第46話 イニシャル

 机の上に意味深に残された二つのアルファベット。

 文字と文字の間にピリオドが存在しているところから、どうやらこれは誰かのイニシャルのようだ。律儀にも消えないようにと抉って付けた傷跡は、年期と共に薄汚れてしまっている。

 何をこんなにも必死に残そうとしたのか、正直分からなかった。

 もしかしたら、唯の遊び心だったのかも知れない。

 それでも、備品にこうやって傷を残すということは、それが処分されるまでずっとそこに所有の印が残されると言うこと。

 そもそも、この空間に有るもの自体が誰かのお古なのだ。新品ではないから多少の傷は仕方ないとしても、これは些かやり過ぎだろうと溜息が零れてしまう。

 誰が付けたかも分からない二つのアルファベット。

 それは常に机の隅の方に在り続けていた。


 そのイニシャルの近くに文字が増えたような気がし始めたのは、三日前のことだ。

 初めはただの汚れかと思っていたが、それは少しずつ文字へと変化している事に気が付いてしまった。

 一体誰が悪戯をしているのだろうと怒りが込み上げてはきたものの、犯人が誰なのかは見当もつかない。四六時中机の前で見張る訳にもいかないし、何よりこんな悪戯をしたところで誰が得をするのかも分からない。

 確かに友人の中には悪巫山戯が好きな奴もいるが、こんなに陰気で悪質な事を思いつくとは到底思えない。なによりも、こうやって毎日気付かれないように少しずつ悪戯を進化させるなど、どう考えても面倒臭すぎる。だからこそ、余計に気持ちが悪くて仕方が無い。

 そうは言っても、この机は完全に自分の所有物というわけではなく、一時的に使っているものにしか過ぎない。この机との付き合いは限定一年間。それが過ぎるとまた新しく誰かの物になるのだ。そんなことに逐一拘るのもナンセンスではある。

 だから、この件については、一切気付かないふりをすることに決めた。

 全く気にならないと言えば嘘になるが、幸いにも腕を置いてしまえば見えなくなってしまう位置に文字はある。わざわざ見ようとしない限り見る必要は無いと判断し、ノートや教科書でそれらを隠す事にしたのだった。

 数日間、数週間、数ヶ月……。それは上手くいくはずだった。予定では。

 しかし、気付いてしまった以上、全く気にしないというのも難しい話で。ふとした瞬間に机の隅に書き込まれ増えていく文字が気になって仕方が無い。

 

 それは、少しずつ、ハッキリと色を付け始めていた。


 始めのころは薄く、擦ってしまえば直ぐに消えてしまいそうだったのに、気が付けば何度も何度も書き殴ったかのようにハッキリとした黒い色に変わってしまっている。

 書き込まれているのはアルファベットとも図形とも捉えられるような不可思議な形。辛うじて文字と判断できるのは、いくつかの図形に平仮名が混ざっていたからだった。

 ただ、不思議な事に、この文字は他の人には見え無いらしい。

 こんなにもハッキリと机の上に書き込まれているのに、誰に聞いても「そんな落書きはない」と口を揃えて言われるのだ。実に不可解な話である。


 最近では、この文字が、机一杯に広がってきた。

 もう、教科書では隠せないほど、一面にびっしりと書き込まれた大量図形。文章として成り立っているものなど一つもないのに、それが文字と分かってしまうのが気持ち悪くて仕方が無い。

 どんなに消しゴムで消したところで、この文字は消えるどころかより濃く増えてしまう。その内、机が真っ黒に染まるのではないかと、そればかりが心配でたまらない。

 ただ、一箇所だけ。

 決してこの文字で消えない部分がある。

 それは、誰の物なのか分からないたった二文字のアルファベット。


「あ。そうか」


 そこで漸く気が付いた。

 机の上に大量に書き込まれた文字が、このイニシャルを持つ相手に向けて残されたメッセージだったのではないかということに。

 だからこのイニシャルだけ黒の浸食を受けないし、それどころかそこを避けるようにして文字が幾重にも重なっていくのだから、多分、その考えは間違っては居ないのだろう。


 それにしても、本当に気持ちが悪い。

 例え、この机と付き合うのが限られた時間だと判っては居ても、こんなに真っ黒に染まってしまった机を見続けなければ行けないのかと思うと憂鬱になる。


 早く、この机と縁を切ってしまいたい。


 無意識にペンの先でイニシャルの部分を削りながら、暗く重い溜息を吐いたのだった。

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