第143話 金髪

 絹糸のような流れる金色が、動く度にサラサラと揺れる。

 白い肌にとても映える黄金の髪と魅力的なサファイアブルーの瞳。ほんのりとバラ色に染まる頬はまるで、美しい西洋磁器人形のようで。

 オルゴール調の音色に合わせて優雅に踊るダンスは、見て居る者を魅了してやまない。

 軽やかにステップを踏む度、広がったドレスのスカートが美しく舞う。

 だが……残念なことに、彼女には相方がいなかった。

 

 彼女は、誰もが見惚れるほどの美貌を持つ女性だった。

 家柄も良く、気品も溢れる。決して表に出ない控え目な性格で、男を立てることのできる素晴らしい淑女。誰もが憧れてやまない高嶺の花と言えば分かりやすいだろうか。

 男ならば一度は彼女と言葉を交わしてみたい。そんな風に考えるのが当たり前と言うほど恵まれているはずなのに、何故か彼女には男運というものが無かった。

 それは決して、彼女自身に魅力が無かったからというわけでは無い。

 どちらかというと彼女は嫌でも人の目を惹き付ける。それは性別にかかわらず、その場に居る全ての人間が彼女の虜になってしまうほどに。だからこそ、周りは互いに牽制し、彼女に近付く者が居ないかどうかと目を光らせていた。その結果、彼女はいつまでもフリーで居ることを強いられてしまったのだった。

 その事を彼女が嘆いているなど、誰が気が付いただろうか。

 幾ら高嶺の花だからとは言え、彼女だって一人の人間である。ただそこに在る美しい人形とは異なり、感情があり、考えることも出来るのだ。周りの人間は誰かに寄り添い幸せを手に入れる中で、彼女だけが取り残されていく状態。それを彼女自身が快いと思わないのも当たり前の話だろう。

 だからこそ、彼女の悲しみは深く、それは日を重ねる毎に暗くなっていった。

 それでも、彼女は素晴らしい人間だ。

 社交場ではそんな様子を一切見せず、常にしゃんと立ち与えられた役割を完璧にこなす。誰に恥をかかせることもなく、彼女の存在の素晴らしさを周りに印象付かせていく。それでまた、彼女の評価は上がり、益々人々の足を遠のけてしまっているのだが、それはもう、どうしようも無い事で、諦めるしか無い。

 彼女は常にこう思っていた。


 いつか、私にも、幸せな時間が訪れるはずだ、と。


 彼女が二十歳になった頃だろうか。

 社交場で大きな動きがあったのは。

 突然現れたその女性は、あっという間に話題をかっさらっていった。

 今までは、彼女の話で持ちきりだった新聞も、今ではすっかりその女性の事しか取り上げない。

 その女性は旅芸座の女優だった。

 看板を背負う女性は、当然美しい見た目をしている。すらっとした足は長く、性別の割に鍛えられた体は美しい猛獣を思わせる程しなやかで。切れ長の目から覗える挑発的な視線と、喰らわれるのではないかと思える真っ赤なルージュを引いた妖艶な唇が心をかき乱す。

 何よりも特徴的なのは、その真っ赤な髪である。

 緩やかなウェーブを描く柔らかな赤毛は、燃え上がる炎のように強烈な印象を残すのだ。

 いつしか人々は、金髪で優雅な彼女よりも、好戦的で食らい尽くしそうな女優に感心を寄せるようになっていった。

 この状況を一番喜んだのは彼女だ。

 世間が彼女から関心を失えば、彼女も一人の女性として受け入れて貰えるのかと思ったからである。

 しかし、彼女のそんな淡い期待を嘲笑うように、相変わらず彼女はいつでも一人きり。

 彼女に声をかけて、手を取ってくれる男性も居なければ、微笑みかけて言葉を交わしてくれる女性も現れない。

 だから、彼女は、いつまでも独りぼっち。

 毎日を寂しく過ごし続けていた。


 ある日、彼女はこんな話を耳にした。

 何故彼女が、周りからこれ程にまで距離を置かれるのか。

 その理由は意外なもので、彼女はその事実を知ったと同時にひどく驚いたのだ。


 彼女が周りと疎遠になる理由は、彼女の黄金の髪にある。

 何故なら、その髪を持つ人間は、この世界にただ一人しか存在しないからである。


 人々は、黄金の髪を持つ彼女の事を、一人の女性として捉えることはあり得ない。どうしてなのかと耳を欹てると、黄金の髪を持つものは、神の代理人であるからだという。

 神聖視された存在なのだから、それを犯してはならないと。誰もがその様に考え、自然と距離を置かれてしまっていたのだろう。

 しかし、彼女はこれに納得が出来なかった。

 彼女は神でもなければ、神の代理人でもない。

 この容姿は生まれ持ったものだとしても、この容姿のせいで勝手にそう決めつけられるのは面白くないと感じてしまう。

 その事実を知った彼女はこう思った。

 黄金の髪が別の色に変われば良いのに、と。


 ここに黒い染料がある。

 それを使えば、彼女の美しい金髪は、あっという間に鴉のような色に染まってしまうだろう。

 黒い髪は余り良い印象を与えないと分かっては居ても、彼女はもう限界だった。

 誰よりも人の温もりを欲し、誰よりも愛されたいと願っていた彼女は、躊躇うこと無く美しい金の髪を黒に染めていく。

 いつしか彼女の目には大粒の涙が溢れていた。

 ありのままの私を受け入れてくれる人がいないのであれば、偽り幸せを手に入れることしか無い。

 それほどにまで、彼女は追い詰められていたのだろう。


 このオルゴール人形は、そんな彼女を模して作った物だ。

 本来ならば対になるはずのダンス人形は、美しい金髪の女性のものだけしか存在しない。

 流れる音色は悲しい音のトロイメライ。髪の毛を黒に染め上げたことで彼女が幸せを手に入れたのかどうかは、誰も分からない、知ることもない。

 ただ、ゼンマイを巻き、音を奏でる度、この寂しい人形はたった一人でダンスを踊る。

 いつか空の両手を掴み、共にステップを踏んでくれる相手を待ち続けながら、孤独に踊り続ける事しか出来ないのだ。

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