第154話 買い物
連日の忙しさのせいで、ついつい休日になると電源が切れたように眠ってしまう。
この時間がとても勿体ないと感じながらも、結局はそれを改善することは難しく、毎週同じ事の繰り返し。
今日もまた、無意識に目覚ましを止めたことにより、起床した時刻は二時間遅れ。日はすっかり高い位置に移動してしまっていた。
「…………はぁ」
寝癖が好き放題ついた髪を乱暴に掻き毟ると、欠伸を零しつつバスルームへと向かう。洗面台の前に立つと、鏡の向こうにはやつれた顔のもう一人の自分。目の下のクマが立派になってしまったことに肩を落とし、眠気を払うように冷水で顔を洗う。
この後の予定は買い物に出掛けることだ。
ここ数週間、まともに買い出しに出掛けられていなかったせいで、あらゆるストックが空の状態。流石にこれだと生活がままならないため、渋々必需品を購入しに出掛ける。そう言う理由でプランを組んでいたのだが、出だしから躓き気分は急降下。正直に言えば、もう何処にも出掛ける気がしなかった。
それでも怠い体に鞭を打ちつつ、着替えを済ませ家を出る。
休日にならないと動かす事の無い愛車に乗り込み、向かった先は近所の商業施設だ。
目的地に着くと、思った寄りも人が多い事に溜息が零れる。休日だからだろうか、商業施設には家族連れやカップルの姿が多いような気がして居たたまれない。さっさと目的を果たし帰宅しようと決め、リストアップしてきた商品を求めて店に入ると、カートを押しながら次々と篭の中へ商品を放り込んで行く。一応ざっと価格には目を通しているつもりだが、じっくり商品を見て吟味するなんて余裕は無い。どうせ使うのは自分なのだし、量が有れば当分買い物に出ずに済むのだから、多少価格が上がるのはこの際目を瞑ることにしておく。
そうやって先ずは第一弾の買い物を済ませ一度店を出る。
ホームセンターで購入した日用品を車に詰め込むと、今度は併設しているスーパーへと足を運ぶ。次の目的は少量品の調達。これが終われば此処で行う用事は終わり。さっさと家に帰れるというわけだ。
スーパーの入口に気が付くと、やけに人が多い事に気が付き首を傾げた。人だかりを横目に店内に入ろうとしたところで気付いたのは、どうやら新商品の店頭販売をしているのだということ。だが、それに足を止め無駄な時間を使う気にはなれず、見なかった振りをして店内に入る。
先程と同じようにカートにカゴを乗せ次々に放り込んで行く食料品。賞味期限の長い保存食を中心に、必要最低限の生鮮食品を追加し、嗜好品である珈琲やお菓子を適当に選んでレジに並ぶ。会計の間、ディスプレイに表示されていく数字の桁に頭が痛くなったが、これを何週間かかけて消費するのだと思えば安いものだ。漸く生産が終わり、購入したレジ袋に商品を詰めカゴを返すと、カートだけ借りて店内を出る。
「?」
いつの間にか店頭の人だかりは消え、先程のブースには疎らに残った人間がいる程度。そこで初めて、販売していたものが食品だったという事に気が付いた。
「あっ! お兄さん!」
何となく見ていたら販売員に気付かれてしまったらしい。にこやかに手を振って存在をアピールすると、「どうですか? 見ていきませんか」などと声を掛けられてしまった。
「これ、本日発売の新商品なんです!」
何を以て新商品なのかは分からないが、目の前には美味しそうなチキンが入ったホットショーケースが一つ。食欲をそそるスパイシーな香りがほんのりと漂っていた。
「試食をどうぞ〜」
カットされたチキンを小さなトレイに乗せると、店員の女性が小さなプラスチックフォークと共にそれを差し出してくれた。
「えっと……」
「是非、試食してみて下さい!」
半ば押し切られる形で手渡されると、食べない訳にはいけなくなる。朝食を抜いてきたことにより刺激された空腹の腹は、これは良い機会だとでも言うように盛大に鳴り食べ物を寄越せとアピールしてきた。
「じゃ、じゃあ、いただきます」
進められるまま食べてみると、確かに宣伝するだけあって美味しいと感じる。程良く効いたスパイスは癖が強いわけでも無く、程良く舌を刺激し爽やかなフレーバーが広がる。どうやらハーブスパイスだったようで、口にした瞬間は食べ慣れないそれに驚きはしたが、肉をかみ砕く度何とも言えない風味に深い味わいを感じてしまった。
「あ。美味い」
じっくりと味わうように咀嚼し、細かくなった肉を飲み込んでしまえば、口の中から無くなったそれが寂しくて仕方ない。
「どうでしたか?」
店員は感想が聞きたいのだろうか。ニコニコと笑顔を浮かべながら試食した印象を尋ねてきた。
「美味しいですね、これ」
特に味に対して悪い印象は無かったため、食べたときに感じた素直な思いを言葉にして伝えてやる。
「ありがとうございます!」
そう言って手に持っていたトレイとフォークを回収すると、店員はそれ以上何も言うこと無くニコニコと笑っているだけだった。
「……あ、あの……」
普段なら、「こちら、どうでしょうか?」などと、商品の購入を促すように誘導されるはずだ。だが、彼女はそんなことをする気配を一切見せずニコニコと笑って私を見ているだけ。
「このチキン、幾つか貰えますか?」
食べ物を胃の中に詰めてしまったことにより強まった空腹感も相まって、買う予定の無い商品を思わず買ってしまう自分に苦笑してしまう。
「お買い上げありがとうございます!」
いつの間にか手元にはワンパック十個のチキンボックスが。多少高く付いたがこれはこれで良い収穫だと自分に言い聞かせ、帰路に着いた。
あの日以来、あのチキンの味が忘れられない日々が続いている。
何が私をそんなに虜にしたのかは分からないが、未だに口の中に残る独特の風味がふとした瞬間に思い出されて喉が鳴るのだ。
しかし、あの商品を見たのはあの日きり。新商品だと謳っていたはずなのに、あれから店頭に商品が並ぶことは一切ない。
もう一度あの味を口にしたい。
最近では毎日その事ばかりを考えている。
せめて……せめて、あのスパイスだけでも手に入れることが出来れば……。
肉なんて、代用出来るものが沢山あるだろうに。
私は今日も、無意識にあの商品を探す。
もうそろそろ、食べたい気持ちが高まりすぎて、理性の箍が外れそうになりながら……。
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