第191話 台本
与えられたのは一冊の本。
ページを捲ると名前と台詞が書き込まれている。
これが台本である事は見れば分かるが、何故それを手渡されたのかという理由は無い。
何故ならここは道のど真ん中。
「どうぞー」
そう言ってチラシやティッシュを配るように笑顔で差し出された冊子を、断り切れず受け取ってしまう。必要無いと分かってはいても直ぐに捨てるには申し訳無く、結局はページを捲り中身をみてみることにしたのが運の尽き。てっきり商品カタログやフリーペーパー、もしくは宗教のパンフレットなのかと思いきや、そこに書かれていたものは前述した通り何かのシナリオに沿った役者の台詞が書かれたもので。本当に何故これを手渡されたのか分からないまま途方に暮れている。
「うーん…………」
どうしようかな。
そう思って悩んでいると、ふと目に止まったのはカフェの看板で。開店して間もないからか人が疎らで混み合っている様子は無い。何となく誘われるようにして店内に足を踏み入れると、何とも馨しい匂いが鼻を擽り表情が緩む。
そうだ。いっその事休憩してしまおう。
丁度朝食を取っていなかったんだ。
そう自分に言い訳をし、カウンターに真っ直ぐ向かうとメニューを見ながら興味のある商品を選び注文していく。珈琲なんて詳しいことはよくわからない。フードメニューは直ぐに決まっても、ドリンクで悩んでいると店員の女性がお勧めはこちらですと季節物の商品を提示してくれた。
「じゃあ、それで」
そう言って料金を支払いレシートを受け取ると、受け取り口へと案内される。手渡されたのはホットの飲み物で、食べ物は現在用意しておりますとの案内と共に、番号札を渡された。どうやらテーブルまで持ってきてくれるらしい。
店内を見回し窓際の席が丁度空いていることに気が付くと、迷うことなくそちらへ向かう。
どうやらこの店はオープンして日が浅いらしく、真新しい木の匂いが心地良い。ガラス越しに降り注ぐ春の陽気も相まって、ついつい大きな欠伸が出てしまう。
数日前まで随分と寒かったのだから、この温かさは眠気を誘う。温かい飲み物は失敗したかなと思いながらシュガーポットへ手を伸ばし、真っ白な砂糖を小さじで二杯。銀のスプーンがカップの中で回る度、小さな音を立てて水面が渦巻く。そこに真っ白なミルクを垂らせば、白い帯がぐるぐると、綺麗な渦巻きを描き黒と混ざり合っていく。
ブラックの珈琲は苦手。こうすると半分くらいは損をして様な気もするが、それは致し方がないだろう。
しっかりとかき混ぜた後で持ち上げたカップを口元へと誘えば、まだ大分熱を保っていたらしい飲み物が舌を焼いた。
「あつっ……」
その痛みに小さく舌を突き出し、ヒリヒリとした患部に手で仰ぐようにして風を当てる。
そうこうしていると注文していた軽食が運ばれてきて、少し遅めの朝食が始まった。
以外にもお値段に見合うその味は割と好みのもので。軽く炙られたトーストと瑞々しい生野菜とローストハムが挟まれたサンドイッチは舌鼓が落ちる。店の雰囲気も相まって居心地の良さからまた来店しても良いかなと考えながら、頬張る美味しい料理。あっという間に皿の中身は空っぽに、程良く冷めた珈琲は少し苦みを残した好みの味に変わっていた。
「ふぅ」
そうして漸く落ち着いたところで、先程手渡された不思議な台本を改めて捲る。
「何の台本なんだろう?」
表紙にタイトルは無い。だから、内容がどんな物なのかを知るためには、この本を読み進めるしか無い。どうせ時間は沢山余っているのだから暇つぶしとして活用させて貰おうと気持ちを切り替えると、内容が分からない台本を読み進めていく。
読んでみて気付いたことは、このシナリオが『とても平凡な人間の一日』を書いているということだった。
シナリオの中で主人公は、特に何の事件も無く淡々と一日を過ごしていく。
朝起きて準備をし、朝食を食べて家を出る。向かう先は駅で、飛び乗った電車で吐く一息。毎朝同じ電車で乗り合わせる他校の男子生徒に恋をしているのか、そこだけは少しだけ気持ちが盛り上がるようで、本の僅かな時間の一方的な逢瀬は、相手が電車を降りたところで終わってしまう。
学校に着くと仲の良い友達と昨日見たドラマや最近気になるコスメの話をした後でホームルームが始まるのを待つ。
授業の間は退屈で、忍び寄る睡魔と必死に戦い堪える欠伸。右から左に流れる教師の声にふと窓の外へと視線を移し「さっさと終わらないかな」なんてそんなことを考えている。
と、まぁ、こういう感じの話が、淡々と綴られているだけなのだ。
「なーんだ。つまんないの」
読み始めて特に面白味も無いシナリオに、早々に飽きて冷め切った珈琲を口に含む。それでもページを捲ってしまうのは惰性からくるものだろう。
「あれ?」
そこで始めて気が付いた。
「…………白紙?」
捲ったページの先が、真っ白で何も無いと言うことに。
「未完成なのかなぁ?」
未完成の台本を配るなんてどういう事なんだろう。不可解な行動に首を傾げながら時計を見ると、いつの間にかデジタルの数字は午後四時を過ぎたところを示していた。
「え?」
慌てて顔を上げると、窓の外に広がる空は少しずつ茜色に。
こんなにゆっくりしていたつもりは無いのに、どうしてこうなったのか分からず戸惑っていると、ふと、三人組の女子高生グループに目が止まる。
「……………………」
無意識に追ってしまうその姿。丁度彼女達は横断歩道に捕まり信号が変わるのを待ちながら携帯端末を操作していた。
「あ」
っという間に起こる事に、理解が追いつかないということは実際にあるらしい。
目の前で飛んだ女の子の身体は、地面に叩きつけられ動かなくなる。
次の瞬間絶叫が上がり、場がざわつき慌ただしく人々が動く。
「なん……で……」
慌てて鞄を掴むと、広げていた台本を畳み外に出ようと腰を上げた。
「…………っっ!?」
そこで見てしまったのだ。
「これ……は…………」
真っ白だったページ。
そこに現れるのは無数の文字。
作られたシナリオが目の前の光景とリンクして、次々に与えられた役割を演者が演じ始める。
「そんな……嘘だ…………」
シナリオと同じ台詞、同じ行動。それをガラス越しに見ている自分。
目の前で繰り広げられていくドラマが現実なのか偽りなのか分からない気持ち悪さに吐き気が込み上げる。
『ほらね。台本通りでしょ?』
その言葉を言ったのは誰?
これが作られた話なのだとしたら、こんなにも悪趣味なシナリオは存在しないだろう。
こんな台本、受け取るんじゃ無かった。
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