昇降口で甘音と別れ、自分のクラス教室がある四階まで上がる。だが玲芽の足はクラス教室ではなく、奥の方にある空き教室の前で止まる。

 綾崎南高校は創立から何十年と経ち、相応に校舎も古い。当時は随分と生徒がいたらしく、教室は多い。

 だが十数年前、近くに私立の高校が立ち入学する生徒が割れてしまった。そのため教室のほぼ半数が使っていない空室になっている。

 勿論部屋の鍵は閉まっている。だが玲芽には策があった。まるで本当に鍵を持っているかの様に、玲芽は軽く握った手を鍵穴に近付けてくるりと手首を回す。

 すると教室のドアは玲芽を迎え入れる様に開く。

 空き教室に足を踏み入れた玲芽は後ろ手に鍵を閉め、教卓にショルダーバッグを置く。教壇に腰掛け、一つ長い息を吐いて目を瞑る。


 ──‬自分の体内に意識を向け、己に流れる『力』の感覚を掴み取る。血液と共に身体を流れ、全身に満ちていくその力の名は『魔力』。

 魔核と呼ばれる内臓から供給される魔力は、常人には起こせぬ術を行使するためのエネルギー源になる。


「フッ──‬」


 右手に滞留した魔力を使い、その術を発動する。

 その魔力は『魔術』となり、玲芽の想像した物とまったく同じ形で実体を獲得する。

 彼の右手には、氷で作った花が握られていた。先端が緩やかな曲線を描いた花弁を持つ、紫苑という小さな花だ。花弁や葯は無論、茎まで精巧に創られている。色が無い事以外は、本物の花と遜色ない。

 透明なその花を少し弄ぶ。融ける事なくその形を保ち続ける花をじっと見つめた後、玲芽は容赦なく手折る。


 渇いた右手にまた魔力を集め、氷の魔術を再行使する。今度創り出す物は花の様に美しいだけの物ではない。

 次の瞬間に玲芽の手に握られていたのは、鋭い短刀だった。刃渡りは十センチメートルもない、透き通った刃を持つ短刀。

 透き通ったその全身からは氷花とはまた違った芸術性を感じられるが、精巧なそれとは違いやや形に歪さが残る。表面に汗をかく様に水滴が張りついている事から、創りの稚拙さが伺える。

 短刀は玲芽が何をするでもなくその身を融かしていく。右手がじっとりと冷たい水に濡れる。


(上手くいかないな……サイズの問題か?)


 玲芽は目立たぬように早くから登校しているが、校内で時間を潰せる趣味はない。しかしこの時間を有効に使いたいと思い、空き教室で魔術の修練を行っていた。

 しかし成果は芳しくない。花は上手く創れるが、短刀や剣といった刃物は不器用な出来になってしまう。


 その後の数十分も玲芽は魔術による武器創りを行っていたが、やはり大した出来の物は創れなかった。


(今日も進歩はナシ……。まあ、たった数十分で目に見える程上手くなれたら、苦労はしないか。だが何というか、コツを掴むくらいの事は……)


 そう魔術的成長について考えていると、ドアのガラス窓から玲芽の方を覗き込んでいる女生徒がいる事に気付く。


(あいつか……)


 玲芽は丁度いい時間だと立ち上がり、バッグを持って教室のドアに向かう。接近する玲芽に気付くと、外の少女がパッと表情を明るくして手を振ってくる。


「おはよう錐川くん。今日もここで何かしてたの?」


 教室を出た玲芽の顔を見上げ、女生徒は丸い目でそう訊く。教室と廊下の間には段差があるため、身長差が際立つ。


「何でもねぇよ……」


 女生徒の名は楠瀬くすのせ未梨みのり。玲芽と同じ学年のクラスメイトだ。

 琥珀色の髪をショートボブにした、少し丸い輪郭の少女だ。輪郭と同じく目も丸っこく、髪と同色の瞳は柔らかな光を湛えている。肌の露出を嫌っているのか、甘音とは違いスカートを膝下まで伸ばし、五月だというのに黒いタイツで脚部を覆っている。


(今日も……)


 彼女に気掛かりな事があるのか、玲芽は薄青いワイシャツに覆われた未梨の身体を見ながら思案する。


「どうしたの?」

「いや……」


 視線に気付いた未梨はそう訊くが、何も答えず玲芽はクラス教室に向かおうと歩き出す。


「相変わらず何も答えてくれないなあ錐川くんは」


 後ろから話しかけてくる未梨を無視して歩き続ける。未梨は負けじと「おーい錐川くーん」「錐川どの〜?」「返事が聞こえないぞぉ〜?」と左右から声をかけ続ける。


「あ、後ろ髪切ったんだね。怪しいおじさんみたいだったもんね〜」

「うるせぇよ……」


 怪しいおじさんという表現は流石に聞き捨てならなかったのか、玲芽は根負けして未梨に返答する。

 粘り勝った未梨はニコニコと笑って玲芽の左隣を歩く。未梨の身長は女子としては平均程度だが、玲芽が高いため彼女は見上げっぱなしだ。


「えへへ、ごめんごめん。でも前髪とかも切ればよかったのに。もっと短い方が似合うと思うよ?」

「こっちにも事情があるんだよ……」


 未梨が訊くと、玲芽は渋々といった様子で答える。その答に未梨が突っ込んだ質問をしようと「事情……」と口を開くと、突然「未梨ッ!」という稲妻の様な呼び声が廊下に響き渡る。

 彼等二人の前に、黒髪をツインテールにした女生徒が腕を組んで立っていた。


「あ、あっちゃん。おはよー……」


 未梨が女生徒に気不味そうな口調と表情で手を振る。大股で接近してきた女生徒が「そんな奴と関わるなって言ったでしょ!!」と言いながら未梨の手を強引に掴み、玲芽の方を見て舌打ちを吐き捨てて教室の方に歩いていく。


「き、錐川くん。またね!」


 女生徒に引っ張られながら、未梨は玲芽に別れの挨拶をする。


「……フン」


 玲芽は鼻を鳴らし、一抹の寂しさから目を逸らして足を進める。行き先は彼女達と同じ教室だ。


(お前が変わっているだけだ。あの女の反応は至って普通なんだよ、楠瀬)


 ガラリと教室のドアを開け、室内に入る。一瞬室内にいた生徒が数人玲芽の方に目をやるが、彼等はすぐに視線を逸らす。

 ──‬玲芽は他者から避けられる傾向にある。

 それは玲芽の愛想の悪さから来ている、というわけではない。彼の一風変わった髪と目がその一因にはなっている。

 玲芽は窓際にある自分の座席に座り、すぐ隣で女生徒から説教されている未梨を顔を向けないまま見ていると、背後から潜めた声で話しかけてくる。


「相変わらず小崎はキレッキレだなあ」


 背後の男子生徒は九澄勇武くずみいさむ。玲芽のクラスメイトであり旧知の仲だ。

 ツンツンに立てたベージュに近い茶髪と、男子としては低い身長が特徴的な男子だ。整った顔立ちやその明るい性格からクラスにも友人が多い。


「さっき楠瀬が俺に付き纏ってたからな……」

「なるほどね……」


 それで勇武は全てを察した様に呟く。小崎と呼ばれた女生徒の玲芽嫌いっぷりはクラス内でも有名だ。あの声量でいつも怒るのだから無理もない話だ。


「しかし楠瀬良い子だよな。目立たないけど可愛いし」


 そんな勇武の言葉を聞きつつ未梨の方を見ていると、にひひと少しばかり口元が緩むのが確認できた。


(あいつ、聞こえてるのか……?)


「世間知らずなだけだろ」


 玲芽がそう返すと、未梨は少しだけムッと目を細める。距離が遠くないとはいえひそひそと話しているのに、よく聞こえるものだ。


(あいつ耳良いんだな)


「いや、優しいって線もあるだろ?」

「知っててやってるんならただのアホだろ」


 ただのアホという言い方には不満だったのか、未梨はイーッと歯を出して威嚇する。その露骨な変化には勇武も気付いたのか「何なん、お前等仲良いの?」と訊いてくる。


「そんなわけない。お前だって知ってるだろ」


 玲芽は色恋の話でも始めそうなテンションの勇武に、水をかける様に冷たく返す。


「それもそうか」


 少し残念そうに、しかし努めて明るくそう言って勇武は会話を終える。

 丁度そのタイミングで、始業のチャイムが鳴り響いた。

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