第110話 シュレッダー
紙を食べていく機械は、喰らい付いたそれを細かく砕いて、次々に腹の中へと溜め込んでいく。
大切な情報も、こんな風にバラバラになってしまえば、つなぎ合わせて一つにすることは大変で。だからこそ、こんなにも大量な紙屑を、手間暇掛けてこの機械に少しずつ食べさせていくのかも知れない。
先程から黙々と。一人でこの作業を行っているのは、押しつけられた雑用を断れなかったからである。
自身の業務は別にあるのに、気が弱い性格が悪いのか、こんな風にやらなくても良い業務まで請け負ってしまう事は日常茶飯事。やりたくない作業を押しつけた当の本人はというと、さっさと食事をしに出かけてしまい、文句の一つも言えずに、私はただひたすら手を動かし続けている。
一体、どれだけ貯め込んだらこんなにも大量の廃棄情報になるのだろうか。面倒臭いと後に回したツケを今払わされている。まさにそんな状態に思わず大きな溜息が零れてしまった。
「終わらない……」
先程から腹は空腹を訴えているのに、休憩を取ることもままならない。仕方なしに取り出したコンビニ袋の中には、鮭とツナマヨのおにぎりが一つずつと、ホットスナックの期間限定味の唐揚げが一つ。小さなペットボトルのお茶で喉を潤し、作業を続けながらそれらを腹に収めていく。別にお洒落なカフェで昼食を食べたい訳では無かったが、それでもこんな場所で一人寂しく食事をしたいわけではない。偶には椅子に座ってちゃんとした弁当を食べたい。だが、その願いは、この会社に入社して、まだ一度も叶ったことがなかった。
中途採用で入ったせいか、過度な期待に応えられず早々に『使えない人間』のレッテルを貼られてしまったことが不運の始まり。全く作業が出来ないと言うわけではないのに、何をやっても空回りで、なかなか努力を認めてもらえない。それどころか、体の良い雑用係として職場の人間にこき使われるのが当たり前になった今では、上司も現状を見て見ぬふりが続いている。
本当ならば、新しい職場で色んな事に挑戦したいと思っていたのに、その機会もチャンスも何一つ与えられないまま、朝早く出て、夜遅くに帰る。そんな生活がずっと続いている。
これでは、前の職場と何一つ状況が変わっていない。
それでも、状況を改善したいと訴える勇気が私には持てないのだから、結局のところ現状が変わる兆しは全く見つけられなかった。
包装ビニールを手順通り引っ張り中身を取り出すと、冷えたおにぎりを一口囓る。温めなくても美味しく食べられるという謳い文句名だけあって、その味は普通に美味しい。定番の二品だから味が大きく外れることもないのが非常に有り難く、気が付けば二個目のおにぎりに被りついている。
期間限定味のからあげは少し変わり種ではあったが、なかなか体験する事のない味が面白く、思っていたよりは美味しかった。期間中ならもう一度買ってみてもいいかも知れない。中身が消え空っぽになったゴミをコンビニ袋にまとめながら、そんなことを考える。
「……まだ、こんなにあるんだ……」
半分ほどは処理したが、まだ大量に残る紙束に覚えた頭痛。適当まとめた一束に何も考えず目を通してはみても、特に面白い情報なんて見つけられず、再開させる廃棄作業。形有るものが音を立てて壊れていく様は、少しだけ羨ましいと感じ渇いた笑いが零れる。
「何だか、私の人生みたいだなぁ」
一生懸命作成しても、役目を終えたらゴミになる資料と同じように、どんなに頑張って生きていても、何の価値も見いだせず廃棄される使い捨ての駒人間。最重要だとファイリングされ、超期間保存されるようなポジションには、どんなに足掻いてもなれそうにはない。
もしかしたら、もう既に粉砕され、暗く閉ざされた蓋の下から見えもしない光を求めて藻掻いているのかも知れない。そんなこと、叶うはずもないのにと分かって居ながら。
「もう、辞めちゃおうかな」
辞めたところで次の仕事が直ぐ見つかるわけでもないから、それはただ言っただけの情報で終わる。
「あーあ。馬鹿馬鹿しい」
重たい空気を振り切るように、勢いよく頭を振って気持ちを切り替える。気合いを入れるため両頬を軽く叩いて残りの作業を片付けるため次々に紙の束をシュレッダーへと食べさせていく。
ただ無心で、黙々とこなす単純作業。何も考えず、紙束を掴んではシュレッダーへセットし、定期的に引っかかった紙くずを落とすために空回転させていく。
砕けては消え、砕けては消え。
少しずつ削り取られていく情報。
下に溜まる紙の砂は、色んな思いと混ざり合って消えていく。
もう、どこからどこまでが元々の情報だったのか、定かではない。
ただ、塵芥と化したそれは、何の価値も持たないただのゴミだ。
「……私、何をしていたんだっけ?」
最後の一枚をシュレッダーに掛けたところで、私はふと顔を上げた。
ここは一体何処だろう。不思議に思い首を傾げ辺りを見回すが、灰色のコンクリートで囲まれたこの空間に見覚えは無かった。
「……えっと……」
目の前には一台の白い大きな機械。
「そう言えば、何か……」
さっきまで、私は確かに何か作業をしていたように思う。
「消さなきゃいけない何かがあったような……」
ああ、そうだ。
そこで私はある事を思い出した。
外に出してはいけない情報を処理しなくちゃいけないんだったっけ。
もう一度部屋の中を見回すと、隅の方に詰まれている黒いビニール袋の塊が目に止まる。
「あ。そうか」
それを見つけた瞬間、私は嬉しくて思わず満面の笑みを浮かべてしまった。
「私の仕事、ちゃんと、残ってた。良かった」
黒くて重たいビニール袋。その中身を大きな機械に放り込みスイッチを押して機械を稼働させる。大きな音を立てて回る回転刃が、適当な大きさに切り分けられた情報を、更に細かく小さなパーツへと粉砕していく。
赤黒く変色した塊の一部が、機械の外にはじき出され床に落ちるが、そんなことは気にしていられない。
これは、外に出してはならない大事な情報。
語る口を奪われた発信源は、永遠に口を閉ざしたまま存在を消していく。
後に残るのは混ざり合って捨てられる事を待っているゴミ溜まり。
今日もまた、いい仕事が出来た。
もう、自分の名前すら分からなくなってしまった私は、そう言ってゆっくりと胸を撫で下ろしたのだった。
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