第58話 キーホルダー

 それは、世界にたった一つだけのキーホルダー。

 何故ならそれは、ハンドメイドで作った物だから。

 どうしても欲しくて堪らなくて、自分でデザインして作ったアイテムは、昔から好きなゲームのキャラクターのイラストがプリントされたアクリルプレートが付いている。

 そんなに絵が上手い訳では無けれど、長年描き続けていたお陰か、そのキャラクターだけは模写が得意になっていて。そのお陰で漸く作る事が出来た小さなアイテムが、個人的にはとてもお気に入りだった。

 流行廃りが早いアニメや漫画と違ってゲームは意外と息が長いから、少し前のソフトでも、そのキャラクターを知っている人が居たりする。何なら、「そのキャラ、私も好きです」って言ってもらえたりもして、その度にこのキーホルダーを褒めて貰えるから、頑張って作って良かったって嬉しくなる。

 でも、世界でたった一つのキーホルダーなんて、良い事ばかりな訳がない。

 複製品が存在しない以上、それが欲しいと願った人間からしてみたら、所有しているあいてに対して嫉妬はどうしても感じてしまうのだろう。

 素直に羨ましいと褒められるだけじゃなく、中には「そんな物を勝手に作ってもいいのか?」といった妬みや悪意を向けられることもあった。正直なところ、私一人が大切に愛でるだけなのだから、何の問題も無いとは思うのだが、それでもそれが一品ものである以上、予想外のところでトラブルというものは起こってしまうらしい。

 あれほど褒められて嬉しかったキーホルダーは、見せる度に傷が増え、場合によっては暴言と共に返される。そんなことを繰り返していると、段々とそれを持つことがストレスだと感じるようになってしまった。

「…………ごめんね」

 大好きで大好きで仕方が無いのに、持ち歩く度に傷つけられる心が先に悲鳴を上げてしまう。

「本当はずっと持っていたい。一緒に色んな所に行きたいよね」

 印刷された透明な板の中で笑う小さなキャラクターに向かってそう呟きながら、大粒の涙を流す。

「でも、無くしたくないし、壊されたくないから」

 作った頃よりも増えた傷を指でなぞりながら、何度も何度もごめんと繰り返し決めた決断。

 こうやってこのキーホルダーは鞄の奥底で長期間眠ることになってしまったのだ。


 そんなキーホルダーの存在を思い出したのは、数日前の話である。

 学生の頃、大好きで作った一品物のキーホルダーがあることなんて、ここ数年ずっと忘れてしまっていた。もちろん、未だにそのゲームもキャラクターも好きなことには違い無いのだが、あの頃よりは随分と好みも変わってしまっているのも事実。今、そのゲームを起動しても、「懐かしいな」と感じるだけで、あの頃のように盲目的にキャラクターのことを好きだと錯覚する感覚は薄い。それでも、部屋の片付けの際手に取ったゲームのパッケージに、昔作ったキーホルダーの事を思い出させられたのは本当に偶然のことだった。

「そう言えば、あのキーホルダー……」

 鞄の奥底に押しやってから一度も日の目を見る事の無くなってしまったアイテムのことが懐かしく、あの頃使っていた鞄を引っ張り出す。誰にも気付かれないように、内側の隠しポケットの中にしまったことは覚えて居るため、鞄の中を見ながら指に伝わる堅い感触を探し手を這わせた。

「…………あれ?」

 どうしたことだろう。確かにそこから取り出したりはしていないのだから、そのアイテムは長年この鞄の中に在り続けているはずだった。

「無い?」

 それなのに、そのアイテムの堅いアクリル板の感触が、全く指に伝わって来ないのだ。

「え? 何で??」

 今まで思い出すこともしなかったのに、それがないと分かると焦ってしまう。慌てて鞄をひっくり返し、何度も振って本当に紛失してしまっているのかを確認してみるが、ポケットの中に引っかかっている様子はなく、鞄中身が空っぽの状態は間違いないようだった。

「嘘…………」

 どこでなくしてしまったのだろう。

 記憶を辿ろうとしても、最早それは不可能に近いものになっていた。


 有る。と思っていたから何も思わなかった事でも、無いと分かると不安になってしまう。始めて自分で作った思い出の品なだけに、その喪失感は言葉に出来ないほど大きい。

「どこ行っちゃったんだろ……」

 勝手に自分で見えない場所へと押しやったのに、出てきて欲しいと願うのは我が儘だろうか。

「…………はぁ……」

 空っぽの鞄をぼんやりと眺めながら大きな溜息を吐いたときだった。

「おーい、入るぞー」

 その声が聞こえてきたと同時に部屋のドアが開き、反射的に顔を上げる。

「あ。お兄ちゃん」

「おう」

 声のする方へ顔を向けると、部屋の中に入ってきた兄がゆっくりと近付いてきたのに気が付いた。

「お前、これ」

「あっ!」

 兄の手の中にあったのは、探していたキーホルダー。

「お兄ちゃん! これ、どこにあったの!?」

 兄の腕を掴みながらそう問えば、床に落ちていたと部屋の外を指さされてしまう。

「ってか、駄目だぞお前」

「え?」

 ふと、兄の声のトーンが低くなった気がして身を離した瞬間だ。

「大事なものはちゃーんと、大切にしてやらないと」

 距離を取ろうと後ずさるのを遮るように、素早く兄の手が伸び私の腕を鷲掴む。

「大好きだったんだろ? 形にするほど大切にしていたんだよなぁ?」

 兄の大きな手に入る力が徐々に強くなる。腕に指が食い込むせいで鈍い痛みが走り涙が出てしまった。

「こんなになるまで放置しちゃあ、駄目じゃないか」

 目の前に突きつけられたキーホルダーは、ゆらゆらと兄の手の下で揺れている。

「傷が一杯ついて、絵も掠れちまってさぁ。可哀想だと思わねぇ?」

 絵柄が私の方を向く度に、汚れてしまったキャラクターの歪んだ顔が少しずつ変化していく。

「大事にしたいからって大切に保管してたとしてもよぉ、忘れちまったら意味ねぇんじゃねぇの?」

 くるくる、くるくる。小さなアクリルプレートの付いたキーホルダーが宙で揺れる。

「忘れられる方の気持ち、お前、分かってんの?」

 アクリルプレートの向こう側で、穏やかな笑みを浮かべた兄が私を見ていた。

「忘れちゃったら駄目だろ? なぁ」


「あ」


 私は気付いてしまった。

「…………い…………いや…………」

 アクリルプレートの歪んだイラストと、目の前の兄はどことなく似ている。

「はな……して…………」

 そもそも、私に「兄」なんて、居ただろうか。

「大切にしたいなら、ちゃんと最後まで丁寧に扱わないと。そうだろ? なぁ」

 兄の手から離れたキーホルダーが床の上に転がる。


 私の目の前には、描いたイラストに雰囲気が良く似た、全く知らない男が一人。

 その人は、恨みがましい目で私を睨み付けると、振り上げた拳を私に向けて、思いっきり振り下ろしたのだった。

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