第142話 スライム

 スライムは不思議な手触りがする。

 独特の粘りと水っぽさがあるのに、離れるときは呆気ないほど剥がれてしまうのは何故だろう。

 これを使って掃除をしようと考えた人間は、ある意味天才だと思った。

 材料は手に入りやすいものがたった三つ。

 洗濯のりと重曹と、そしてホウ酸。ホウ酸自体は特定の販売経路からしか手に入らないかと思ったら、以外と身近なモノにも含まれているらしい。その一つが目薬で、成分を確認してそれらを手に入れることが出来れば、あとは必要な分量分を混ぜればお終い。これだけで、便利な掃除アイテムが手に入ってしまうのだ。

 最近は、このスライム作りにハマっている。

 元々は、掃除が嫌いすぎてどうしたら良いのかを悩んだ事が切っ掛けだった。


 私は筋金入りの掃除嫌いだ。

 別に汚い環境が好きという訳では無いが、どうにも掃除と片付けという行動が苦手で、中々腰が上がらない。

 部屋は辛うじて人を招ける状態をキープしているが、少しでも物を動かすと直ぐにボロが出てしまうくらいには掃除が雑。今まではそれでも良いと諦めて居たのだが、外出するのも気を遣う様な世情になってしまったせいで、家に引き籠もる時間が長引いた反動か、部屋の汚れが気になり始め、落ち着かなくなってしまった。

 よくよく考えてみれば、今までは都合が悪ければ外に逃げるという事が出来ていたため、目の前に広がる問題から目を背けることが出来ていたのだろう。

 だが、今となってはそんな自分を激しく恨んでもいる。

 結局、一人で暮らしている以上、いつかはこの問題と真正面から向き合わなければならない。

 そう言う意味で掃除をすることを決心したのがつい一ヵ月程前の話だった。

 とは言え、私は大のつくほどの掃除が苦手な人間。

 道具を買いそろえたはいいが、何処から手を付けて良いのか分からず、数週間はそのままにゴミだけが溜まっていく状態。

 唯一この状況を理解してくれる姉に相談してみたら、「できる事から頑張らなきゃ」と当たり前の事を言われる始末。

 頑張れと言われても……と、途方に暮れていたところで見つけたのがこの掃除用スライムの存在だった。

 このスライムの凄いところは、スライムを乗せてコロコロと転がすだけで綺麗に埃が取れると言うところ。

 初めは安い市販品を購入していたが、コスパを考えると割に合わない事に気が付き、段々と自作するようになった。

 スライムを使って掃除をするようになって良かったことと言えば、目に付いた埃が気になった瞬間、スライムを転がすようになったことだろう。

 掃除をすること言う行為としては、ぞうきんをかけるのもワックスシートを使うのも大して変わらないと言うのに、どういったアイテムを使って掃除をするのかがかわるだけで、掃除という行為そのものが楽しいと感じるようになる。お陰で最近では、ちょっとした埃が気になり、気が付けばスライムを転がしている自分が居たりして思わず笑ってしまうのだ。

 今日も仕事から帰宅して、作り置きのスライムを手に取り、目に付いた埃を食べさせるためにコロコロと転がしていく。ただそれを汚れの上に這わせるだけなのに、スライムが通った後はびっくりするくらいピカピカになるのが面白くて仕方ない。面積の広い場所は小さなスライムで掃除するのには向かないが、綺麗の快適さを知った今となっては、それも大して気にならない。

 そもそも、掃除をすることが習慣化してからと言うもの、ドライシートで床を軽く拭く事や、掃除機をかけることは苦では無いのだ。それ以外で取れない埃をスライムに食べさせることなんて、そんなに大した作業では無いし、何よりそのスライムが綺麗に埃を食べてくれる事が快感で仕方が無いのだから、最後の仕上げにスライムを転がす事は、私にとって何よりも楽しみな事の一つだった。

 しかし……人間というものは、実に狡い考えを持ってしまうものである。


 どうせならば、このスライムが、自主的に埃を処理してくれたら良いのに……。


 そんなことはあり得ないと分かっていても、ふと、そんなことを考えてしまう自分に呆れて笑ってしまう。

 そんなことを考えながら転がしていたスライムは、いつの間にか真っ黒になっている。役目を終えたらそのままゴミ箱へ。そして手に入れた綺麗な部屋に満足したところで、今度は自分の体の汚れを落とすためにバスルームへと向かった。


 あれから数日後。

 日々の業務の忙しさからか、掃除という作業が実に簡易的なものに変わってきていた。

 気が付けば小さな埃がうっすらと積もっているのだが、残念ながらそれを処理する体力が全く無い。

 疲れて帰宅すると、必要最低限の事だけ済ませたらそのまま眠る。そんな生活を繰り返しているのだから、仕方ないと言えば仕方ない話ではある。

 だからなのだろうか。

 その異変に気付くのに遅くなってしまったのは。


「あ…………あぁ…………」


 今、目の前を蠢くのは、ジェル状の物体。

 それはまるで、私が掃除用に作成したスライムにとても良く似ている。

 ただ、作ったスライムと異なる部分があるとすれば、それが意志を持ち動き回っていると言うことだろう。


 都合が良いことを願わなければ、こんなことにならずに済んだのだろうか。


 その物体は、色んな物を食べながら、少しずつ大きく成長しているように見える。

 部屋の中から消えていく様々な物。その光景を見ながら、私は一体どうすれば良いのだろうかと考えている。

 早く……この部屋から、逃げてしまわなければ。

 やがてそれはこの部屋に収まりきらない程大きく成長するのだろう。

 そうなったとき、私は一体どうなってしまうのだろうか。


 こんなことなら、スライムなんて、作るんじゃ無かった。


 玄関の扉に手をかけると、私は勢いよく飛び出し、その場から逃げ出したのだった。

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