第208話 引きこもり

 ある日突然、家から出られなくなった。

 物理的な事が原因ではなく、精神的な部分が原因で。

 打たれ弱いと言われればそれまでなのかも知れないが、外の世界は自分にとって、とても危険なものな気がして恐ろしくなった。

 そうなったきっかけが何だったのかは覚えて居ない。

 本当に、ある日突然、家から出られなくなってしまったのだ。

 そしてそれは今も継続している。

 引きこもりの状態にいつ終止符が打てるのかという不安を抱えながら。


 閉ざされて開く事がないのは、分厚い遮光カーテンである。

 その向こうに存在するのはたった一枚のガラスで、その鍵を開けば一時的に外の世界との繋がりを作る事が出来ることは理解していた。

 勿論それは他人との繋がりを形成するという意味ではなく、隔離された空間を外の大きな領域と繋げるという意味でしかないことも理解している。

 だが、今の自分にとって、そんな小さな事が何よりも難易度が高いと感じてしまう。それだけカーテンを開けるという行動が強いストレスに繋がっていることは間違い無い。

 これではいけないと毎日振り絞る勇気。

 ベッドから抜け出し窓の前に立ち、カーテンにてをかけるところまではお約束のテンプレートで、今日は頑張ればこのカーテンを開く事が出来るのだと深呼吸を繰り返し握った指に力をこめる。

 右から左に一文字に線を描けばそれだけで終わる些細な行動だが、どうしてもそれが出来ずに諦める。それが一連の流れ。

 今日はそれに目処を付けたい。そう思い目覚ましを止め、怠い身体を引き摺りながらいつものように遮光カーテンの前に立ち深く息を吐き出していく。

 右から左にたった一度だけ。腕を動かせば終わる小さな動作。

「……………っっ!!」

 だが今日も、その行動は起こせぬまま、苦しくなり吐きだした息に胸を押さえつつ握りしめたカーテンからゆっくりと手を離していく。

 たった一枚の布きれ。それはとても脆く、何よりも強固な防護壁だった。


 外に出られない日が増えていけば行く程、外に対しての恐怖心は大きく強くなっていく。

 早くここから抜け出したい自分と、ここに留まり守られていたい自分が繰り返す葛藤。

 どちらをより強く望むのかは日によって変わるのに、カーテンを開くという行為が叶わない限り結局常に後者が勝利を掴み取る。

 幸いにも生存すると言うことだけにおいては、家という空間は己の身の安全を保証してくれるシェルターとして機能を果たしてくれていた。

 家族と呼べる人達と会話が出来る事が不幸中の幸いで、彼らによってこの命は何とか繋ぎ保たれている。

 そこに甘えてはいけないと客観的に自分を見る自分は確かにいるのに、精神がそれを拒否し体を動かす事を拒否してしまうのだから本当にどうしようもない。

 辛うじて外の情報を得るための道具は、ネットワークに接続された端末機のみ。旧型の機械のため性能に文句は言えないがこの際仕方が無い。

 流れてくる情報の精査なんてものは選定出来ず、何処までが真実でどこからが偽装なのかを見抜くのは至難の業だ。それでも、そんな事なんてどうでも良い。少しだけでも外の世界の情報を、自分の中に取り込めるのならばそれが嘘だとしても構わないと思える程、内側に閉じこもって長い時間を過ごしてしまっているのだから何も言えなかった。


 ただ、何事に於いても変化が起こる瞬間はあるらしい。


 その日は朝から気分が高揚していた。

 珍しく手に入れたのは一本の缶チューハイで、滅多に摂取することが無いアルコールを体内に取り入れたことで感覚が麻痺してしまっていたらしい。

 元々酒に弱い体質だったことも相まって、今なら何でも出来ると、そんな風に気が大きくなっていたのだろう。

 けたたましく鳴り響く目覚ましを止め、怠い身体を引き摺るようにして毎日繰り返す儀式。

 遮光カーテンの前に立ち、分厚い布に手を掛けてゆっくりと行った深呼吸。

 そして覚悟を決めると、一気に腕を右から左へと動かし、勢いよくカーテンを開いた。

「っっっっ!!」

 一斉に飛び込んでくるのは眩しい光りで、外から放たれる熱と共に、目を焼き視界を白く染めていく。

 皮膚が小さな痛みを訴え、体が大きく震えぐらつく足元。

 次の瞬間、鈍い音を立てて大きく傾いたバランスは、重力に引っ張られるようにして激しく床に衝突する。

 一瞬、何が起こったのか分からなかったのだが、次の瞬間、全てを理解し涙を流す。


 外の世界に感じていた恐怖。

 その正体を知ることで、何故それを躊躇っていたのかが分かってしまった。


 そうだ。そういうことだったんだ。


 ある日突然、家から出られなくなった。

 それは外の世界が自分にとって、とても危険なものな気がして恐ろしくなった気がしたから。

 でも、実際は本当に外の世界が自分にとって、危険な場所に変わってしまったのは間違い無い。

 何故ならそれは、この世界が、人の存在を消してしまうほどの強い光りに支配され、死をもたらすだけの空間として書き換えられてしまったのだから……。

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