第188話 夜景

 随分と高い建物から夜に閉ざされた地上を見ると、遥か下に広がる地表で煌びやかな光が忙しなく動いている様が目に止まる。

 空へと顔を上げても確認出来るものは、一人でぽつんと黒の中に浮かび輝く大きな月だけ。

 以前はそれの傍にも無数の光が寄り添い、夜を優しく賑わせていたのだろうが、今は地上の光の方が強すぎて大きな衛星だけがその存在を主張し目に止まるだけ。

 それを哀しいと感じながらも、私は強い光を放つ地上の星が嫌いでは無い。

 それでもそれに浮かぶ星を恋しく思うのは、この地上で藻掻き続ける事に疲れを感じてしまっているからなのかも知れない。


 元々、高い場所が得意だったというわけでは無い。

 どちらかと言えば、高い場所は苦手だったように思う。

 乗り込んだエレベータの中で、回数をカウントする数字が上がる度に肝が冷える感覚。

 それが硝子張りで外が見えるような状態だったら最悪だ。

 先程までは確かに足元に感じていたアスファルトの堅さも、昇降機が上がれば上がるほど遠ざかっていく。足元に広がる建造物が徐々に小さくなり、点の集合体へと変わっていく度、早く地上に戻りたいとそう願ったものだ。

 だが、どうしても地上から離れ高い場所に向かわなければならないと言う状況も極稀に発生する。

 その度に繰り返される昇ったり降りたりという行動のお陰か、だんだんと高い場所に対しての恐怖は薄れていったのかも知れない。

 とは言え、実際は未だに高所に対する恐怖というものは存在しているのだろう。

 現に、足場が不安定な鉄筋造りの階段などに取り残されると、怖くて足が竦み動かなくなるほどなのだ。

 単純に『床がある安心感』。それがあるからこそ、高所に昇るということに諦め慣れる事が出来たのかも知れない。


 そうやって少しずつ高い場所に慣れていくと、そこから見下ろした夜景がとても美しいという事に気がつけるようになった。

 人によっては光が強く、騒がしいから苦手と感じる場合も有るかも知れない。

 それでも私には、この煌びやかな光は、宝石のように輝いて美しいものとして目に映る。

 手を伸ばせば全てを手に入れられそうな色取り取りの幻想石。現実では決して手に入れることの無い宝飾が、こんな風に沢山足元に散らばり地表を埋め尽くしている光景は本当に素晴らしいと感じ思わず表情が緩む。

 それは日が昇れば消えてしまう偽りの煌めき。

 それでも私には、そんな偽物の美しさがとてもお似合いなのかも知れない。


 空を仰げば暗い色の絨毯の上に浮かぶ一際大きな衛星が一つ。

 光を懐かしむようにその星は、私の下に広がるイミテーションの輝きを哀しげに眺めている。

 私は丁度その中間で、互いの光を交互に眺め身体を揺らす。

 耳元には骨を震わせることで音を伝えるイヤフォン。頭の中に流れる歌は、星空をテーマに扱ったどことなく不思議な旋律の音楽だ。

 ふと瞼を伏せすっくと立ち上がると、両手を広げて風を受ける。

 ここから一歩踏み出せば、私は鳥になり空を翔る事が出来るかも知れない。

 夜の闇に光を求め、真っ直ぐに空へと飛んでいく小さな小鳥。

 そんな光景を頭に描きながら、ゆっくりと吸い込んだ息が肺いっぱいに広がる。


「うん」


 ……………………。


 キラキラと煌めく夜景の中に。

 一羽の鳥が小さく羽ばたく。

 それは一瞬のようで永遠のような時間。

 その小さな姿はやがて、無数の宝石の中へと消えて溶けていくのだろう。

 それを随分と高い場所で、月が寂しげに眺めている。

 どんなに手を伸ばしても手に入らない光を羨ましいと思いながら、その月はただ、ただ、それを眺め空に浮かぶしか無いのだ。

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