第116話 エチケット
私は人と会う事が大好きだった。
逆に一人でいることは苦手で、どちらかと言えば常に誰かと一緒に居たいって思ってしまうタイプ。
だからいつも、人と会うときのエチケットは、日頃から気をつけていた。
相手に好印象を持って貰う事。それが最も気にしておくチェックポイント。見た目はモチロン、言動や行動も常に相手からどう見られているのかを意識して、毎日鏡の前でチェック。それを事欠かしたことはない。
洋服は出来れば1シーズン1回限り。どうしても仕方が無いときだけは2週間か3週間ほど間を開けて着用。
お化粧はシーズン毎にカラーを変えて、アクセサリーもそれに合わせてコーディネート。
TPOに併せてファッションはクラシックにするかカジュアルにするかを考え、悪目立ちをすることだけはしっかり避ける。でも、ボツ個性で目立たなくなるのは絶対に嫌。だから、常に私が輪の中心に居られるようにっていつも研究してる。
これが、私が決めているマイルール。
このルールのお陰で、私の交友関係はとても良好。寧ろ誇れるレベルで素晴らしいと言っても良いくらいじゃない。
でも。
最近ちょっとだけ気になる事がある。
新しく職場に入ってきた後輩なんだけど、彼女、色んな意味で有り得無い。
空気は読まないし、エチケットも全然なってない。失礼な態度は日常茶飯事で、それについて悪びれる様子なんて一切ない。
私がこんなに気をつけているのに、彼女は本当に自由奔放で迷惑三昧。
最近は限度を超えてきてるから、この辺で一度、注意しておく必要がある気がする。
女性なら、エチケットはしっかりと守れる方が好感度高いわよって。
だから今日、彼女に大切な話があるといって呼び出した。
彼女、面倒くさそうにしながら間の抜けた返事でこう返してきた。「わかりました」と。
まったく。先輩に対して失礼な態度だと腹が立つ。これもきちんと注意しておかなければ。
早速彼女が現れたのを確認すると、取りあえず座って貰ってドリンクを頼む。彼女が愛飲している銘柄は既にリサーチ済み。それと私が気になっていた新作を一つずつ。ここはスマートに私が支払うことにして、早速本題を切り出すことにする。あなたの態度、どうにかならないのって。
「一生懸命頑張っていることは分かるのよ? でもね、その態度。人の目から見てあんまり印象は良くないと思うわ。大事なのは相手に良い印象を与えること。社会人なら分かって当然よね?」
私は何も間違ったことは言っていない。周りが言いにくいこともズバッと言ってあげないと、彼女みたいなタイプは気付かないと思うから、出来るだけオブラートに包みつつしっかりと伝えてあげることにする。そしたら彼女は予想外の言葉を返してきた。
「先輩こそ、いい加減気付いたらどうですか?」
その言い方は大変失礼だと腹が立った。こちらとしては親切心で注意してあげたことなのに、それがさも迷惑だと言いたそうに睨みながら、彼女は嫌みったらしく大きな溜息まで吐いてくる。
「先輩。気付いて居ないみたいなので言っておきますが、貴女のそう言うところ、結構周りは迷惑だって思ってるみたいですよ」
彼女がそう言ったと同時に運ばれてきたドリンク。店員が気まずそうに苦笑を浮かべながらグラスを置くと、そそくさとカウンターの奥へと引っ込んでしまった。
「今だって、何でも完璧にやってあげてるわみたいにしてますけど、私、飲み物欲しいですなんて一言も言ってないですよね?」
彼女は自分の前に置かれたグラスを指差しながら更に言葉を続ける。
「色んな気遣い出来るとか、人に好印象を与えるために何をしろだとか。そう言うの確かに当たり前なのかもしれないですけど、それでも限度っていうものはあると思います。例えばこのグラス。中身は確かに私が好んで飲んでるものですが、今はそれを飲みたいと思っていないのでかなり迷惑です。分かりますか?」
この子は一体何を言っているのだろう。怒りを必死に押さえながら、出来るだけ笑顔を保ちつつ言葉を探す。
「先輩のめまぐるしい努力は尊敬に値するかも知れません。でも、それを他人に押しつけるのはどうかと思います」
反論の余地を与えない。そう言いたげに繰り出されるマシンガントーク。
「私だってTPOって言葉くらいは分かりますよ。でも、それは時と場合によるでしょう? この職場はアットホームな職場です。多少素が出たところで、誰も気には止めませんし、私自身気にもしません」
「あっ……あなた……一体なにをっ……」
漸く絞り出した言葉はそんな一言。ここからどう反撃しようかと考えていると、彼女はこう言い放った。
「アンタのルール。みんな迷惑がってるから」
信じられなかった。
彼女が一方的に語ってくる言葉が真実だとは思いたくない。
私は常に相手に好印象を持ってもらえるよう、最大限の努力を続けてきたはずだ。
現に、誰からも「貴女と話すと気持ちがいいわ」と喜ばれるのだから、それは間違っては居ないはず。
だからみんなにも気付いて欲しかった。エチケットを守る事の素晴らしさを。
しかし、彼女はそれを真っ向から否定する。
「アンタ普段からマナーだのエチケットだの煩いけど、そんなのは一般人なら誰でも空気読んでやってるから。アンタが要求してくるのはそれ以上の余計なルール。それってつまり、アンタだけの独自ルールで、周りのみんなが思ってるようなレベルとは全然違うんだよ」
型が無ければ何もできないなんて可哀想ですね。先輩。
言いたいことを全て吐き出したのだろう。彼女はもう話は無いですねと一言確認を取った後、席を立ち出て行ってしまう。
テーブルの上には手つかずのグラスが二つ。
消えてしまった伝票は彼女が持って出て行ってしまったのだろう。
「……こんな……こんなはずじゃ……」
そもそも、エチケットってなんですか?
去り際に放った彼女の一言が胸を抉る。
「……わからない……わからない……」
私に取っては守るのが当たり前のルール。でも、そのルールを守れない人は確かにい良い多い。だから私は、少しずつそのルールを浸透させようと頑張ってきた。私自身が指標になれるよう、毎日毎日努力してきたのに。
「あああああああああああああああああああっっっっっっっっっっっっっ!!」
何が正しいのか分からなくなった瞬間、私の中で何かが途切れた。
「……あはっ……あははっ……あははは……」
涙が溢れて止まらない。でも、何が悲しいのか分からない。
周りの視線が怖い。
こんなみっともない姿、みんなに見られるなんて恥ずかしい。
でも、その場から動く事が出来ない。
怖くて怖くて仕方無くて、小さく蹲り震えることしかできない。
私は人に会うことが大好きだった。
でも……
今は、人と会うことが何よりも嫌いだ。
だって……どうすれば、相手に良い印象を持ってもらえるのか、何一つわからなくなってしまったんだもの……。
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