返答する。


「その口の悪いところ。ついでに嫌そうな時だけやたら顔に出るところ。もうちょっとおじょうひんな口調を心がければ、錐川くんの良さがもっと出るのになーって」

「何だそれ……」


 何か玲芽にはよく判らない事を話す未梨。呆れた玲芽に伝えるべく、未梨は言葉を選ぶ。

 しかしどのような言葉で飾ろうと彼女の言いたい事に変わりはなく、その『言いたい事』こそが──


「こう、もっとトゲトゲしさがなくなれば、もしかしたら錐川くんはみんなと馴染めるんじゃないかなって思ったの」


 ──‬逆撫でる。


 玲芽は未梨が何気なく放ったその言葉に眉をピクリと動かし、能面の様な無表情にひびを入れる。

 未梨も玲芽の様子が変わったのを何となく察したのか、肩を縮こませて瞬きを多くする。


「おい……今のはどういう意味だ?」

「どういう意味って、そのままの意味……だよ?」


 玲芽の変貌に萎縮しながらも、未梨はハッキリと自分の意思を伝える。

 玲芽はどんどん表情を怒りに染め上げていく。歯を食い縛り、赤い目はより鋭さを増す。

 それに反比例して未梨は身を竦ませるが、それでも一向に玲芽から目を離そうとしない。

 有り余る怒りのやり場を体外に求めた玲芽は、バンッと両手で机を叩いて立ち上がる。


「お前は俺があんな奴等と馴れ合いたいように見えたか!?」


 玲芽が沸騰した様に怒り、未梨の頭に怒声を浴びせる。それを聞いて一層気圧された未梨は、両手で耳を塞いで「うぅ……」と身体を丸くする。


「くっ……」


 そんな弱った子犬の様な未梨の姿を見て、玲芽は一瞬感情が鈍ってしまう。


(引くな……『人間』相手に、優しくする必要なんてないんだ……!)


 玲芽は鈍った心に砥石をかけ、鋭利にして縮こまる未梨を睨む。


「気に入らないんだよ……そうやって集団で馴れ合って、強くなったような気でいるお前等『人間』が……!」

「人間って……錐川くんだって人間でしょ?」


 萎縮しながらも、怒りを見せる玲芽を見上げて思った事を言ってみせる未梨。


「違うな……。俺はお前達『人間』よりも進化した存在だ。この髪と目がその証だ」


 言って、玲芽はその赤い右目で未梨を見下す。


「それって……」

「これは大きな、優秀な魔核を保有しているという証明。常人には使えぬ力を持つ証拠だ!」

「それが人間じゃない証拠なわけじゃないでしょ! 私にだって他の人達にだって魔核はあるよ!」


 未梨が立ち上がり、声を張り上げて反論する。目には涙を溜めている上、手も声も震えている。

 それでも噛みついた効果はあったらしく、玲芽はギョッと目を見開く。まさかそんな勢いで反論されるとは思っていなかったようだ。


「違う……! 俺の魔核とお前等の物じゃサイズが違う。それは排出する魔力量の差に直結する! 魔力の多寡は即ち力の差! それが俺とお前達の優劣を物語っているんだよ!!」


 未梨に負けじと声を張り、玲芽は自分の編み出した理論を振りかざす。


「力があるから優秀とかそんなんじゃないでしょ!」


 未梨は玲芽の論に対して、的確に切り返す。


「違う……違う違う! 俺は……お前達よりも優れているんだよ……! だから俺にはお前達を淘汰する権利があり、だから俺にはこんな……ッ!」


 最早玲芽の言葉に理はなく、ただただ感情を振り回すだけだ。その表情を怒りに染めている事に変わりはないが、目は迷っている。


「錐川くん……?」


 その迷いを目敏く見極めた未梨は、首を傾けて玲芽の表情を観察する。


「クソ……、もういい……」


 玲芽は一気に力が抜けた様に座り込み、右手で顔を覆う。歯を食い縛りながら頻りに「クソ……何故だ」と呟いている。


「わ、私お手洗い行ってくるから……」


 未梨は速足で図書室から退室する。気不味さからか、はたまた今は一人にしておいた方が良いと判断したのか。

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