第108話 プリン

 あの子はとってもプリンが大好きだった。

 あの子の家に遊びに行くと、いつだって優しいおばちゃんが美味しいプリンを御馳走してくれたのだ。

 僕はクッキーやケーキ、スナック菓子も大好きだけれど、あの子のお家のおやつは、必ず決まってプリンが出る。

 そのプリンはおばさんの手作りらしく、母ちゃんがスーパーで買ってくる、三連パックのお買い得品とは全然違う上品な味がして美味しかった。

 あの子ん家のおばちゃんは、うちの母ちゃんとは違ってとっても優しくて綺麗な人。いつもあの子のことを一番に考えて、あの子に常にべったりで。

 今考えてると過保護だったのかも知れない。

 それでも、あの子はおばちゃんのそんな態度を嫌がったりはしなかったし、僕にも優しくしてくれるおばちゃんのことが、あの子と同じように僕も大好きだった。

 そんな僕があの子の家に遊びに行くようになったのは、小学校三年生の頃くらいから。

 クラスで一人だけ存在が浮いていたあの子に声をかけたのが切っ掛けである。


 一番始めに抱いたあの子についての印象は、クラスの中で一番身長が小さい子だなってこと。

 同じ男という性別ではあったが、体が弱いということもあって、骨格が華奢で女の子のようだったのだろう。

 運動も余り得意な方では無く、どちらかというと読書が好きなようで、いつも教室の隅っこで何かしら本を読んでいたように思う。

 声を掛けたのは罰ゲームに負けたから。

 その時は、家に遊びに行くほど親しくなるなんて思っては居なかった。

 初めて声を掛けたとき、あの子はとても驚いた顔をしていた。怯えるように僕を見る目はまるで、うさぎ小屋で震えるウサギに良く似ている。なるべく警戒されないように適当に話かけると、少しずつだけど返事を返すようになってきた。

 話してみると意外と話が面白い。やはり普段から本を読んでいるからなのだろうか。小学三年生だというのに、色んな事を知っていて純粋に凄いと思ったのだ。

 特にお化けや怪物の話は大好きのようで、少し専門的な事までスラスラ語れるのが羨ましくて仕方ない。月間なんちゃらという明らかに怪しい雑誌が結構好きな僕にとって、こういう話が出来る友達というものはとても貴重な存在。そのことがあったお陰で、僕とあの子は少しずつ仲良くなり、やがて親友と呼べる仲になった。

 あの子の話はいつだって面白かった。

 僕だって、結構色んな話を知っていると思っていたのに、あの子の知識量には全然敵わないのが悔しくて仕方なくて。なんでそんなに色んな事をいっぱい知ってるんだって聞いたら、あの子は恥ずかしそうにこう言ったんだ。

「家でたくさん本を読んでるから」

 それと、インターネットで色んな事を調べてるんだっても言っていた。当時、インターネットが使える家は一般的では無かったから、それを聞いて僕はとても羨ましいと思ったのを覚えて居る。

 あの子の家に招かれたのは、偶々あの子が学校を休んだ日が初めて。

 お前が一番仲が良いんだろうという理由で担任から託されたプリント。それを届けるという大切な使命を果たすため、僕は初めてあの子の家を訪れた。

 あの子の家はとても大きなマンションで、入口に管理人さんが居て来る人をチェックしている感じの建物だ。どうやって入って良いのかが分からず困っていたら、管理人のおじさんが声を掛けてくれて、あの子に連絡してくれた。

 部屋番号を教えてもらいエレベーターに乗り込むと、ワクワクとドキドキで胸が高鳴る。僕の家みたいに安っぽいアパートじゃないから、高い所まで連れて行ってくれるエレベーターに乗っている事が不思議で仕方が無い。

 教えてもらったフロアに着くと、部屋番号を確認しながらあの子の家を探す。

 漸く見つけた扉の前。インターフォンの場所が高くて背伸びしても手が届かないから、仕方なしにドアを叩いてあの子の名前を呼ぶ。

「すいませーん!」

 暫く待つとゆっくりと開く扉。

「あら」

 その時始めて、おばちゃんを初めて見たんだった。


 あの子と僕が友達だと分かってからは、おばちゃんは僕が遊びに来ることを楽しみにしてくれるようになった。

 あの子と遊ぶようになってから気付いたのだが、あの子はとても友達が少ないのだ。少ないというより、居ない。そう表現した方が良いほど、親しい付き合いの子がいる気配が無い。

 家に遊びに行くたびおばちゃんは、「この子と遊んでくれてありがとうね」と僕の頭を撫でてくれる。兄弟が多く騒がしい僕の家と比べると、一人っ子で優しいお母さんがいるお金持ちのあの子は、色んな意味で特別な存在だった。


 確かに、あの子は、僕にとって特別な存在だったんだ。


 でも……いつの間にか、僕たちの距離は遠くなってしまっていた。

 学年が上がりクラスが変わると、僕があの子と遊ぶことは少なくなっていった。

 あの子が僕を迎えに来ても、僕は他の友達と約束があると言ってあの子の誘いを断るようになってしまったのだ。

 そうやって少しずつ一緒に居る時間が少なくなってしまった僕とあの子は、いつしか全く会うことがなくなり、そして…………僕はあの子の存在を完全に忘れてしまっていた。


 僕があの子のことを思い出したのは、同級生からの連絡を貰ってから。

 久し振りに会った彼等は、姿は大分年をとったが、どことなくあの頃の面影を残し懐かしいと感じる。当たり障りのない近況報告から、段々と懐かしいあの頃の記憶を紐解くように、思い出を懐かしみ酒を楽しむ。

「そういやさぁ……」

 酒の力もあったからだろう。程よい心地よさに煽られ何となく口にした言葉。

「三年の時さぁ、居たじゃん? 地味で目立たないやつがさぁ……」

 一方的にあの頃の思い出を語っていた僕の言葉を遮ったのは、隣で飲んでいた友人だった。

「なぁ……お前さぁ、知らねぇの?」

「ん?」

 目の前の串焼きを手に取り被りつきながらどういう事かと先を促すと、彼は気まずそうに顔を背けながら、小さな声でこう答える。

「あいつさ……亡くなったんだよ」


 俄には信じられない話が彼の口から語られる。


「え? ちょっ、待てよ!!」

 余りにも衝撃が大きかったせいだろう。ほろ酔い気分なんて何処かに吹っ飛び、楽しかった酒を煽る気にもなれない。

「お前、それ、本当の話じゃねぇよな?」

 信じられないと言いたげに友人に詰め寄ると、彼は残念そうに首を横に振ってみせるだけ。

「あのオバサンさ、アイツの本当の母ちゃんじゃなかったんだってさ」

 これ以上口を開かない友人の代わりに、向かいに座る同級生が重たい口を開いた。

「俺も後から知ったんだけど……アイツ、なんか、ガキんころ誘拐された子供だったらしくてさ……あのオバサン、本当の母ちゃんじゃなかったんだと」


 僕の記憶の中では、あの子とおばちゃんはとても仲が良く見えていた。


「で、お前とクラスが別れてから疎遠になってたじゃん?」


 いつだって暖かく向かい入れてくれて、あの子と遊んでくれることに有り難うって言ってくれていたのに。


「その事で、アイツがオバサンと喧嘩したらしいんだよね」


 おやつには、あの子の大好きなプリン。あの子の分と僕の分。決まって二個、用意されたガラスのカップ。


「何だったっけかなぁ……僕も、みんなと遊びたいとか……そんな感じの事だったかなぁ……」


 残酷なのは子供の悪戯。好奇心の代償は、一人の人間の命。


「それで、大喧嘩になったらしくて、そのまま……事故で……」


 この話は一体、どこまでが本当の事かは分からない。

「……嘘……だよな……?」

 無意識に手に取ったスマートフォン。登録されても居ない番号を呼び出そうと、指が勝手に画面を触る。

「俺たちも詳しいことはわからねぇけどさ……」


 もう、あいつが居ないって事だけは事実なんだ。


 コトリ。小さな音を立てて置かれた一つのカップ。

「これ、注文してないっ……す……よ……」

 誰が頼んだのか分からないそれは、どこかで見たことのあるようなカスタードプリン。

「ちょっ……」

 振り返っても、これを持って来た店員の姿はどこにも見あたらない。

「…………」

 そのプリンは、あの子が大好きだったプリンと良く似ている。

 濃厚な甘みと芳醇なバニラのいい香り。ほろ苦のカラメルソースが味のアクセントで、少しだけ大人の気分を味わうことが出来た贅沢な一品。

 でも、僕はそれを食べる気にはなれない。

 もう二度と、どこにも居ない友達が僕と一緒にプリンを食べることはないのだと言う事を理解した瞬間、悔しくて涙が溢れて来たのだった。

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