第51話 トロフィー

 俺は才能がある人間だ。

 昔から器用で、何でも器用に出来るのが自慢だった。コンテストやコンクールの入賞も常連だったし、頼まれごとも多く一目置かれる存在。

 それが当たり前だったし、実に心地良かったのは事実である。

 何でも出来る完璧な人間であるせいか周りには常に人が居て、人との出会いに苦労することは滅多に無い。才があれば不思議と人や金は集まってくるものらしい。近付いてくる人間の中には下心が見え隠れすることも多いが、それでも常に自分が輪の中心に在ることは嬉しかったし嫌な気は全くしなかった。

 そんなもんだから当然、付き合う女性に苦労したことも無い。

 友人からは羨ましがられるが、それでも相手の見る目は間違いが無いだろう。世界中に居る男の中で俺を選んだこと自体素晴らしい訳だし、それは何も間違いでは無い。当然、俺の彼女になる女性は俺と同じレベルの素晴らしい人間ばかりで、俺の隣には常にハイスペックな彼女達が寄り添い支えてくれていたことが自慢だった。

 そんな人間関係を築いている俺だが、勿論、付き合ったことのある女性の中には強烈な印象のを持つ人も存在している。それが、最近別れたばかりの彼女。彼女は、やたらと気の強い女だった。

 元々、気質や性格が似通っていたのだろう。互いに成功者で自信に満ちあふれていたせいか、反発も多々あった。意見の食い違いや、好みの相違、時には手や足の出る喧嘩もあったが、それでもそれなりに良好な関係を築けていると思っていた。

 少なくとも、俺自身は彼女の事を気に入っていたし、愛してると伝えても居る。偶に起こる癇癪も時経てば可愛いもので、それすらも愛おしいと思っていたのだから、将来の伴侶として真剣に考えていた程には惚れていた。

 だが、その関係は突然終わりを告げることになる。


「貴方、本当に最低な人なのね」


 突然告げられた別れの言葉と共に彼女が放った一言。『最低』とは一体、何を指して言った言葉なのだろうか。それが分からず、ドスの効いた声でぶっきらぼうに言葉を返してしまう。

「そういう所よ」

 もう慣れたものなのか、彼女はそんな俺の反応を尻目にシガーケースから一本、スリムな紙煙草を取り出し咥え、火を点けた。

「貴方、女性のことを何だと思ってるのかしらね」

 真っ赤に引かれた口紅が、紙煙草のフィルターに薄く色を付ける。セクシーな口元から溢れ出る柔らかで滑らかな煙。

「私は貴方のアクセサリーじゃないの」

 不満そうに。彼女は冷たい視線でこちらを睨むと、すらっとした綺麗な薬指からダイヤのリングを外す。

「もうこれ、私には必要無いから」

 コレでオシマイ。突きつけられた最後に引き留める間も与えられないまま、彼女は俺に背を向け歩き出してしまっていた。

 慌てて手の伸ばし腕を掴もうと動くのに、それを嘲笑う蝶のように、彼女は指の間をすり抜け消えてしまう。こうして、逃してしまった宝石は、一瞬にして俺の目の前から消えてしまったのだった。


 初めてだった。

 何故なら、別れを切り出すときは必ず、俺の方から相手へサヨナラの言葉を告げていたから。

 それなのに、手の中に残されたたった一つのダイヤの指輪が、虚しい輝きを放っている。

 その持ち主だった相手は、もう此処には居ない。それがとても悔しくて仕方が無かった。


 まるで、完璧だと思っていた人生に泥を塗られてしまったと感じる程の敗北感。やりきれなさが怒りへと変わるまでそう時間はかからないだろう。

 見返してやりたい。

 そんな思いだけが強くなっていく。

 だからだろう。より強い成功を求めるようになってしまったのは。


 とは言え、俺は元々才能のある人間だ。人生イージーモードというわけではないが、やろうと思って出来ない事の方が少ないのだから、想定以上の結果を出すことなど朝飯前で。成功すればするほど俺の地位は高まり、質の良い人間ばかりが周りに集まってくる。思い上がり? 結構だ。それで結果が出せればそれが正義なのだから。確かに、彼女に別れを切り出されたときは「何故俺が、あんな女ごときに」と思いはしたが、それももう過去のこと。煌びやかでトロフィーのような報酬を得れば得るほどそんな失敗は過去のこととして、少しずつ記憶の海に沈んでいく。

 いつしか、彼女に言われた言葉自体、頭からすっかり消え去ってしまっていた。


「…………ふぅ」

 家賃が幾らなのか考えたこともないマンションの最上階。ワンフロアをまるごと買い取り自宅として使っているそこからは、地上の星が美しく煌めいているのが見える。ガラスの向こう側で忙しく動き回る明かりを眺めながら、手に入れて寝かせておいたワインの栓を開き、ワイングラスを傾けながら贅沢な時間を楽しむ。ベッドの上には先程まで共に乱れていた相手の女性。まだ残る柔肌の温もりと気怠さを引き摺りながらぼんやりと外の景色を眺めていた。

「…………はぁ」

 今の生活に不満があるのかと言えば、そんなことは無いはずだと首を振るのに、最近では溜息を吐く回数が増えていることに気が付く。なにかが足りないという感覚。埋まらない隙間だけが年と共に大きくなっていくような感覚がとても気持ち悪い。

「……………………」

 持っていたワイングラスをテーブルの上に置き無意識に開く引き出し。ずっと奥の方に隠されている小さな指輪ケースを取り出しゆっくりと開く。

 人工的な光を受け、キラキラとプリズムを放つ小さな宝石。

 それを捧げた相手は、此処には居ない。

 どれだけ成功を収めても、その指輪を嵌めた相手に叶う者は何一つ見つからなかった。

 それを認めたくなくて、ずっと見て見ぬ振りを続けてきては居たが、こんな風にふとした瞬間、その人の残像が現れ記憶の扉をこじ開ける。

「……最高の女だった、なぁ…………アイツは」

 そう。それは、何者にも代えがたい唯一のトロフィー。傍にあるだけで俺の全てを引き立てる、史上最高のパートナー。だから好きだった。手放したくなかった。彼女という存在の全てが、俺にとって必要なものだったのに、何故その関係は壊れてしまったのだろう。

「あんなに愛してやったのに」

 俺なりに、一生懸命愛した。それだけは真実。

「簡単に裏切りやがって」

 不器用だったかも知れない。それでも、こんなにも溺れた女性はあの女、唯一人。

「マジで、許せねぇ……」

 苛立ちを感じ、乱暴にケースを投げると、開いたままの雑誌のページに当たってバウンドした。

「…………なん……だ……と……」

 その記事は、特に気にして見て居たものでは無かった。だからこそ、こんなに驚いてしまったのだろう。

 見開きで組まれた特集記事。そこに大きく切り取られているのは、指輪を贈って突き返されたあの時の彼女の姿。

 記憶の中の印象より少し年を取ってしまっているが、今でも美しく、そしてとても輝いている。

 その顔に浮かぶのは自信で、今がとても充実していると言いたげな満足げな笑みをどの写真でも浮かべているのだ。

「…………クショウ……」

 どんなに成功を収めても満たされない心の隙間を俺は抱えて言うのだというのに、俺を捨てた女はとても幸せそうに笑って居るだなんてどう言うことだろう。


『貴方、本当に最低な人なのね』


 あの時に向けられた冷たい視線。それが今になってグサリと心に刺さる。

 こんな筈ではなかった。この女が幸せそうに笑うのが許せないと感じると同時に、その隣に居るのが俺では無いという事実に強い殺意を覚えてしまう。

「お前一人が幸せになるのは許さない」


 だって、お前は、俺のためのトロフィーだろう?

 装飾品が自己を持って、自分勝手に幸せを掴み取ろうとするなんて、いくら何でも傲慢過ぎる。


 そうだ。もう一度、手に入れよう。

 捕まえたら今度こそ、絶対に逃がしはしない。


「はは…………はははは…………ははははっ」

 

 そうだ。それが良い。きっとアイツもそれを望んで居る筈だ。

 床の上に転がった指輪ケースをゆっくりと拾い上げると、俺はもう一度、そこに収まるリングを眺め口角を吊り上げる。


「待ってろよ。今、迎えに行ってやるからな」


 今度こそ、この指輪は、永遠にお前だけのものにしてやる。

 喉の音でなるクツクツと言う笑い声。キッチンへ戻ると、ナイフを片手に寝室へ移動する。

「先ずは、邪魔なゴミを片付けなければだな」

 シーツの海で微睡みを貪る柔肌。それを名残惜しそうに指でゆっくり辿った後、俺は持っていたナイフをそれに思い切り突き立てた。

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