シンパティック・シンフォニア~新米魔術士の少年が様々な人と出逢い共感し、少しずつ強くなる物語~

依静月恭介

1 歪な少年


 目を、覚ます。

 五月になり気温も少しずつ『暖かい』から『暑い』に変じようとしているが、未だ睡眠に適した陽気からは脱さない。

 そんな温かな朝に屈しかけていた目蓋をカッと開き、少年は起きろ起きろと自分の身体に命令する。

 微睡への誘いに何とか勝利したその少年は、上体を起こし暗幕の様に視界を遮る前髪を掻き上げてベッドから旅立つ。


 自室を出て向かいの洗面所に入り、洗顔用のカチューシャで前髪を留めて顔を洗う。冷水を顔面に浴びてようやく意識がはっきりとし始める。

 洗顔、歯磨きと終えて髪をとく。別段髪型に拘りがあるというわけではないのだが、最低限の身嗜みと、どうしても隠したい場所が少年の顔にはある。

 鏡を見て、自分の前髪でしっかりと顔の左半分が隠れているか確認する。彼の隠したい物はそこにある。


 その少年──‬きりかわれいの相貌を端的に表現するなら、中性的な美男子という言葉が適当だろう。

 冷たく鋭い赤の瞳、高くこじんまりとした鼻。薄い唇に細い顎。真っ白な髪で顔の半分を塞いでおり、目の下の薄い隈も相まって少し暗い印象は受けるが、かなり整った顔立ちだ。

 自室に戻り、薄青いシャツとグレーのスラックスに着替えてリビングに移る。


「おはよう、玲芽」


 起きたばかりの玲芽を迎えたのは、彼の母親である錐川水凪。

 少し細い目とウェーブのかかった髪は夜空を思わせる黒。それに相反する様に肌は雪を彷彿とさせる白。二律を宿したその美しさには儚さと冷たさを含んでおり、人形

然とした印象を受ける。


「……おはよう」


 低い声で気怠そうに挨拶して、玲芽は食卓に腰を落とす。

 掻き混ぜた納豆をご飯に落とし、両手を合わせて「いただきます」と食前の挨拶を行う。錐川家鉄の掟その壱『挨拶はきっちりと行う』を遵守して玲芽は朝食に手をつける。因みにその弍以降は聞いた事がない。

 玲芽も水凪もあまり口数の多い方ではないため、自然と食事の時間は静かになる。熱心に見ているわけでもないテレビの音声を聞き流しながら、玲芽は納豆ご飯を胃に詰め込み、水凪はゆったりとコーヒーカップに口をつける。


「ごちそうさまでした」


 食後の挨拶もしっかりと行い、使った食器を流し台に持っていく。傍に置かれた弁当箱を手に取り、自室から持ってきた鞄に押し込む。

 椅子にかけたネクタイを苦しくない程度に巻き、準備は完了。


「行ってらっしゃい」


 それを察した水凪は、ふわりと冷たい容貌からは想像できないような柔らかな微笑みを浮かべて玲芽を送り出す。


「行ってきます」


 事務的にそう返した玲芽は、そそくさと我が家から出て行く。

 スニーカーに足を突っ込み、薄暗い玄関のドアを開けて陽光を浴びる。


「や。おはよー玲芽くん」


 そしてその先には、太陽に劣らぬ輝きを持った少女が待ち構えていた。


「おはようございます、甘音さん」


 彼女の名は立華甘音たちばなあまね。玲芽の通う綾崎南高校の三年生だ。玲芽は一年生なので、先輩になる。

 彼女の特徴としてまず目を引くのは、その艶やかな長い黒髪だろう。光を反射する手入れの行き届いた髪は、遠目に見ても彼女である事を示す名刺の様な役割すらこなしている。

 それ以外も当然のように整っており、大きな黒目を宿した猫目には長い睫毛を蓄えている。

 その髪や細い体躯から、大人しく書を読む事が趣味な大和撫子──‬という第一印象を受けるが、そんな事は全然まったく微塵もない。


「いやあ、今日も睡眠日和ですなー。ふわ……」


 朗らかにそう言いながら、手で口を隠して欠伸を一つ。玲芽は目立たないよう早めの時間に登校するので、それに合わせて早めに家を出る甘音は少し寝足りないらしい。


「俺に合わせて早く出なくてもいいんですよ?」


 廊下を歩きエレベーターを待つ間、玲芽は眠そうに目を擦る甘音へそう声をかける。

 口元にやった白い指をパタパタと振り、甘音は玲芽の気遣いをお返しする。


「私がやりたくてやってるんだもん。玲芽くんと学校に通えるのは、この一年だけなんだから」


 甘音は「でも、気遣わせちゃってごめんね。今日から欠伸我慢するから!」と強気につけ足し、やって来たエレベーターへと入る。


「いや、そういうふうに我慢されるのは……」

「そう?」

「そうです」


 自分の前ではあまり我慢しないでほしい、と玲芽は気遣い返しを更に返す。玲芽は甘音の裏表があまりないところを好んでいるため、自分に見せない一面を作られるのは嫌だった。


「そっか。じゃあ我慢しない!」


 一階に降りたエレベーターから脱し、彼らの住むマンションの敷地から学校への道を歩む。

 二人並んで川の土手を歩き、玲芽は甘音の声に耳を傾ける。


「でね。私がいると全部持ってくからーって、仲間外れにするのよ! 酷くない!?」


 甘音はその器量や人柄から、広い交友を持っている。昨日は何やらクラスの男女を交えた集まりがあったらしいが、甘音は呼ばれなかったらしい。

 それをクラスメイトの男子複数から来た連絡で知ったため同性の友人に問い詰めると、甘音の言葉通りの理由が返事に載っていたとの事だ。


「まったく。私はそんな気ないって言ってるんだから、責めてご飯は誘ってくれれば良かったのに……!」


 少し怒りのポイントが常人よりズレているのはいつもの事だ。彼女は食べる事になると激しい拘りを見せる。


「ご飯食べるとこ見たら……男どももドン引きでしょうしね」


 玲芽は右隣でぷりぷりと怒る甘音を見ながら、彼女が大勢の前で食事する姿を思い浮かべる。

 甘音の食事姿はとにかく壮絶、凄絶とでも表現すべき凄さを誇る。とにかく凄いのだ。


「んー? 玲芽くんなんか言ったー?」

(マズい……聞こえてた)

「いえ……」


 怒りの矛先がこちらに向きそうになったので、ニコニコと張り詰めた笑顔で圧をかけてくる甘音から目を逸らす。


「えー、何か聞こえた気がするんだけどなー?」

「勘弁してください……」


 ぐりぐりと拳を玲芽の脇腹に捩じ込んでいく甘音。玲芽は甘音から逃げるべく歩調を速める。


「こらー、待ちなさーい!」


 玲芽の後ろからトコトコと追いかけてくる甘音。もうその笑顔に圧力はなく、ただ華やぐ光を放つだけだ。

 今日もいつも通りの、一日が始まる。

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