第169話 マスコット

 イベントの催事場に足を運ぶと、高確率で居るのはマスコットの着ぐるみを着たスタッフの姿。それは暑い夏でも寒い冬でも変わりなく、来場する客に愛想を振りまいていた。

 毎度の事ながら、大変そうだなと思ってしまう。その仕事を直に体験したことはないため負担や苦労は想像する以外出来ないのだが、それでも簡単な仕事ではないことは理解しているつもりだ。

 だからこそ、毎回すれ違う度に言う言葉がある。

「お疲れ様です。頑張って下さいね」、と。

 その言葉を受け取った相手は大抵、愛想良く手を振って応えてくれる。中には丁寧に会釈をしてくれたりする人も居たりするくらいなのだから、皆それぞれ思う事があるのだろう。そう、勝手に思い込んでいた。

 あの時までは。


 その日は、野外で開催されるフェスがあった。仲の良い友人を誘い出掛けようと思ったのは、ここ数日部屋に籠もりきりで外出がしたかったことと、興味のあったアーティストのライブがスケジュールにあったからと言うのが理由だ。

 イベントの概要を事前にWebサイトで確認したとは言え、どのような催事なのかを分かっていなかった私たちは、会場に着いたときの人の多さに面食らってしまう。ごった返している人の波を掻き分ける様にして進む入場ゲートでは、スタッフの人間が入場パス代わりのリストバンドを、忙しそうに来場者の腕に嵌めていた。

 幸いにも入場自由のイベントだったため、チケットの購入や入場料の支払いはなく、リストバンドを受け取れば会場内に入ることが出来る。それなら入場パスは要らないのではと思ったのだが、その必要性は直ぐに理解することが出来た。

 会場内には大規模なイベント会場の他に、飲食ブースと物販スペースが設けられていた。リストバンドには小さなチップが組み込まれていたようで、それを翳すことによってそれぞれのサービスを円滑に利用出来るというシステムになっているようである。

 私たちが目的としていたライブはこのイベントの中でメイン扱いだったようで、早い内から整理券が配られて居たようだ。配布を担当しているスタッフの存在に気が付き慌てて駆け寄ると、二人分の整理券を受け取り胸を撫で下ろす。

 整理券に記載されたライブの開催時間を確認してみると、ステージが解放されるまではまだ暫く時間があるようだ。丁度小腹も空いたことだし、飲食ブースに立ち寄ることに決め移動を開始。出店している店舗は有名どころから新規参入まで様々で、思った以上にバリエーションが豊富だった。

 こういう場所だから大した物は無いだろう。そう思って居たのは勝手な思い込みだったようで、手軽に食べられるよう限定されたメニューながらどれもこれも美味しく舌鼓を打ってしまう。

 空腹が満たされたところで今度は物販スペースへ足を運んでみる。ステージでパフォーマンスをする予定のアーティストや芸人の公式グッズの他にも色々な商品が並べられ、思わず足を止めて眺めてしまう。こういう所だからこそ見つかる新たな出会いに、お互い満足しながら時間を潰す事、二時間少々。

「あ。そろそろじゃない?」

 スマートフォンのディスプレイに表示されたデジタル時計の数字を見て、私達は慌ててイベントステージの方へと移動した。

「こーんにーちはー!」

 ステージでは、丁度子供向けのパフォーマンスが行われていたようで、壇上で大きな着ぐるみの可愛らしいマスコットが大きく手を振りアピールを繰り返す。

「じゃあ、きーちゃんと写真を撮りたいお友達ー! 誰かいるかなぁー?」

 進行役のお姉さんが元気よく上げる右手。それに釣られるようにして、小さいお友達が一生懸命にするアピール。

「そうだねー。じゃあ、そこの男の子!」

 指を差された男の子は、一瞬自分が指名されたことに気が付かずきょとんと首を傾げた。直ぐに気が付き嬉しそうに飛び跳ねた後、母親の手を引いてステージ上へと上がる。

「きーちゃんも嬉しそうだよ〜。ぎゅーってしてあげてねー」

 大きく手を広げたきーちゃんというマスコットが、男の子にハグをしてあげている。

「じゃあ、いっくよー」

 マスコットと男の子。二人並んではいポーズ。かけ声に合わせて切られたシャッターは、数回にわたって聞こえた後、撮影タイムは終了。

「次は誰かなぁ?」

 再び指名タイムが始まり、子供達が勢いよく手を上げる。そんな光景を見ながら、私は小さく欠伸を零した。


「それじゃあ最後。ラストの一人はだれと写真を撮ろうか? ねー、きーちゃん」

 いつの間にか撮影タイムは最後の一人でお終いの時刻らしい。本日最後の撮影者は誰なのか。無意識に顔を上げステージを見ると、壇上のおねえさんと目が合ったような気がした。

「それじゃーあ……」

 おねえさんの手がゆっくりと動く。

「そこのお姉ちゃん! あなたに決まり!」

「え?」

 不意に指し示された指先に、私は思わず間の抜けた声を出し固まってしまった。

「早く早くー」

 冗談でしょう? そう目で訴えるが、進行役の女性は聞く見など持たないようにおいで、おいでと手招きを繰り返すだけ。

「行かないとダメみたいだよ」

「……そう、だね……」

 子供のためのイベントなのに、最後の一人が大人なのはどういう事だろう。そう思いはしたが、私が壇上に上がらない限り、このイベントは終わりそうにない。観念して上がるステージの上。目の前には、可愛らしいマスコットが、にこにこと張り付いた笑顔でこちらを見て居た。

「さあ。最初はハグしようかー」

 言われるがまま、マスコットの大きく広げられた腕の中に収まり回した腕。

「………?」

 抱きしめるため腕に力を込めたところで、私は妙な違和感に気が付いた。

「もーっと力を込めてぎゅーっとしてもらってもいいですよー」

 ハグなんて軽くすれば良いはずなのに、お姉さんはもっと力をこめようと催促してくる。

「い……いえ……大丈夫です……」

 慌てて腕を解き離れようと足を動かすのだが、それはマスコットからの拘束により阻止されてしまった。

「え?」

 私の腰に回された腕に力が籠もるのが分かり、嫌な汗が流れる。

「ちょっ……」

 離して欲しい。そう訴えようとしたところで、私は目の前のマスコットの『中身が無い』ことに気が付いてしまった。

「なっ……」

「あれあれぇ? お姉さん、何か気が付いちゃいましたぁ?」

 助けて欲しいと進行役の女性へ視線を向ければ、彼女の表情は強張った笑顔のまま動きを止める。

「だめですよぉ。それは秘密なんですからぁ」

 徐々に押し迫る苦しみに、上手く呼吸をすることが出来ない。

「気が付いても言っちゃダメ。お口チャックがお約束です」

 少しずつ着ぐるみの中にめり込んでいく私の身体は、今、一体、どうなってしまっているのだろう。

「もし、その事を言ってしまったら……」

 余りにも苦しくて私は大きく息を吸うと、大声でこう叫ぶ。

「お化けさんに食べられちゃいますからねぇ」

 だが、私の叫びは誰の耳にも届くことなく、どこにも無い空間へと虚しく消えていく。

「あらあら。悪い子は食べられちゃいました」

 まるで、今起こったことが無かったかのように人々は動き出す。

「本日の撮影会はコレでお終いです! みーんなー。まーたねー!」

 そう言って、女性とマスコットはステージの裏へ。用の無くなった客は各々散らばり、入れ替わりに次のステージを楽しみに待つ客とセッティングのためのスタッフが入る。

 その中に私の姿は無い。

 何故なら、中身のないマスコット。私はその中に囚われ、出られなくなってしまったのだから。

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