第104話 ガラス

 彼女は人の手に寄って形作られた精巧な人形である。

 模造された生命は、一見すると本物の人であるかのように見えるほどの完成度だ。

 しかし、所詮模造されたものは模造品でしかなく、本物にはどうしても入れ替わる事が出来ない。

 その証拠に、彼女の瞳は何の像も写す事は無かった。

 いや。

 何も写してはいないという表現には語弊がある。

 彼女の瞳は記憶媒体なのだ。見た映像を記録しているという意味では、確かに像を写してはいることにはなるだろう。

 しかし、その像を見て何かを思うと言うことは、彼女にとっては自然な事ではない。

 そもそも、彼女には『感情』というものが存在しない。0と1の配列で組まれた演算子が導き出す反応は、学習するように組まれていたとしても結局、予め答えが用意されているパターンの集合体にしか過ぎない。与えられた課題に応じて、最も最適な応対を行うように実行権を与えられているのだから、そこに自由意思というものが存在しているのかどうかも怪しいのである。

 ましてや彼女の瞳は高性能のカメラレンズ。どんなに人を模造しても、中身が機械である以上、何処かに必ず綻びが存在してしまう。

 そう。それはまるで、透明な硝子のように。映し出された向こう側にあるものは現実の物ととてもよく酷似しているのに、小さな罅が入ってしまえば、呆気なく崩れ落ちて跡形も無くなってしまう。そうなってしまえば修復など到底不可能。だからこそ、彼女はとても慎重に扱われているのだ。

 そんな彼女だが、残念ながら半永久的に動き続けるということは不可能のようで、内臓されている動力源にも活動限界は存在している。

 人間で言うところの寿命という時間は思った以上に短く、どんなに上手く調整しても、一日を立たずして活動停止をしてしまうのだ。そのため、毎日決まった時間にガラスケースの中で動力源を充填する必要が有った。

 当然のことながら、バッテリーは充電を繰り返す度に摩耗し、蓄電をする時間を少しずつ減らしていく。メンテナンスと称して彼女の中を開く度、これは模造された機械なのだと言うことに気付かされ複雑な気持ちになるのは仕方のない話である。

 何度目かの定期メンテナンスで彼女の身体の中身を最新のパーツへと取り替えていく。配線に注意しながら、基盤の型番を確認し丁寧に差し込み繋げていく作業。始めの頃は壊してはいけないというプレッシャーからもたつく手で必死に作業していたのだが、最近ではそういう感覚も大分薄れてきた。

 人ではない人の形をした何か。

 その中に手を突っ込みかき回しているという光景は、どことなく甘美な背徳感を感じさせる。

 それと同時に込み上げてくる吐き気。

 おぞましい臓物の感触が指先に触れないことだけが唯一の救い、ということだろうか。

 何も考えずに淡々と手を動かし、最後に残ったバッテリーをセットしようとしたところで奇妙な感触に驚いた。

「?」

 指先に触れた小さな突起物。それが何だと目視で確認すると、小さなガラスの破片である。

 精密な機械の中にこんな物が混ざっていること自体有り得無いと首を傾げるが、取り出して確認してみてもやはりそれはガラスの欠片に間違い無い。

 どうやら割れてしまったものの一部のようで、断片が歪に削れてしまっている。

「危ないなぁ……」

 この他にも無いか確認し、大丈夫であることが分かったところで被せるスキン。

「明日から、また頑張ってくれよ」

 ガラスケースの中に座らせ、項にケーブルを繋げると、ケースに鍵を掛けて部屋を出る。

「全く……。金持ちの考えることはわかんねぇや」

 雇われただけの作業員だから、何故そんな精巧な人形を必要としているのかは分からないが、それでも彼女は此処に在る。ガラスケースの中で、情報を与えられるまで世界を隔絶して。

「ガラス……捨てなきゃな」

 彼女の中から出て来た小さな欠片は、ケガをしないようにハンカチに包んだ状態だ。広げてゆっくりと眺めてみると、何だかこれが、彼女の流した涙のように思えて首を振った。

「……いやいや。まさかな」


 彼女は人の手に寄って形作られた精巧な人形である。

 模造された生命は、一見すると本物の人であるかのように見えるほどの完成度だ。

 しかし、所詮模造されたものは模造品でしかなく、本物にはどうしても入れ替わる事が出来ない。

 その中に、確かに感情や意思というものが存在していたとしても、それは用意されたプログラムの一部。

 だからこそ、彼女は涙を流すのだろう。

 流れ落ちる雫とは異なる、皮膚を裂くための歪なガラスの涙を。

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