第121話 ライオン

 大きくて威厳のある姿。金色の鬣が風になびく度、その堂々とした立ち振る舞いに思わず心が奮えてしまう。強いものに対して抱く憧れは、弱者ならば誰でも自然に感じてしまうものなのだろう。だからこそ、それが眩しくて仕方なかったのかもしれない。


 『私』という存在は、彼にとって取るに足らないものだったのだろう。


 その他大勢の中に紛れる取り巻きの一人。スポットが当たることはなく、顔も名前も覚えて貰えないようなモブ的な立ち位置。視界の隅に入る事はあっても、意識されることはない。それが彼と私の関係性。

 勿論、私だって彼に気付いて貰いたいという願望はあったが、それが叶うことが無い事くらいは分かっているつもりだ。

 つまり、それだけ彼の存在は目立ち、そして注目されるということ。

 憧れでいい。傍に居られるだけで構わない。

 高望みなんてしないから、今、こうやって巡ってきた幸運を大事にしたい。

 そんな些細な望みくらい持っても、誰の迷惑にもならないだろう、と。そんな風に考えながら毎日を過ごしていた。

 私が彼と出会ったのは数年前のこと。

 きっかけは、本当に小さくて下らないもので、一生懸命に思い出そうとしない限り、風化し忘れ去られていくくらいありきたりな出来事だった。

 彼はその時から有名で、名前を知らないものはいないというほど人気があった。

 当然、私も彼のことを知っていたのだが、それはあくまで一方通行。雲の上の存在は遠くから眺めるのが精一杯。決して近付くつもりもなかったし、近付けるとも思っていなかった。

 そんな彼と距離が縮まったのは、私が犯した大きなミスが原因だ。

 私が担当したのは大きな企画展の設営。一世一代の大仕事のため、いつも以上に気合いが入っていた。

 主任の助手という立場ではあったが、それでも普段よりもこなす作業量は多く、使用するスタッフもいつもの倍は存在している。設営の一部は私の提案したデザインも使用されると言う事から、余計な気合いが入りすぎていたのかも知れない。

「うわっ!?」

 足元注意とは良く言ったもので、次の瞬間大きく傾く世界。背中から引っ張られるような感覚と感じる浮遊感に、咄嗟に瞼を伏せ視界を閉ざす。

「…………」

 次に来る衝撃に反射的に身構え縮こまったのだが、いつまで経ってもそれが訪れる事はなく、落下は中途半端な場所で止まってしまったのだ。

「…………え?」

 うっすらと瞼を開くと、目の前には誰かの姿。

「…………あ」

 開けた視界の先。私は思わず小さく悲鳴を上げてしまった。


 信じられなかった。

 目の前に、憧れの人の姿が有ることに。


 彼は私の事を助けてくれたようだった。上司は彼に迷惑を掛けたことを平謝りし、私の事をこっぴどく叱ったが、それでも私は嬉しかった。彼と言葉を交わせたという事実に心が躍ってしまったのだ。


 それからは、何度か彼と仕事を共にする機会が増えた。

 彼の在籍する事務所と私の勤め先は、提携関係にあり、以前よりも多く指名が入るようになったのだから当然と言えば当然なのだろう。

 私の何処が気に入ってくれたのかは分からないが、彼は決まって私を指名してくれるようになった。

 正確には、私の所属するチームを、だが。

 だからだろう。彼にとって特別な存在になりたい、と、願う様になってしまったのは。


 しかし、それが叶わない願いであることも私はよく知っている。

 彼と私とでは住む世界が違いすぎるのだろう。

 彼にとって、私という存在は取るに足らないほどちっぽけなもので、ただそこにある石ころと同じようなものだ。

 もしかしたら、分け前にあやかろうとするハイエナのように映るかも知れないし、尻尾に集るハエのように感じているのかもしれない。


 だからこそ、適度に距離を置き、彼のことを見るだけで満足するように心がけた。


 圧倒的な強者には、弱者の思いなど分かる事は無い。

 それはまるで、サバンナの頂点に君臨する王者のように、ただ前だけを見据え、先を照らす光りだけを求め続けている。

 背後に群がる者を率いるように、ただ、高々と掲げた旗を振り上げ突き進んでいくのだろう。


 私は彼のことが好きだった。

 そして、彼に強く憧れていた。


 今、献花台の向こうで、彼は綺麗に笑っている。

 真っ黒に縁取られた遺影は、飾られた百合の祭壇の中で一際異様に目に映った。


 もう会うことが出来ない獅子の最後は、実に呆気ないもので。

 その雄志を見る事は出来ないのだと思うと、一筋の涙が頬を伝う。


 さようなら。


 そう小さく別れの言葉を呟くと、焼香を済ませ斎場を出る。

 いつかは忘れてしまうのかも知れない。

 彼というカリスマが居たという事実を。

 それでも、私は彼が好きだった。


 できることなら、ずっと、彼の傍で、彼の後を追い掛け続けていたかったんだ……。

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