第47話 桜

 春になると綺麗な桜が楽しみだ。

 淡いピンク色の花弁が、風にゆられ空を覆い隠す。はらはらと舞い散る儚い吹雪が、足下に春色の絨毯を敷き詰めとても綺麗で。だから春という季節がとても楽しみで仕方が無い。


 そんな風に春と桜のことについて感想を述べたら、友人はとても驚いたような表情を見せた後、困ったように首を傾げて見せる。

 その反応が不思議でどうしたのかを問いかけてみると、友人はこんな風に桜について語ったのだった。


 正直、桜の時期が三月から四月ということに、余り実感が持てないんだ。

 何故なら、桜は一月から二月の寒い時期に咲く花だから。

 花の色も薄く淡いピンクなんかじゃなくて、もっとハッキリとした色の濃いピンクだし、花弁が風に吹かれて舞うなんて事は絶対に無い。何なら、花ごとぼとりと落っこちるから、そんな綺麗な光景は見たことがないんだよね。


 その話を聞いたとき、何を言っているんだと驚いてしまった。

 桜の季節は春が普通だと思っていたし、そんな桜があるなんて聞いたこともなかったから。


「でも、まぁ、桜の種類が違うんだ。馴染みが無くて当然って感じだよな」


 友人がそう言って笑ったことで漸く理解する。

 出身が異なるから、楽しむ時期も種類も異なっているのだと言う事に。


 幸いにも、その違いを友人が悲観することは無かったし、それよりもこちらの桜に興味を持ち、桜の時期が楽しみだと笑ってくれたことは嬉しかった。

 桜が綺麗に咲いたら花見に行こう。

 そう交わす約束に、二人しておかしそうに笑う。

「そう言う感じの花見って、メチャクチャ憧れてたんだよ」

 友人は、既に、その時期が来るのが楽しみらしく、何を準備しよう、どこのスポットがオススメなんだと既に未来の予定に夢を膨らませてしまっていた。

 こうなってくると、こちらとしても準備は完璧にしたくなるというもの。無駄な対抗意識からか、絶対後悔して欲しくないという義務感からか、普段は適当に愛でてる桜スポットを選択するつもりは無く、穴場的なオススメスポットをコッソリネットで検索してみる。

「そういやぁさぁ……」

「ん?」

「こっちの桜って、やっぱ毛虫とかも多いの?」

 レジャーシートに、一ケースのビール。おつまみはスナックにするかデリバリーを取るか。そう言う話題を挟みながら不意にかけられた問いかけ。

「うーん……一応、毛虫いるっぽいよ」

「あー……やっぱ、そうなんだ」

 相手が植物である以上、どうしてもそれに寄生する生き物も存在する。完全に排除することは難しいから、適度に付き合っていかなければいけないのは仕方のない話だ。

「苦手?」

 自分自身、虫がとても好きというわけではないが、今まで花見をしている時に毛虫に襲われた経験は、幸いな事に一度も無い。

「苦手っていうか……やっぱ居るよなぁって思って」

 非常に曖昧な言葉で濁した友人が、それについてどう感じているのかは分からない。ただ、毛虫がいるから花見は辞めると言う訳ではなさそうなので、単純に興味で聞いた質問だったことは何となく理解した。

「……じゃあさぁ……桜の下に死体が埋まってるって話は、こっちでもあったりする?」

「え?」

 スマフォの画面から顔を上げると、真剣な顔でこちらを見て居る友人と目が合う。

「……ま、まぁ、噂程度にはそう言う話もあると思うよ」

「……ふぅん」


 桜の下には死体が埋まっている。


 誰が言い出したか分からない都市伝説は、いつの間にか当たり前のように傍に寄り添う怪奇奇譚となっていて、一部では本当のことだと噂されるような有名なものになっている。

 実際、桜の根元に死体が埋まっているかどうかは分からないし、元ネタは明治時代の小説家の短編だという話もあるのだから、面白おかしく脚色された結果、尾鰭がついた娯楽となっているのが真実なのだろう。

 それでも、こういう話題が好きな人間は一定数居て、確かめることの出来ない不可思議に好奇心をそそられてしまうことを否定するのは難しい。

「まぁ、自分は見たことはないし、どの桜に埋まってるとか聞いたこともないんだけど」

 少し空気が重くなりそうな雰囲気を察知したからか、無意識にその話題を避けようと言葉を続けた時だった。


「俺さ。昔、桜の木の下で幽霊を見たことがあるんだよね」


 友人はそう言って寂しそうに笑う。

「それって、桜を見て居た人を幽霊と見間違えたとか……そういうもんじゃないの?」

 ただの噂が真実になるなんて予想外も良いところ。それは気のせいだろうと否定しようとすると、友人はそうじゃないと首を振り、こう言葉を続けた。

「あれは絶対、生きている人間じゃねぇんだよ」


 その幽霊を見たのは、月が綺麗な夜のこと。

 友達の家で夕飯をご馳走になり、家に電話して急いで家路を歩いていた時だった。

 まだ肌寒さを残す空気が、食事を終え体温の上がった身体から熱を奪うようにしてまとわりつく。そんな季節だというのに、公民館に植えられた紅色に近い桜はとても綺麗に花開いていて満開で。外灯の光りと月明かりの中で小さく揺れて綺麗だった。

 道はまだ砂利が残る状態。暗がりで足元が覚束ないため、転倒しないように注意しながら進んでいると、ふと、妙な気配を感じ顔を上げた。

「だれ?」

 目の前に誰かが立っている。それに気が付き反射的にかける声。

 その人は、じっと満開になった桜の枝を眺めながら、ただそこに佇んでいた。

「……変なの」

 声を掛けたのに返事がない。そのことを残念に思いながら、すれ違い様かけた言葉は「こんばんは」。普段から両親や祖父母に挨拶だけはキチンとしなさいと教えられていたせいか、それは極自然に出てしまう行動だった。

「……綺麗、だね」

「え?」

 完全にその人の脇を通り過ぎた時に、ふと声を掛けられ立ち止まる。

「桜だよ」

 先程まで桜を愛でていたその人は、いつの間にかこちらに身体を向け、寂しそうに笑っていた。

「桜……」

 友人は振り返り、その人が指を差す桜へと視線を向ける。確かに、言葉通り月夜に浮かぶ満開の桜は、とても綺麗で美しいとは思った。

「こんな風にゆっくりと桜を愛でる事なんて、昔は出来なかったもんで」

 どこまでも穏やかな低い声。見ず知らずの人だったが、その人に悪意が無い事は何となく理解できる。

「明日もたぶん、咲いてるよ、桜」

 何もこんな寒い夜にゆっくり見る必要は無いんじゃないのか。そう思ったからか、ふとそんな言葉を呟いてしまった。

「どうせなら、天気良いときにじっくり見たらいいんじゃないですか?」

 その言葉は親切心から出たものだ。

 しかし、その人は寂しそうに笑うだけで、「そうだね」とは答えてくれなかった。

「ぼく、もう帰るから」

 さようなら。そう頭を下げ背を向けたところで始めて気が付く違和感。

「……あ」

 それに気が付いた瞬間、怖いと思い駆け出していた。


「……でもさぁ……後で気付いたんだよね」

「何が?」

 友人は、その時の行動を今でも悔いていると、悲しそうに呟く。

「あの人着ていた服な、軍服だったんだよ」

 所々血に染まり、焼け焦げ穴の開いたぼろぼろの服。それを纏い、寂しそうに笑いながら見上げていた満開の桜。

「それに、桜の木の周りには、その人だけじゃなかったんだ」

「……それって、つまり……」

「うん」

 消えてしまった命を嘆いても、過ぎてしまった時間は戻らない。

 夜にしかそれを楽しめない理由に気付いた瞬間、恐怖よりも悲しみの方が大きくなり悔しくて涙が零れてしまう。

「桜の木の下には、死体なんて埋まってないかも知れないけど」

 一度、そこで言葉を切った友人がゆっくと顔を上げ青空を仰ぐ。


「場所によっては本当に、その下に死体が有ったということもあるのかも知れないよな」


 それは物騒だったり、恐ろしかったりする話なんかではなく、取り戻せない過去の過ちを悔いるための悲しい真実なのかもしれない。


「綺麗に咲いた花が、少しでもそう言う人達の慰めになるといいよな」


 そう言って、空へと伸ばした手は、太陽の光を透かし、少しだけ淡い赤を見せた。

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