第137話 火遊び
時に、好奇心とは大きな代償を伴う事がある。
その楽しみに囚われすぎて、隣り合わせの危険に気が付かないことがあるからだ。
そしてそれは、後に大きな後悔へと繋がる事も多い。
それでもその遊びをやめようとしないのは、それを行う事で、言い様のない満足感を味わえるからなのかもしれない。
ゆらゆらと揺らめく小さな焔は、とても綺麗な朱を放つ。
暗闇に浮かび上がる小さな光り。それはとても幻想的で、そして、神秘的な光景としてその目に映った。
それが忘れられない。
その記憶は果たして夢だったのか、現実だったのか。
それが分からないまま、時間だけが過ぎていく。
宵の頃合いから少しずつ暗くなる空には月も星も無く、やがて訪れる闇が徐々に空を喰らい始める。灯り始めた外灯の明かりが非常に心許ない。その理由は電球が切れかかっているようで、耳障りな音を立てながら不規則に点滅を繰り返しているからだろう。足元に出来た影はその点滅に合わせて、先程から浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。どこからか聞こえてくる犬の声。それは、道行く人に向かって警戒心を顕わにする威嚇を示すものだった。
ぽつり、ぽつりと部屋に明かりが灯ると、町にあった賑わいは一つ、一つと消えていく。代わりに広がり始めるのは静寂である。
とはいえ、ここまで夜という時を意識することも無くなってしまった世の中だ。まだ、眠りに就くのは早すぎる時間ということは分かって居る。それでも、空が明るい時間帯に比べると減ってしまった人通り。そこを流れる空気も大分冷たいと感じるのは、気のせいではないだろう。
時々すれ違う人は誰も彼もが草臥れて、各々帰路を急いでいる。
自転車の呼び鈴が聞こえ振り返ると、不安定に揺れる小さな明かりが少しずつ近付いてくる。それに気が付き脇に避け、自転車が通り過ぎるのをじっと待つ。
「はぁ」
何もかもがつまらない。
最近はそんな風に感じる事も多くなってしまった。
学生の頃は何も考えずに、毎日をただ楽しんで生きていれば良かった。学校に行って、適当に授業日数を稼ぎ、テストでそこそこの点数を取って、残りの時間は自由に遊ぶ。悩みなんて微々たるもので、何をするにも無敵だと勘違いしていたあの頃。
連む仲間はみんな同じように笑っていたし、その先の事なんて何一つ真剣に考えては居なかった。
偶に馬鹿な事を思いつくメンバーがいたりすると、後先考えずに行動を起こして痛い目を見ることもしばしば。でも、それがとても楽しかったのだ。
その時の記憶を懐かしむのは未だ早いのかも知れないが、日々忙しさに追われ、仕事場と家の往復を繰り返すだけの生活に慣らされた思考は、どうしても別の刺激を求めて現実逃避を繰り返してしまう。
そんなことを考えていたからだろう。
目の前で揺れるオレンジの光に強い興味を惹かれてしまったのは。
それを目撃したのは本当に偶然のことだった。
初めはそれが一体何なのかが分からず、その場に立ち止まりじっと眺めていた。
暗さに目が慣れてくると、それが揺らめく炎だという事に気が付く。その炎はまるで、意思を持っているかのように不規則に動くと、目の前からふっと姿を消してしまった。
あれは一体何だったのだろう?
そう思ったのが一番始めだ。
その日を境に、宵が迫ると必ずこの不思議な炎と遭遇することになる。
その炎は常に、見つけられるまでゆらゆらと揺れているだけで、こちらが炎に気が付くと、予測不能な動きをした後姿を消してしまうのだ。
いつしかその炎に魅入られ、私は自らそれを探すようになっていた。
その頃からだろうか。炎そのものに対して強い興味を持つようになったのは。常にその炎を追い掛け、それが何なのかを知りたくて探して回る。不思議な炎は私に見つかると、慌てて姿を消してしまうのだが、それでも私は諦める事をしなかった。
そうやって、不思議な炎と追いかけっこをし始めてどれくらいの時が流れたのだろうか。
その光景は、まるで幻想的なものを見て居るかのように、とても美しく私の目に映った。
逃げ回る小さな炎は、気まぐれな猫のように私をからかった後、ふっと姿を消しては、また現れるを繰り返す。
それはまるで、私を何処かへと誘うかのような動きで、私はその炎を追い掛け足を動かし続けた。
そうして辿り付いたのは一件の家の前。どうやら家主は留守のようで、家の明かりは消え、建物は真っ暗だった。
ここに連れてこられたのは何か理由があるのだろうか。そんなことを考えていると、ゆらゆらと揺れていた炎が一瞬姿を消し、敷地の中へと入り込んでしまう。
と、次の瞬間。
その建物はとても美しいオレンジ色に包まれたのだった。
目の前で立ち上る炎はとても大きくて綺麗で、つい、その光景に魅入ってしまう。
その場から立ち去らなければいけないと分かっては居るのに、暫く呆然とその光景を眺めていた。
幸いにも、それを見て居るということを誰かに気付かれることなく、火事を目撃したことを消防に通報しその場を離れる。
そうやって、この不思議な炎と私の不思議な関係による、ファイヤーショーが幕を開けることとなった。
観客の居ない火祭りは、常に私だけが特等席。
火付け役は未だ正体の分からない揺らめく炎で、その炎が生み出す火の芸術は、どれもこれも素晴らしく感嘆が零れる。
そうやって、一ヶ月に一回、一週間に一回、と、回数を縮めていき、遂に三日に一回と期間が短縮された所まで来たときだった。
「あ」
突然現れたのは二人組の男。彼等は私を取り囲むと、抵抗する間もなく、私の両腕に手錠を掛ける。
「罪状は理解しているよな?」
その言葉から、この二人組が私服警官だと言う事を悟った私は、その言葉に素直に頷いた。
「署までご同行願おうか」
いつかは訪れるであろう幕切れ。それは実に呆気なくやってきた。
私はただ、それを見て居ただけなのに、彼等はきっと私の話を信じてはくれないだろう。
いつしか不思議な炎は、跡形も無く消えてしまっている。
本日ショーが行われるはずだった会場は、未だ明かりが消えたまま。
美しい焔を見る事が叶わなかったのは残念だが、結局は全て危険な火遊び。
その罪に対する清算を、私はどう支払えば良いのだろう。
私はただ、見て居ただけ。
不思議な炎の繰り出す、美しい火の芸術を、ただ、見て居ただけなんだ……。
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