第102話 報告書

 手渡されたのは一冊の報告書。

「……………………」

 そこに記載されている言語は、残念ながら私には理解が出来るようなものでは無い。

 それでも私は、『それを理解している』かのように演じ適当に相槌を打ち、指示を出す。

 それは偏に、『私が殺されないための予防策』でもあった。


 私は、とある偶然からこの妙な施設で働く職員となってしまった。

 そろそろバイトなどではなく、正規雇用で安定した職業をと思い手にした求人誌。適当にページを開き目に止まったのがこの職場の情報だ。

 条件は普通、資格の有無は緩め。自宅から職場までの距離も許容範囲のその求人内容で、最も気に入ったのは給料面。業務内容は主に工場での実務となっていたが、その金額は今までで見た中でも破格の数字が記載されている。

 勿論、その内容を疑わなかったわけでは無い。だからこそ、この求人の内容に嘘、偽りがないかをしっかり吟味はしたつもりだ。ネットの口コミでは優良企業であること、実際に近くまで視察に行ってみれば、周囲の雰囲気がとても良いこと。逆にマイナス意見を見つける方が難しいのではないかと思ってしまうほどのホワイトな内容に、取りあえず応募だけはしてみようと思いアポを取った。

 入社試験は驚くことに書類提出と面接のみで、持ってきた履歴書に目を通しながら幾つかの質問をされてお終い。聞かれた内容は主に、当社の事をどうやって知ったのかや、当社に入って何をしたいのかなど、お決まりのテンプレートに沿ったものが殆どだった。

 そうやって、数日後には採用通知を貰い、呆気ないほど簡単にこの会社の社員となることができたのである。

 仕事の内容は、製造ラインの末端作業というところ。食品加工業の工場のため、衛生面にはとても気をつける。毎日が同じルーチンワークではあったが、幸い、それが退屈だと感じる事は無い。逆に、最低限のルールさえ覚えてしまえば、後は難しい事を考えないで済むと言うところが、私の性格と上手くマッチしたようで、仕事は思った以上に楽しいと感じられるものだった。

 そうやって、勤続日数が週単位、月単位で増えていき、いつの間にか中間管理職に。今では製造ラインの統括を任されるポジションに収まる事になってしまったのだった。


 中間管理職となった私が一番困ったのは、この報告書の問題である。


 今までは私が報告書を書き、上司に提出するだけで終わる一方的な関係だったのだが、部下が出来たお陰で、私自身も報告書を受け取る事をしなければならない立場になってしまった。

 報告書は日本語で書かれているものが殆どであるが、中には何語なのか分からない言葉で書かれている物も存在している。

 こういう仕事場なのだ。多国籍の従業員事情も相まって、様々な言語が入り交じっているのは仕方ない。普段の会話だけなら、辿々しい英語とゆっくりと話す日本語。それに身振り手振りのジェスチャを加えればある程度のコミュニケーションは取れる。

 だが。文字となると話は別だ。

 英語ならまだ良い。辞書と翻訳アプリを駆使して内容を読みとめば良いだけの話だから。英語に類似している言葉や、中国語、韓国語なども翻訳アプリの精度が高いためまだ理解は出来る。しかし、翻訳アプリを駆使してもどうにもならない言語も確かにある。それが、どこの国の言葉なのかがまず分からないし、そもそもどうやってその文字を打ち込めば良いのかが分からないという問題が常に頭を悩ませていた。

 勿論、本人に聞いてみたことはあるのだが、報告書を作成した当人がIT機器に弱いせいか、問題は全く解決する兆しが見えない。

 だからこそ、私は適当に話を合わせ、彼の行動や言動に併せて指示を出すというスキルを身につけたのだった。


 その報告書が明らかにおかしいと事に気が付いたのは、今の役職に就いて三年が経った頃だろうか。

 報告書を作成する担当者自身、いい加減日本語に慣れてきたようで、読めない文字の羅列の間に所々日本語が混ざるようになってきた。

 勿論、上に上げる報告書は彼の書いた原本がそのまま提出されるのだが、日本語が混ざる報告書は上司である私のために特別に作成してくれている物だということは理解している。

 ただ、その文字がどれもこれも物騒な単語なのは気にはなっていた。

 勿論、この会社は食品加工業だ。

 私の担当する部署では見る事は無いが、解体される前の素材が同施設内で屠られている可能性は否定できない。それでも、私自身、その現場を直接見たことはないし、今後見る事も無いだろうと高を括っていたのは否定出来ない。


 でも、この時に気が付くべきだったのだろう。

 どうして、部下が担当部署以外の内容を報告してくるのかという違和感に。


 報告書の内容を理解した瞬間、私は目の前が真っ暗になった。

 気付いてはいけない事実というものは、実は直ぐ近くにあるのだという事を思い知らされる。

 しかし、それを理解したことで納得したことも確かにあることは間違いない。

 その事実を目の当たりにしたときに感じたのは、純粋な恐怖だった。


 製造ラインに乗せられた食材は、一体何を原料にしているのか。

 今はそれを考えないようにしている。

 仕事を淡々とこなしていれば、給料を貰い元の世界に戻れるのだ。

 踏み込まなければどうって事は無い。気をつけるのは業績が著しく悪化しないように管理することだけ。

 だからこそ、この読めない報告書を見る振りをしながら、目の前に立つ部下の態度で内容を予想し指示を出す。

 彼は多分試しているのだろう。

 私がどこでミスを犯すのかという事を。


「それじゃあ、私はこれを上に提出してくるから」


 今日も無事、生き延びることが出来たと胸を撫でる。

 明日はどんな報告書がやってくるのだろう。

 背後で感じる歪な笑いに怖気を感じつつ、私は上司の元へと向かったのだった。

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