第201話 崖
いつの間にこの様な状況になってしまったのだろう。
気が付けば逃げ場というものが無くなってしまっている。
目の前には数人の男。
背後に迫るのは底が見えない程の暗闇だ。
追い込まれたのは切り立った崖。その状況で、私は必死に考えていた。
私が選択を間違えたことに気が付いたのは、手帳を拾った時だった。
その落とし物はシンプルな黒手帳で、中身は奇妙な数字だけが書かれている。
落とし主を捜すべく情報をさがしてみたものの、全てのページを確認しても持ち主に繋がるような情報は見つけられず、結局手帳を手放せないまま数日が過ぎてしまった。
手帳の持ち主が無くした事に気が付いたらとても困るだろう。そんな気持ちから、何とかこれを返す術が無いものかと色々考えてはみたものの、結局解決策は見つけられず、黒手帳をずっと持ち歩くことになってしまい気が滅入る。
とは言え、何日も元の持ち主についての手がかりが見つけられない状態が続くと、次第にその興味も薄れていくようで、いつしかその手帳について情報を探す頻度が減り、いつの間にか手帳そのもの存在自体も忘れてしまう事が多くなった。
定期的に目に留まることで辛うじてその存在を思い出すことは出来ても、日々の生活の中でこの手帳に関しての優先順位というものは極端に低いのだ。それも致し方ないだろう。
そもそも、私にとってこの手帳は、私の所有物ではない他人の物という以外の認識が無い。
よって、こんなにも長期間にわたって持ち主が現れないのならば、手帳の重要性は低いと判断したところで問題はない。そんな風に考えるようになるのは自然なことなのかもしれない。
ただ、この判断が間違いだったと気付いた時には既に遅かったと後悔することになる。
手帳に書かれた数字は、もしかしたら何かの暗号なのかもしれない。
そんな風に考えるようになったのは、視界の端に見慣れない黒い服の人間が入るようになった頃からだった。
その人間は、どうやら複数人いるらしい。
勿論顔なんて知らないし、どういった背景があるのかなんて分からない。
ただ、身長や体格、人種などから一人ではなく複数人、同じ格好をした人間が居るということは分かっている。
それらの人間が定期的に、私の事を監視しているらしいことは、数日間その存在を観察していて分かったことだ。
ただ、何故彼らが私を監視するのか。その目的はハッキリとしない。
彼らが直接私にコンタクトを取ることも、私に危害を及ぼすこともしないところから考えると、今すぐ私の身に危険が及ぶ可能性は低いだろう。そう判断し、私は必死にその理由について考え始めた。
そこで思い当たったのがあの黒手帳。
手帳を開いてみるとやはり奇妙な数字が並ぶばかりで、連絡が取れそうな情報は一切無い。
ただ、この手帳以外に何か思い当たることがあるかというとそうではなく、この手帳を所有しているからこそ私が彼らに監視されているのではないのだろうかという疑惑は日に日に強くなっていった。
いつの頃からか、彼らとの距離が近くなったように感じ始めた。
始めは気のせいだろうと思ったのだが、日に日に縮まる距離に不安を掻き立てられる。
そしてついに、ある日を境に、彼らは私の前に姿を現し私をつけ回すようになった。
こうなってくると話は別で、私は薄気味悪さから必死に彼らから逃げ回る事となる。
彼らを撒き足取りを消しても、何故か彼らは突然現れる。
そうやって終わらない追いかけっこを続けて辿り付いたのがこの場所。
「……はぁ……はぁ……」
もう、逃げ場がない。
何故か本能的にそう感じる。
断たれた退路に突破口を探そうと必死に思考を巡らせても、完全に詰んだ状態で状況を覆すことは難しそうで。
もう、これで終わりなのかも知れない。
そう思うと、今まで張り詰めていた物が弾け泣きたくなった。
「なんなんだよ……」
取り出したのは一冊の黒手帳。
相変わらずそこには数字以外の情報が無い。
「これのせいかよ!!」
ふと。この手帳を崖の下に投げ捨てたら助かるのではないだろうか。そんな考えが頭を過ぎる。
「これのせいで俺は追い掛けられてたのか!?」
そう思うといてもたってもいられず、私は大きく腕を動かすと、崖の向こうに目掛けて手帳を放り投げた。
「ほら! これでもう、手帳は俺の手元にねぇからな!!」
そう言って勝ち誇ったように笑い振り返ると、彼らは怒りを孕んだ目で私を睨み付けながら、次々と私目掛けて走り寄ってくる。
「なっ……やめろっっ!!」
殺される。
そう思い咄嗟に顔を庇うと、その場にしゃがみ込み蹲る。
「…………」
だが、不思議と何もされることなく、突然訪れたのは静寂だ。
「……なん……だ……」
何が起こったのだろう。
恐る恐る瞼開き振り返る。
「…………」
コレは一体何だ?
その光景は、想像もしないもの。
スーツを着ていた人間が、次々に手帳の後を追うようにして崖から飛び降りていく。
暗闇に呑み込まれていく複数の人間。
やがてそれらは耳障りな絶叫を上げながら、突風と共に崖の上へと昇っていく。
その手に大きな鎌を持ち、口惜しそうに私の事を睨み付けながら、彼らは上昇気流によって上空に飛ばされた黒手帳を追い掛け、空へと消えていったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます