第228話 彩り

 それは、とても美しい姿をしていた。

 望んで手に入れた姿ではなかったのに、その姿は人々の視線を集め、惹き付けて離さない。

 それが場に存在するだけで、全てのものが霞んでしまう。

 圧倒的な存在感。それが、神に与えられたものだった。

 しかし、それにとってこの美しさというものは、煩わしいと感じるもの以外何ものでも無い。

 何故なら、その姿を持つせいで、望まずしてその存在が目立ってしまう事を、極端に恐れていたからである。

 そもそも、それの性格は、周りが思っている以上派手なものでは無いからだ。

 本来はとても臆病で内向的。人と関わることが苦手で騒がしいことを好まない性質。ただ、生まれ持った姿が内面と正反対のために、周りから誤解されることが多い。

 そのせいで巻き込まれたトラブルの数は両手の指では足りないほどで。

 その度に疲弊し、うんざりしたそれは、益々本音を隠し、闇に紛れながら隠れて過ごす様になってしまった。


 しかし、そんなそれにも、転機というものは訪れるらしい。

 ある日、一人の少年が、それの存在に気付き、徐に手を差し出してきた。

 少年はそれが何なのかが分からないようだったが、少年はそれを外見で判断することはしなかった。

 何故なら、彼の目は生まれつき盲いていたからである。


 少年の瞳は始めから、光りを失い、酷く濁っていた。

 彼の世界には色が無く、それの姿を瞳に映すことが残念ながら叶わない。

 だが、それにとってはそのことがとても有り難いと感じていた。

 それは、人にその姿を見られることが恐ろしく感じて仕方が無かったのだ。だからこそ、この盲いた友人の存在は、それにとって何よりも大切なかけがえの無いものになるまで、然程時間はかからなかった。


 友人との日々は予想以上に楽しいと感じるものだった。

 人の目を恐れて引き籠もるように閉じこもっていたそれにとって、世界を映さない目を持つ友人の見る世界は、静寂そのもので心地が良い。

 ただ、その闇はとても寂しいものでは無く、全てを包み込むような優しい温もりが感じられ、いつまでもこの微睡みに囚われていたくなる感覚に陥る。

 友人がその目で世界の姿を知る事は無かったが、それでも友人はそのことを悲観するつもりはないらしい。指で感じる事の出来る文字で、見ることの叶わない世界に対して夢を描き嬉しそうに笑ってみせるのだから、それの目に映る彼の姿はとても美しく輝いて見えた。

 色を気にすることの無い生活。

 これが、それが心から望んで居たこと。

 本当の自分というものを受け入れてくれる相手が居る事に喜びを知ったそれは、より一層少年という存在に溺れ、離れられなくなっていく。

 彼に寄り添う事で得られる優越感。彼に必要とされることが何よりも嬉しくて仕方が無い。

 彼が傍に在ることが、それの全て。

 だからこそ、欲が出てしまったのかも知れない。


 彼の目に自分の姿を映して欲しいという、浅はかな欲が。


 少年の盲いた目は、どんなに進んだ医療でも治すことが出来ないもので、それがどんなに姿を見て欲しいと願ったとしても、その願いが叶うことはあり得ない。

 もとより濁っている瞳孔が焦点を結ぶことは無く、どんなに此処に在ると主張しても、どこかずれた虚空を眺める瞳。

 触れる事で自らを感じて貰う事は可能でも、友人はそれがどのような色を持っているのかを知る術を持たない。

 そのことがとても哀しくて大粒の涙が溢れる。

 沢山の人の目を惹き付け虜にすることが出来ても、たった一人、本当にこの姿を見て欲しいと願う相手の瞳にだけは映すことの出来ない矛盾。まるで存在が透明な硝子のようで、それは更に、己の持つ姿と色を呪った。

「見えなくても構わない」

 そう友人は微笑んでくれたが、それ自身がそのことを受け入れられない。

 何とかして光り無き眼に光りを宿らせたいと、それは旅に出ることを決意する。

 

 友人に別れを告げ、ただ、ひたすらに進んで行く。

 たった一つの願いを叶えるために、それは前に進み続けた。

 扉を叩き状況を説明しても、どの医者も首を縦に振ることはせず、困った様に眉を下げる者。呆れたように首を左右に振る者。面倒臭そうに始めから話を聞くこと無く、門前払いをする者。

 どれだけ頭を下げ治して欲しいと願っても、頼りにしてた相手は誰も手を差し伸べず、無理だと拒絶を示すものばかり。

 中にはそれの見た目の美しさに目を奪われ、言葉巧みにそれを騙そうと動く者も居たが、結局は誰もそれの願いを聞いてくれることはせず、それは希望を失ってしまう。


 そうして辿り着いた旅の果て。

 それは一人の老婆と出会った。


 老婆はそれに、優しく手を伸ばし微笑んでくれる。

 美しかった見た目が薄汚れて草臥れたものに変わってしまったそれに、暖かなミルクとタオルを差し出し家に招き入れてくれる。

 久方ぶりに触れる事の出来た温もりに、それは思わず涙を浮かべ、ただひたすらに嗚咽を零す。

 そうして漸くこの旅の目的を老婆へと伝えることが出来たときには、日はすっかりと暮れ、空に無数の星が煌めいていた。


 老婆はそれの話を笑う事はしなかった。

 それの願いに静かに頷き、「そうかい、そうかい」と相槌を返す。

 もう、諦めかけた小さな夢は、言葉にすると砂のように砕け空気に混ざり消えていく。

 それが哀しくて鼻を啜ると、老婆は「ほっほ」と笑った後に、こんなことを話始めた。


 どんな願いでも、たった一つだけ叶えてくれるという不思議な宝石が有るのだという。

 それは世界の果てにひっそりと保管されている物で、誰もその宝石を見た事が無い。

 ただ、それは気まぐれに、切な願いを聞きつけ、ひょっこりと姿を現すことがあるらしい。

 それは時として、人の姿をしていたり、動物の姿をしていたり。風に流れて辿り着く種の姿をしていたりするようだ。

 そして、願いを叶えたいと思うものの元に辿り着くと、その願いを芽吹かせるようにそっと寄り添うのだという。

 その願いが叶うまでの時間は、願いの強さによって変わる。

 だが、どんな強い願いでも、必ず最後には叶うようになっているらしい。


 ただ、願いを叶えるためには必ず代償が必要となる。

 その願いが強ければ強いほど、願いを叶えたいと縋り付いたものは大切な何かを失ってしまう。


「この話を信じるか、信じないかはお前さん次第。お前さんは、その宝石に会ってみたいと……そう思うかい?」


 まるで夢見事のような現実味の無い話。

 だが、それはぼんやりとこう思う。

 全ての医者が匙を投げたのだから、奇跡を願う以外には彼の目に光りを宿すことは不可能なのかもしれない、と。

 だからこそ、それは何度も頷いた。

 宝石に会ってみたいんだという願いを込めて。


 結論としては、それの願いは叶うこととなる。

 いつの間にか老婆の姿は消え、深い眠りから覚めた途端、それは少年の住む村に戻っていた。

 いつ戻ってきたのかはそれ自身も覚えて居ない。ただ、気が付けばそこに居た。そんな状態だ。

 何が起こったのか分からず戸惑っていると、随分と見た目が逞しくなった青年が一人、此方を見ていることに気が付いた。

 誰だろうと首を傾げながら様子を覗えば、彼は複雑な表情を浮かべながらもゆっくりと此方に近付いてくる。

 そして唐突にそれは、彼の腕の中に抱き込まれたのだ。

「君は……こんな見た目をしていたんだね」

 その言葉を聞いた瞬間、それは全てを悟った。

「やっと、君の姿を見ることが出来た」

 首を持ち上げると曇っていたはずの眼に濁りはなく、綺麗な光彩の瞳がそれに向けて焦点を結ぶ。

「聞いてよ。僕の目……見えるようになったんだよ。神様がね、目を治してくれたんだ」

 嬉しそうに笑いながらそう訴える彼の目には、大きな涙の粒。

「世界には、こんなにも素敵な色が溢れているんだね」

 始めて得た色に彼の心が高鳴っている。彼の嬉しそうな顔を見て、それは改めて喜びを感じた。

「君の姿も漸く見れた」

 そして更に強くなる抱擁。大切な恋人を抱きしめるように逞しい彼の腕の中で、それは小さく息を吐く。

「ただ……とても美しい姿をしているのに、君には色が足りない。そのことが、とても勿体ないと感じてしまうんだ」

 彼の目に宿るのは寂しさという感情の色。

「……ピィ……」

 その声に答えるようにして持ち上げた翼は、酷くくすんで不鮮明だ。

「僕の目に映る色を、君にあげることが出来たら良いのに……」

 この時に始めて、それは自らが何を失ったのかを悟る。

「ピィィ……」

 だが、それはそのことを悲観することは無かった。


 生まれ持った鮮やかな色彩と変わってしまった姿。

 それは様々な意味で人の目を惹き付ける。

 たが、色を失ってしまえば彼らは、途端に興味を無くし価値のないものとレッテルを貼った。

 もう、誰もそれに興味を持つことは無いだろう。

 それの姿を彩るための色を失った今では、それはそこに在る空気のような存在となった。

 それでもそれは倖せだった。


「ただいま」


 青年の指が鳥籠の扉を開ける。

「ピィ!」

 鍵の掛かることの無い銀の檻。

「今日はお土産が有るんだ」

 肩にかけた鞄から取り出されたのは、真っ赤に熟れた一個の林檎。

「一緒に食べよう」

「ピィッ!」

 鳥籠の中には、灰色の鳥が一羽。

 美しい彫刻のような姿をしている尾の長いそれは、嘗て誰もが手に入れたがる美しい宝石のような見た目をしていた。

 そんな鳥は今、一人の青年の元に在る。

 自らの色を彼に与えたことで得た穏やかな安息の日々を噛みしめながら、それは柔らかな平穏を心より喜んだのだった。

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