第15話 ハサミ

 私の家は貧乏だったから、余所のお家の子みたいに可愛らしくて華やかな格好をすることは難しかった。

 フリフリのフリルが付いたドレスみたいなピンクのワンピースや、カジュアルだけどワンポイントに可愛いコサージュが付いているブラウスも買って貰ったことがない。

 髪の毛のセットにしたって美容室に行くようなお金も無いから当然、母親のお家カットが当たり前で。髪型はいつも代わり映えのしない同じ様なスタイルだったけれど、とても文句を言えるような雰囲気ではなかった。

 それでも、一応女の子である私は、それなりにお洒落というモノに興味が有ったわけで、いつかは母親に「美容室に行きたい」と言えるんじゃないかという淡い期待を持っていた。

 私が小学校高学年になっても生活の質はそれほど改善することがなく、下の兄弟が大きくなったことで余計に出費がふえてしまった。

 父親が早くに亡くなり母子家庭になってしまったことで、母親は身を粉にして働きづめで。必然的に下の兄弟の面倒は私が見る事が当たり前に。

 それでもその事に強い不満を抱いたことがないのは、母親の人柄によるところが大きいのだろう。

 決して贅沢が出来るものではなかったが、彼女は常に笑っていた。

 私が居て、弟達が居て。そして、祖父母が居てみんな元気で暮らしていけることが嬉しいのだと、常に幸せそうに笑っていたのだ。

 そんな彼女の髪の毛を整えるのは、いつの間にか私の仕事となっている。

 散髪用のちゃんとしたハサミではなく、スーパーに併設されているワンコイン商品のショップで手に入れた安い商品で行うヘアカット。余り切れ味が良すぎる訳でもないし、素人の散髪技術なのだ。仕上がりも素晴らしいものだとは言い切れない残念なもの。ごめんね、ごめんねと母親に何度も謝りながら、切りすぎないように注意し手を動かすのに、毎回どこかで失敗してしまう。それでも母親は怒ることはしない。

「お母さん、この髪型好きよ」

 そう言って、必ず私の事を褒めてくれるのだ。

 いつしか私の夢は、美容師になること。それは多分、母親をどこの女性よりも素敵にしてあげたいという小さな願いから生まれた願望なのだろう。

 しかし、その夢を家族に言う事はなかなか難しかった。

 お金が無い。

 それが最大の理由だからだ。


 漠然とした未来の設計プラン。その日もそんなことを考えながら帰路に就いていた。

「?」

 不意に立ち止まり視線をやった先。いつもなら、気にせず通り過ぎる路地の中で、何かが光ったような気がして首を傾げる。

 沸き起こる好奇心というものは、時として歯止めが利かなくなるものらしい。誘蛾灯に誘われる蛾のように、私の足はふらふらと路地の奥へと進んでいく。

 薄暗い路地の中は少しだけ空気が冷たくじめっぽい。独特のカビ臭さが鼻を突き思わず眉間に皺を寄せた。

「何だろう?」

 キラキラと輝く光はどうやら気のせいではなかったようで。随分と古い雑居ビルの一階。空きテナントになっているらしい事務所の奥で、それはゆらゆらと揺れていた。

「……開いちゃった」

 子供の好奇心とは、時として無謀な冒険心へと繋がる事もある。善悪を考えずに手を掛けたドアノブを倒すと、それは意図も簡単に内側へと誘う通路へと変化する。小さな音を立てて開いたドアの隙間。差し込んだ光の筋の中で、ゆらゆらと小さな埃がゆれる。

「お邪魔します……」

 不法侵入だとかそう言うのは気にならない。申し訳程度に建物の中へと入る事を謝りながら、光の正体を探るべく奥へと進む。

「……うわぁ……」

 目の前に広がる光景。それを見た瞬間、思わず私は感嘆の声を上げた。

 丁寧に並べられた人形が、一、二、三、四。奥の方に置かれた五体目は、まだ作成の途中だろうか。衣服を着ることなく項垂れた状態でそこに座っている。

「すごい……」

 こんなに美しいものは見たことがない。口元を押さえながら、込み上げる感動で全身を篩わせたときだった。

「何を見て居るんだ」

「きゃあっっっ!!」

 突然背後から肩を叩かれ、思わず大声で叫んでしまう。

「ごめんなさい!! 謝るから、怒らないで!!」

 反射的に瞼を伏せ、赦しを請うように両手を組み背後の相手に頭を下げる。暫くの沈黙。次の瞬間、その人が大きな声で笑い出した。

「変な子だね、君は」


 建物の中で出会ったお兄さんは、自分の事を「人形師」だと言った。

 確かに、彼が作っているものは、とても綺麗な女性の人形ではあった。それはまるで、生きている人間のようにリアル。でもどこか儚げで脆い硝子細工のような儚さも併せ持つ。

 この日をきっかけに、私はこのお兄さんととても親しくなった。

 お兄さんは、私の事が気に入ってくれたのか、遊びに行くたび色んな話をしてくれた。私自身も、親や祖父母、友達に言えない話をお兄さんに聞いて貰っていた。

 その中には、私の描いている将来の夢も含まれている。

「君は美容師になりたいんだね」

 ある日、お兄さんから渡したいものがあるんだと呼び出された。一体何だろうと不思議そうにお兄さんを見て居ると、手渡されたのは綺麗な包装紙に包まれた一つのギフトボックス。

「開けて御覧」

 そう言ってプレゼントを開くように催促されたので、小さく頷いてラッピングを綺麗に葉がしていく。

「……これ……って……」

 ギフトボックスの中から出て来たのは、一本の鋏。

「美容師になりたいって言っていた君に、僕からプレゼントだよ」

 銀色に輝くその鋏は、通学路の途中にある美容室のスタッフが持って居るのと同じような綺麗な鋏だ。

「これ……貰っても……いいの……?」

 この鋏は多分、とても高いものなのだろう。そんな高価な物を貰ってもいいのか不安になり私は思わずそう問いかける。

「いいよ。あげる」

 そう言って、お兄さんの大きな手が私の頭を優しく撫でた。

「ただ、一つだけ約束して欲しいことがあるんだ」

「何?」

 プレゼントを貰う代わりに提示された交換条件。それは一体なんだろうと不安な目でお兄さんを見上げると、彼は柔らかく笑いながらこう呟いた。

「君が一流の美容師になったら、僕の人形のカットをお願いしたいんだ」

 お兄さんの後ろに並べられた綺麗な人形達。今は、彼と始めて会った頃よりも何体か増えている。彼女達は皆、長い髪を持ち、俯く度にその髪がはらりと落ちるので、綺麗な顔が隠れてしまうのだ。もしかしたら、彼はその事を嘆いていたのかもしれない。

「うん! いいよ!」

 鋏をプレゼントして貰ったことと、彼に頼りにされたことが嬉しくて、私は笑顔で大きく頷く。

「約束ね!」

 二人だけの指切りげんまん。初めてのお客さんはもしかしたら、人間ではなくお人形さんかもしれないけれど、夢を応援してくれた人への恩返しが出来ると思えば、嬉しくて仕方無い。

 その日はそれから少し話をして、私はそのまま帰宅した。また明日、遊びに来るねという約束を残して。


 結局、その約束は叶えられることはなかったのだけれども。


 次の日は朝から天気が悪く大雨が続いていた。近くの川が増水の危険があるとのことで、一時的に役場へと避難することになり、あの雑居ビルへは行けずじまい。

 後日、あの空きテナントに行ってみると、扉は鍵が掛かり、窓硝子には黒いビニール袋が貼られていて、中が見え無くなってしまっていた。

 その状態が何日か続き、その後清掃業者のロゴが入ったユニフォームを着たスタッフが、空きテナントを清掃しているのを見かけたのだ。

 いつの間にか、お兄さんとあの人形達は忽然と姿を消してしまった。


 あれから数年後。

 私は彼との約束を果たすべく、美容学校の扉を潜る。

 鞄の中には一本の鋏。

 ずっと大切に持ち続けている、私の愛用品。

 

 考えてみれば、彼の名前も素性も知らないけれど、彼は私に取って何よりも大切な友人であったことは間違い無い。

 いつか彼と再開出来る事があれば、その時は指切りをした内容の通り、人形のカットを受け持とうと思う。


 あの人形達が、何よりも美しく微笑む事が出来る様に、と。

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