第29話 雨

 朝から雨が降りそうな薄暗い空の色だった。

 重苦しい空気。大気中に含まれる水の匂いがやけに色濃いと感じる。

 それでも、傘を持って出るかどうかは悩んでしまう。

 どうせそこまでの距離なのだ。荷物はあまり増やしたくない。

 だから、傘を持たずに家を出たのだった。


 暫くすると重くのし掛かる空から、ぽつり、ぽつりと雫が垂れてきた。

 まだ小さいその水の塊は、優しく触れるようにして生地に吸い取られていく。

 これならばまだ大丈夫だと安心しながらも、気持ちは実に正直で。心なしか歩く速度は少し早め。気が付けば、息が上がってしまっていた。

 しっとりと濡れる全身に感じる肌寒さ。幾ら小雨だからとは言え、衣服は確かに水分を含み重くなってしまっている。このまま大降りになれば、乾くまで時間がかかってしまうだろう。早足だったのがいつの間にか駆け足へ。

 でも、残念ながら、本降りになる前に目的地に辿り着くことは出来なかった。


 傘を持たなかったことを後悔しても遅いと吐いた溜息。アウターの表面にちょこんと居座った水滴を手の平で払いながら、大量に流れ落ちる水をぼんやりと眺める。

 ポケットの中に仕舞っていた携帯端末を取り出し調べる天気情報。この雨が一時的なものなのか、これ以降ずっと降り続くのかが気になって仕方が無い。

 ネットワークに接続すれば、直ぐに求めた情報が直ぐに画面に表示される。

「あー…………」

 結果は、残念なことに【終日雨】の予報。この後は天気が崩れる一方らしい。

「どうしよう」

 生憎、雨を避けるようなアイテムは持ち合わせていない。持っている物と言えば、少額とカードしか入っていないコンパクトな財布と、携帯端末。鞄すら持たずに家を出たのだから当然である。コンビニエンスストアで安いビニール傘を買おうかとも考えたのだが、生憎近場に店らしき物が見当たらない。目の前にあるのは博物館。とても場所が悪かった。

「仕方が無い」

 予報では終日雨とは出ているが、もしかしたらという事も在りうるかも知れないと。様子見をするために時間を潰そうと入った博物館。館内は人気が無く、随分と寂しい雰囲気だ。

 その理由は直ぐに分かった。

 現在の企画展の内容が、あまり興味を惹かれる内容じゃない。

 張り出されたポスターを眺めながら、何となくそんなことを思ってしまう。

 もう少し、心躍るような内容を企画すれば良いのにだなんて、野暮なことを考えても仕方が無いのは分かって居る。しかし、来場者の数が全てを物語っているのだ。それは仕方のない事である。

 静かな館内をのんびり歩き回る。展示物の説明に一応は目を通してみるのだが、内容なんてこれっぽっちも頭に入ってこない。ただ、展示されている対象物は、思ったよりも見応えがあり、始めに抱いた印象は違った意味で裏切られたのだが。

「へぇ……こんな風だったんだぁ」

 こんな事ならば、もっと真面目に歴史を勉強しておくんだっただなんて。思った以上にこの方面に知識が明るくない自分が残念だと感じてしまう。

 意外にも館内は広く、展示物は充実しているようだ。余り興味の無かった分野だったのだが、こうやってじっくり見て回ると、多少なりとも興味が湧いてくるのは不思議である。

 展示場、最後の見せ物は、等身大の剥製。

 見た目は何も私たちと変わらない。だが、それは確かに、昔この星に暮らし、生物の頂点に君臨していた生物の抜け殻だった。

「動いている実物が見れないなんて、ちょっと残念ね」

 コレでお終い。全ての展示物を一通り見終わってしまった。時間にすると一時間と少々。一人でこの場所に来てしまったせいで、大分早く終わってしまう。

「カフェ……あるかなぁ」

 どうせ外はまだ雨なのだろう。併設しているカフェがあるかどうかを調べ、そちらに向かう。

「ちょっと高いなぁ、やっぱり」

 こういう施設に設けられた飲食スペースは、気軽に入れる飲食店よりも割高。一応財布の中身を確認してから店内に入ると、暇そうに雑誌を捲っていた店員が慌てて声をかけてきた。

「いらっしゃいませー」

 店員に案内されたのは窓際の席。窓の向こうには綺麗に整備された庭園が広がっている。

「へぇ。すごい……」

 天気が良かったらとても綺麗に見えたんだろうな。そう思うと、この陰鬱な雨が憎らしくて仕方が無い。

「ご注文はどうなさいますか?」

 提示されたメニューに軽く目を通していく。

「あっ。これを」

 そう言って指を差したのは、最近巷で噂のオイル。

「あと、これもお願いします」

「了解しました」

 何となく入ってみたカフェだったが、気になっていたものが注文出来たのは素直に嬉しい。

「時間、余っちゃったな」

 携帯端末にコードを指し、首の付け根にあるポートに差し込む。今日見たことをバックアップしておこう。後で記録を別の形に移すかもしれないし。

「……あぁ……雨、止まないかな」


 相変わらず外は大雨。

 早く止んでくれないと、ボディが錆びてしまうのではないか。

 そう考えると、少しだけ気分は憂鬱になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る