第119話 改札
財布を握りしめて券売機の前に立つ。行先はちゃんと教えてもらったけれど、初めてだから線路図の見方が分からない。周りの人は慣れた手つきであっさりと目的を達成し立ち去っていくから、余計に気持ちが焦ってしまう。気が付けば後ろには待機列。居たたまれなくなって順番を譲れば、訝しげに見られたあと直ぐ後ろに並んでいた男性が切符を買い始めた。
田舎暮らしが長いせいか、移動手段は常に、徒歩と自転車。それとオートバイや自家用車が当たり前。公共交通機関は専らバスが専門で、電車というものに馴染みがない。今回は県外で働く姉に「偶にはこっちに遊びに来たら?」と誘われ決めた遠征。当初の予定では姉がターミナルまで迎えに来てくれるという話しだったのに、何の手違いか迎えに行けないと言われたのがつい先程の事である。
『ごめんねー! 急ぎで仕事が入っちゃって』
それは仕方が無いことだと頭では理解しているのに、初めての土地で慣れない移動手段に戸惑っている私にとって、これは酷い裏切り行為だと思ってしまう。
「こっちで待ってるから迎えに来てよ」
ダメ元でそう持ちかけてはみるものの、姉の反応は思った以上に芳しくない。
『迎えに行ってあげたいのは山々なんだけど、何時に終わるのか全然わからないから……』
申し訳なさそうに小さくなる姉の声。
「で……でも……」
それでも一人で行動するのは怖い、と。駄々をこねなんとか迎えに来て貰おうと口を開いたのだが、それは姉の一言でバッサリと切り捨てられてしまった。
『仕事戻らないといけないから切るね!』
「あっ!」
一方的に切られてしまう通信。受話口から聞こえてくるのは無機質に繰り返される短い音だ。
「……お姉ちゃんのバカ……」
諦められない思いは通話を切るというボタンを押すことを躊躇わせる。もうこの通信自体は完全に切れてしまっているのに、なかなか押せない赤いボタン。
「どうすればいいのよ……」
やっとの思いで通話を終了すると、間髪入れずにメッセージが受信されたというアナウンスが表示された。
「何?」
メッセージを開いてみると、ごめんねというキャラクターもののスタンプ。その後に簡単なメッセージが続き、目的地までの行き方を記したテキストと簡易的に作成された手書きのマップ写真が添付されている。
「……コレを見て自分で来いってことか」
思わず出たのは盛大な溜息だ。
「……まぁ、仕方無いか」
本当は嫌で嫌で仕方無い。それでもここでずっと待っていても迎えが来ないことは変わらないだろう。意を決して動き出せば、思った以上に多い人の波に眩暈を覚える。やっとの思いで改札口まで辿り付く頃には、気力と体力の限界で直ぐにでも座り込んでしまいたくなるほど疲弊してしまっていた。
「……どうしよう」
と言うわけで振り出しに戻る。メッセージに切符の金額はしっかり記載されているのに、何度も何度も線路図を見てしまうのは単純に心配性だからだろう。漸く納得し目的の物を買えた頃には、到着して数十分が経過してしまっていた。
「これを通して中に入れば……良いんだよね?」
電車に全く乗ったことがない訳ではないのにこんなにも緊張してしまうのは、普段は両親や姉が手伝ってくれるせいだろう。自分一人で考えて行動することがこんなにも怖くて仕方のない事だというのを改めて実感してしまう。切符を自動改札機の投入口に軽く差し込むと、凄い勢いで吸い込まれて消えていく。
「あっ……待って!」
慌てて手を伸ばして追い掛けたと同時に開いた二枚の扉。機械に食べられてしまった切符はというと、扉の向こうで早く受け取って欲しいと待機している状態だった。
「……はぁ」
後ろの人に迷惑にならないよう、流れに逆らわず切符を受け取り構内に入る。上りと下りで行き先が異なるため、ここは絶対に間違わないようにしないといけない。携帯端末のディスプレイに表示された文字を何度も確認しながら目的の階段を降りれば、既に数人の人が待機の列を形成しているのが見えた。
「……空いてるといいなぁ……」
人が多いのは苦手だから、なるべく人が少ない場所を求めて彷徨う。気が付けばホームの隅っこの方。何処が降り口の改札に近いのかなんて分からないため、これでいいやとその場で待機。
暫くすると電車がホームに滑り込んできた。
まだまだ緊張は続く。
それでも、座ることが出来たということで少し安心出来たらしい。小さく息を吐いた後、思わず襲われた眠気。それを堪えるように欠伸をしながら、のんびりと流れていく景色を眺める。
地元とは全然異なる風景。それは楽しいと同時に何だか不思議な気持ちになる。
「早くお姉ちゃんに会いたい」
誰も知り合いが居ない不安。それが嫌で呟いた一言。目的地の駅までは、まだまだ時間がかかりそうだった。
一時間と少し過ぎたくらいだろうか。
漸く電車から解放されホームに降りる。指示看板に従い改札に向かうと、先程とは異なるこぢんまりとした改札口が見えてきた。
「あっ! お姉ちゃん!」
迎えには行けないかもしれない。そう聞いていたため完全に諦めていたのに、改札の向こうに姉の姿を見つけ思わず手を振る。
「おねえちゃーん!」
その声に気が付いたのだろう。姉がそれに応えるように大きく手を振り替えしてくれた。
「なんだぁ……迎えに来てくれたんだ……」
行きとは異なる方向から投入口に向かって差し込まれようとする切符。
「来てくれるなら早めに連絡頂戴……よ……」
だが、その切符を投入口に差し込む直前で、私は思わず手を止めてしまった。
「……おねえ……ちゃん……?」
確かに目の前に居るのは姉のはずなのに、姉は私の声に笑って手を振るだけで、それ以上の反応を示さない。良く見ると、まだ昼間だというのに改札の向こう側は随分と暗く陰湿な雰囲気が漂っている。
「……おねえちゃん……だよ……ね……?」
思わずそんなことを聞いてしまったのは、これが姉であると信じたかったからだろう。
「………おねえちゃん?」
それなのに、姉の姿をしたそれは、何も答えないままただひらひらと手を振り立って居るだけ。
「何で?」
反射的に振り返ると、先程まで居たはずの人影が消えてしまっていた。
「え?」
誰も居ないホーム。しんと静まりかえったそこに在るのは無人になった駅と私という人間が一人だけ。
改札の向こう側には確かに人影があるのに、その顔は虚ろでどこかしら覇気がない。
「どうし……よう……」
始めて訪れた土地で降りかかった試練にしては随分と重たいそれに、私はどうして良いか分からず狼狽えることしか出来ない。
「だれか……たすけて……」
たった一枚の切符で、選べる未来は二つだけ。
改札の向こうに踏み出すか、ここに留まり連絡を待つか。
ただ、一つだけ分かる事は、改札を潜ると私は私で無くなってしまうだろうということ。
「おねえちゃん……助けて……」
握りしめた携帯端末。
震える指で起動したメッセージアプリに入力した文字が、無事に姉の元へと届くことを信じ、私はそっと送信ボタンを押したのだった。
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