第203話 漫画

 空想の中の世界では、いつだって色んなものになれる。

 妄想癖があるのが気持ち悪いだって?

 そんなことはどうでも良い。

 だって、ページを捲れば私は私では無い誰かになれる。

 それってとても、素敵なことじゃない?


 今時アナログだなんて流行らないし時代遅れだ。そんな風に友人は笑うが、私は未だに原稿用紙にペンを滑らせていた。

 別にデジタル機器を毛嫌いしている訳では無いが、どうしても腰が上がらないのはやはり、使い勝手が異なってくることが苦手だと感じているからなのだろうか。

 真っ白な原稿に走らせる鉛筆の感触。大量のラフな線の中から欲しい線を選んでなぞっていくペンの感覚。消しゴムをかけたときに整えられた世界が紙面に現れる瞬間がとても嬉しくてしかたない。

 そうやって形作られた作品が人に読んで貰えるというのは、私に取ってとても喜ばしい事だと思う。例えそれが趣味の世界で完結していることだとしても、その行為が私に取って大きな意味を持っていたことは間違いが無かった。


 だが、私の作品を快く思わない人間も確かに存在するようだ。

 どんなに一生懸命作品を作ったところで、好みからずれてしまうことは確かにある。

 私が思い描くハッピーエンドが、誰かにとっては不快だと感じてしまう。

 私が考えている主張が、誰かにとっての雑音へと変わる。

 そうやって、少しずつずれた価値観は、どう頑張っても埋めることは難しい。

 そんな中で嬉しいと思うのは、そんな私の作品でも好きだと言ってくれる人が居る事。

 ずっと長い事私のファンですと応援してくれた人がいたからこそ、私はこんなにも長い間漫画を描く事が出来たのだろう。


 その人は、私が漫画を描き始めた頃からの付き合いで、私が公開した作品は全て読んでくれているようだった。

 描き始めの頃のものを見返すのは恥ずかしいが、この頃から私の事をずっと追い掛けてくれているというのは素直に嬉しいものだ。

 いつも感想は長文のメールで、絵だけではなくストーリーも褒めてくれるのだから自然と表情が緩んでしまう。

 私が狙って立てたフラグ、伝わって欲しかった表現、作品の中に盛り込んだメッセージの一つ一つを丁寧に拾い上げ、それをその人なりの解釈で語ってくれる。

 そうやって何度も繰り返すやりとりは、まるで恋文のようでどことなく恥ずかしい。

 それでも私に取って、その人はとても大事な人には違いがなかった。

 例え……顔を見たことがなかったとしても。


 感想の内容が変わり始めたのは一ヶ月程前のことだ。

 少しずつ作品に対しての要望が増え、シナリオを制御するような威圧感を感じ始めてきた。

 私としては表現したいことがあるからそれは出来ないと断ったのだが、それでも「貴方の描く世界感でこの話を是非読みたい」と懇願されると断りにくい。単純に、付き合いが長かったのと、今までの恩義を感じてしまっていたというのも理由として大きかったのではあるが。

 そうやっていつしか私の描く漫画は、私の思い描く世界ではなく、私のファンが読みたい世界へと変貌を遂げていく。

 始めの頃こそその人が喜んでくれるのならと納得を試みたが、それでもやはり、頭の何処かではこれは私の作品ではないという違和感は拭いきれない。

 その不満が少しずつ積み重なり、ついに爆発を起こしたのが昨日である。


 私はその人に対して抗議のメールを書いた。

 これ以上、貴方の考えたシナリオで漫画は描けない、と。

 するとその人はこう答えたのだ。


 これは貴方の物語であって、私の考えた物語ではない。


 何を馬鹿馬鹿しい。私はそう思った。

 何故なら、その人が私のシナリオに介入するために寄越した大量のメールが証拠として残っている。

 その一つ一つを整理すれば、明らかにこれが私の考えた物語ではないということは分かる話だというのに、何故こういう事を言うのだろう。

 その意見はおかしいんじゃないかと反論をすると、今度はこう返事が返ってきた。


 いつから貴方は、貴方が漫画を描いているという世界が現実だと思い込んでいたの?


 実に奇妙な物言いだと思った。

 それはまるで、私が生きる世界の全てを否定するかのように見えたからだ。


 私は貴方を生かすためにペンを走らせている。私が描く世界で、貴方は貴方の漫画を描いている。それが真実なのに、何故気付かないの?


 追い打ちをかけるように届くメッセージ。「嘘だ!」と叫び振り返ると、机の上には大量の原稿用紙が積み重なっていた。

 何故かそれを確認しなければいけない気がして、私は無意識に紙の束を掴み取る。

 一ページ、一ページ。ページを捲れば綴られていたのは『私という人間が営む生活というシナリオ』。毎日原稿を描き、毎日メールをチェックする。そして届いた感想に、喜んだり悲しんだり。時には憤り、時には落ち込み。そうやって毎日綴り続けた物語は、紙面の中に描かれた紙面だけに存在している架空の現実。

 一部しか切り取られていない内容は、確かに私が作り出したストーリーだと言うのに、何一つ内容を思い出せない。

 足りないシーン、見え無い真実。

 そして辿り付く最後のページ。


 ねぇ。面白かった?


 たった一言だけ書かれたメッセージが、全ての答え。


 嗚呼。そうだね。


 そう。これは私の物語。

 誰かが作り出した、私という架空人物が紡ぎ出す、寓話にしかすぎない。ただそれだけのことだったのだ。

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