第147話 屁理屈

 自分ではそんなつもりは一切無い。

 いつでも真剣に話をしているし、一生懸命考えて答えを返すようにしている。

 でも、決まって言われる言葉はこんな言葉。

『屁理屈ばっかり捏ねやがって』

 正直、そう言われるのはとても辛いと感じていた。


 世の中には、器用な人間と不器用な人間がいて、とても不公平か関係で成り立っている。器用な人間は、何をやっても良い結果を出し、悪い状況に陥る事が極端に少ない。例え事態が悪化したとしても、何故か好転しいつの間にか逆転して良くなったりするのだ。

 それに引き換え、不器用な人間というものは、何をやっても悪い結果しか得られない。それを嫌だと嘆いたところで、その運命を変える事はどうにも難しい問題だった。

 私の場合、普通にしているときは何も起こらないのだが、誰かと意見を交わすときに限って必ず不運に見舞われてしまう。

 どうやら私は会話をする事が得意ではないらしく、会話に熱が入ると誤解をされやすいようだ。それが真剣になればなるほど相手の神経を逆なでしてしまうらしく、最終的には相手が不機嫌になり決まって必ずこう言われてしまう。

「屁理屈ばかり捏ねやがって」

 その度に拗れる人間関係と、低下していく私に対しての評価は、私一人の努力では改善することが難しく、もう何年もこの問題から目を背けて生きてきた。

 そして今日。上司から言われた言葉はいつも通りのこの言葉。

「屁理屈ばかり捏ねやがって」

 そう言って立ち去る上司は分かりやすく不機嫌で、暫くはどんなに誤っても許しては貰えないだろう。私の手の中には提出するはずだったレジュメだが、その最終チェックはいつして貰えるのだろうと思うと不安で仕方が無い。

 この後の予定はぎっしりと詰まっている。あとは返事さえ貰えれば次の工程へと回せるのにと噛んだ唇。

「大丈夫?」

 いつからそこに居たのだろうか。面倒見の良い先輩が、私の事を心配するように声を掛けてくれた。

「また、やっちゃったみたいです」

 平気なそぶりで無理に笑顔を取り繕うと、溢れ出しそうな涙を袖で拭い気持ちを切り替える。

「今日中にチェックして貰わないと拙いんですけどね」

 毎度の事だから慣れたとは言え、要領が悪いせいか、直ぐに別のプランにシフトすることが難しく、適当に言葉を濁してその場を立ち去ろうと動いてしまう。

「僕の方から提出しておこうか?」

「え?」

 それは先輩なりの優しさだったのだろう。機嫌を損ねてしまった上司に提出しなければならない事を気にしている私に差し伸べられた救いの手。

「あ……あの……」

 それは悪いと思いながらも、助かったと感じている私も居る。

「大丈夫。僕がなんとかするから」

 そう言ってレジュメを受け取ると、「任せて」と肩を叩いた先輩は上司の後を追いかけて言ってしまった。

「…………ありがとう、ございます」

 何をやっても要領の悪い私が、この場所で頑張れている理由は彼が居るから。

 私にとって彼はヒーローみたいな存在で、いつもこうやって、さりげなく私のことを助け、支えてくれるのが嬉しいと感じていたのだ。


 いつしか私は、気が付けば彼の事を気にしてしまう自分が居る事に気が付く。

 なんとかして彼ともっと親しくなりたい。そんなことを考えている自分に思わず顔が火照ってしまうほど、彼の存在は私の中で大きなものへと変わってしまっていたらしい。


「え?」

 今、目の前に提示された情報に、どう反応を返すべきなのかを悩んでいるのは、そのことが大きく関係している。

「待って下さい…………それって、どういうことでしょうか?」

 私は今、上司に呼びだされ事実確認をされている。要件は先輩に託したレジュメの内容に関するもので、その内容を絶賛されつつも、それを作成したのが私であるという事を伝えた瞬間「嘘を吐くな」と怒鳴られたのだ。

「そのレジュメは、私がこの前提出しようとしたものです。嘘なんて言ってません!」

 先輩には上司に渡してもらえる様にお願いしただけで、資料を作成したのも、分かりやすく分類したのも全部私であると説明しているのに、上司は全く取りあってくれない。それどころか聞き飽きたあの一言を突きつけ、見るからに不機嫌だということをアピールして私を追い払うように手を動かし始めている。

「本当なんです! この資料は提供して頂いた情報を元にリサーチして、見やすいようにレイアウトして作ったんです! 一緒に作成してくれた後輩に確認して頂ければ分かると思います!」

 その言葉を言う事でまた話が拗れるのだろうと思っても、信じて貰えないのは心外だと。私は必死に考え上司に話を聞いてもらえる様に頑張るのだが、彼は私が見苦しく吠え散らかしているのだと言いたげに、大きな溜息を吐き嫌そうに睨み付けてくるのだ。どうしてそんなに信用をして貰えないのだろう。どう言えば私の言葉が信じて貰えるのだろう。言葉を変え手段を変え説明を試みても、聞く耳を持たない上司は一切私の事を見てくれない。そして遂に、私は言ってはいけない言葉を言ってしまう。

「なんなら作成したときの資料を全部持ってきますので、確認していただけますか!?」

 次の瞬間、上司が勢いよく机を叩いた。

「いい加減にしたまえ!!」

 もううんざりだ。出て行きたまえと一方的にシャットアウトされてしまった会話。これ以上は何を言っても意味が無いと分かった瞬間、私の中から色んなものが溢れ出した。


 世の中には、器用な人間と不器用な人間の二種類が居る。

 器用な人間は何をやっても良い結果を引き寄せるのだが、不幸な人間はやることなすこと裏目に出てしまう。

 そして、私は、その不器用な方に位置づけられている人間の一人。

「ゆ、許してくれ!!」

 いつの間にか上司が私に向かって必死に謝っている姿が見える。

 気のせいか彼の左目は潰れ、その表情は恐怖で凍り付いているようにも見える。

「私が悪かった! この通りだ!! 頼む!!」

 そう言って土下座をする彼の姿は、酷く滑稽に映る。でも、もう、どうでも良い話。

「もう良いです」

 彼に向かってにっこりと微笑むと、私は持っていたボールペンを勢いよく振り上げた。

「だって私は屁理屈ですから、何を言っても信じて貰えないんでしょう?」

 だからもう、要りません。

 ゆっくりと振り下ろされる鋭い先端。この後、彼の悲鳴がこのフロアに響き渡るだろう。


「すいません。説明が下手で。でも、これが私なんです。だから…………仕方ないですよね?」

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