第175話 ヘビロテ
気に入ったものがあると、つい何度も同じものばかりに目が行ってしまう。
普段聞いている曲もそうだが、服にしたって、注文するメニューにしたって変わらない。何度も何度もリピートをしてしまうから、周りからはしつこいと引かれてしまっている。
それでも私は構わなかった。これが私なのだから、誰にも文句を言われたくなかった。
そもそも、誰でも気に入ったものに繰り返し手を伸ばすことはあるはずなのに、何故私ばかりが変な目で見られなければならないのかが分からない。
確かに、好みが周りと少しずれているのは否定しないが、そんなものは個性なのだから、こう言うタイプの人間もいるだろうに。
別に無理に理解して欲しいとも思っていないのだから、適当に放っておけば良いことなのだが、その意見は残念ながら受け入れられる事が難しいようだ。
そのことについて指摘を受けるのも面倒臭くなり、段々と自分を偽ることも増えていったのが一年前からの話。正直に言えば、わざわざ衝突し問題を作るのが面倒臭いと感じているのもある。自分さえ折れれば周りは勝手に勘違いしてくれるのだから、場に合わせて演じ分ければそれで良いのでは無いかと。そう判断した故の選択肢なのは否定しない。
とは言え、それは一時的な解決法にしか過ぎないのだろう。
円滑な人間関係を。
それを保つために、人に合わせる必要がある事を理解していても、やはり心のどこかでは自己を主張したいと叫ぶ自分がいるのは事実だった。
結局の所、【自分という単一の個体】に気が付いて欲しかったのかも知れない。
そうやって、自分を偽り続けて暮らしていると、どうしても少しずつ歪みと言うものが発生するらしい。周りに合わせていた方が良いと思う自分と、ありのままの自分を受け入れて欲しいと思う自分がぶつかり合い、軋轢を深めていく。
その溝が深くなれば成る程、躁と鬱を繰り返し、いつしかある事に、強い執着を持つようになってしまっていた。
「もう止めなって」
怯えるような顔でそう言ってくるのは一つ下の妹だ。
「こんなことをしても意味が無いって分かってるんでしょ!?」
今にも泣き出しそうな不安な表情。必死に訴えかける声は先程から震えている。
「止めてよぉぉっっ!!」
ヒステリックに響く叫び声。妹が半狂乱になりながら必死に私の行動を止めようと藻掻くのを、私はぼんやりと見つめていた。
何故、彼女が、こんな風に、私に怒鳴るのかが分からない。
私は今、そんなことを考えている。
「これ以上やったら死んじゃうよ!?」
その言葉に私は不思議そうに首を傾げるので精一杯だ。
「幾ら気に入ってるからって、こんなのおかしいから!!」
不意に右腕に温かいものが触れた。それと同時に、左腕に走る鋭い熱がピタリと止まる。
「なんで…………どうしてよ…………」
そう言って縋り付くのは泣き崩れた私の妹だ。
「こんな物を気に入るなんてどうかしてるよ…………なんで…………寄りにもよって…………」
腕を押さえる妹の手に抗うように、右手を挙げようと藻掻くが、自分の身体を上手く動かすことが出来ず感じるもどかしさ。
「やめてよぉ…………お願いだから…………」
懇願するように、何度も何度も繰り返す言葉は「止めて欲しい」というただ一言だけ。
「…………切れなくなっちゃったから、新しい替え刃に交換しなくちゃ」
それに対して私が呟いたのは、全く会話をするつもりの無いそんな言葉だった。
「ダメだよ、お姉ちゃん」
妹が素早く手を動かし、私からあるものを奪う。
「もう駄目。コレを使う事はしちゃ駄目だから」
そう言って私の目の前から隠すと、急いで机に向かい、置かれていたストックを入れた箱を抱え蓋を閉めた。
「あと少しで救急車、来るから」
耳を澄ませると聞こえてくるサイレンの音。
「お願いだから。正気に戻って…………」
私には、彼女が何を言っているのかが分からなかった。
ただ、一つだけ。私が願っているのは、実に単純なこと。
「それ、ちょうだい」
力の入らない手を伸ばし、私は箱の中身が欲しいと彼女に訴える。
「いやよ」
彼女はそう言って箱を私から遠ざけるが、私はそれを許さないと彼女に詰め寄り訴え続ける。
「お気に入りなの! それがとても綺麗に切れるのよ!! だから沢山買って置いたの!! 黙ってそれを寄越して!!」
バランスを失った妹が、自らの身体を庇うように机に手をつく。
彼女の手から離れた箱は、ゆっくりと宙で舞い、大きな音を立てて床の上に落ちた。
中から出てきたのは、未使用の真新しいカミソリ刃。私はその中から、とても形の良い一枚を手に取り、さっきまで使っていたカミソリにセットしていく。
「ああ、良かった」
これでまた、切る事が出来る。
「やめてぇええええええええっっっっっっ!!」
鳴り止んだサイレンと、慌ただしく近付く足音。
だが、私は、誰がこの部屋に入ってくるのかを確認する前に、思い切り自らの手首を切り裂いたのだった。
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