第152話 ナンパ
『ナンパの成功率を上げる方法を教えます!』。
そんな広告に縋りたくなってしまったのは、どんなに望んでも良い出会いに恵まれないと感じていたからなのだろう。
待っていても叶えられない望みならば、自ら行動するしかない。そう決意しどうすればよいのかとネットの海を漂っているときに見つけた広告。
普段ならばそんなもの、見向きもせずそのまま消してしまうのに、この時ばかりはその謳い文句についつい釣られてしまったのだった。
僕自身は恋愛欲はそれほど高くないと思っていたのだが、周りの結婚ラッシュが続くと流石に焦ってしまう。ピークを越えれば気持ちも落ち着くのかも知れないが、僕一人が周りに取り残されていくという不安感からか、今はとても人恋しい気持ちで一杯だった。
とはいえ、僕が気軽に女性に話しかけられるかというと、それはなかなかに難しい。
極度のあがり症と言えば分かってもらえるだろうか。
私は元々、人と話すことが苦手だと感じる性分なのである。対面で話す事は勿論、電話での応対などでも、必ず一度は言葉に詰まる。この癖をどうにかしたいと思ってはいるのだが、それもなかなか難しく、相手と上手くコミュニケーションを取る術を見つけられないままこの年になってしまった。
幸いにも、こんな僕にも仲良くしてくれる友人は何人か居る。彼等は皆、人との付き合いが上手く出会いも多い。何度か彼等の飲み会の席に招いて貰い、女性を紹介して貰う機会があったのだが、彼等の期待に応える前に全てご破算となってしまい涙を呑んだものだ。
彼等は口々に「次があるさ」と僕を慰めてくれたが、一人、また一人と所帯を持ち家庭に入ると、次第にその言葉も言われなくなってしまった。
結局、幸せを掴んだものはその幸せを守る事が忙しくなり、周りの事など気に止める余裕も無くなってしまうのだろう。
こうやって、僕は一人取り残され、未だに独身という身分をずるずると引き摺っているというわけだ。
そんな僕にも、過去に一度、大恋愛と呼べる経験をしたことがある。
それは友人達と出かけたビーチでの出来事。
その出会いは、僕にとっては衝撃的なものであった。
僕の人生は驚くほど平々凡々なものだ。
何もドラマ的な盛りあがりがなく、ただ、淡々と続いている。
そんな中で出会った一夏のロマンスは、彼女の方から声を掛けて始まった甘酸っぱい出来事だった。
いわゆる逆ナンパというやつで、彼女達の遊んでいたビーチボールが転がってきたのがきっかけ。それを何となく手にとって持ち主を捜していると、少し離れた場所から駆け寄ってきた女性がお礼を言ってきたのだった。
手に取ったボールを返してしまえば終わる関係。僕はそう高を括っていたのに、意外なことに彼女の方から連絡先を交換して欲しいと申し出てくれた。
どうしようか迷った末、勇気を出して教えた通信アプリのID。直ぐに彼女からフォローがかかり、そこから僕たちは付き合うようになった。
意外なことに、彼女の住んでいる場所は僕の居住エリアからとても近く、二回目の出会いは直ぐに訪れる事となる。
始めはぎこちなかったデートだが、彼女はとても話上手であり、聞き上手であったため、次第に僕の緊張も解け自然に会話が出来るまで親しくなった。
彼女と居る時間は何よりも楽しく、そして充実していたように思う。
この人ならば、一生を共にしても良いだなんて。あの時はそんな風に思ったこともあった。
だが、その幸せは長くは続かなかった。
次第に彼女が僕の行動を制限するような言葉が増え、段々と二人の時間が息苦しいと感じ始めたのだ。
勿論、気のせいだと思おうと努力もしてみた。
だが、それは気のせいなどではなく、彼女の行動は益々エスカレートしていったのだ。
命の危険を感じたことにより、僕は彼女との決別を決める。
彼女から逃げるように姿を消し、新しい土地で頑張る事を決め彼女との関係を断った。
彼女の存在が薄れるにつれ、安堵と恐怖が交互に首をもたげる。だが、この選択を後悔してるかというとそうでもなく、彼女から逃れられたことによる安堵感は予想以上のものだった。
それから暫くは、女性と会うこと自体恐怖を感じるようになっていた。
だが、それも時間が経てば少しずつ薄まる物で、そこに重なってきたのが友人達の結婚の報告であり、段々と一人身が寂しいと感じる様になってきたのだ。
あの時のトラウマは未だに尾を引いているが、今は彼女の存在も大分僕の中で薄れている。
一歩前に出る勇気さえあれば、これから先の長い人生、一人で寂しい思いをしないでもいいかも知れない。
そんな淡い期待を抱き、取りあえず出会いの場を作ろうとダウンロードしたのが、ナンパの攻略法をまとめた情報商材だった。
商材に目を通して観ると、何て事は無い。書かれているものは予想以上に普通の事だ。
読み始めた当初は騙されたと憤慨したものの、読み進めるうちにその内容に励まされている自分が居ることに気が付く。
商材を読み終わる頃には、この方法を実際に試してみたいという興味が芽生え、当たって砕けろの精神で取りあえず町まで出てみることにしたのだ。
実際に人通りの多い場所まで足を運ぶと、僕と同じような目的で女性を物色している人間が数人いることに気が付く。みんな出会いに必死なんだなと思わず浮かべる苦笑。だが、それは他人事などではなく、自身も同じ状況下だから笑っている場合ではない。
断られても構わないからと、声を掛けやすそうな女性にターゲットを絞り口を開く。
「すいません」
それは、精一杯の勇気を出した一言だった。
「あの……もしよければ、この後一緒にお茶でもどうです…………」
だが、次の瞬間、僕はこの人に声を掛けてしまったことを後悔することになってしまった。
「ええ。もちろん」
何故気付かなかったのだろう。
見覚えのある後ろ姿は、あの頃のままだというのに。
服装が当時と替わってしまったことで、雰囲気が異なって見えたのだろうか。
振り返るまで全く気が付かなかった事を恨んでももう遅い。
「よろこんで」
今、目の前に居るのは、あの時に僕の方が逃げ出してしまった女性だ。
彼女は僕に見つけて貰えた事が嬉しいのか、とても美しい笑顔で微笑んでいる。
だが、彼女の手は、僕を逃がさないとでも言うように、僕の腕を掴んで離さない。
「どこまでも一緒にいきましょう」
その笑顔が怖い、と思った。
今すぐにでもここから逃げ出してしまいたいとも。
「だから、もう、離れるつもりはないからね」
そのことばに感じたのは絶望。僕の望まない幸せが、今僕の目の前に突きつけられる。
ああ。ナンパなんて馬鹿なことを考えるんじゃなかった。
彼女の爪が食い込む僕の右腕が悲鳴を上げる。
逃げる事も、振り払う事も出来ず、僕はただ、呆然とその場に立ち尽くしたのだった。
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