第10話 写真
印画紙に切り取られたシーンの中では、その人は常に笑っていた。
雨の日も、風の日も。空に光が無いときも、常にその人は笑っていた。
勿論、天気の良い日や賑やかな場所で撮影されたものもちゃんとある。それらの写真は当たり前のようにはち切れんばかりの笑顔なのだが、笑顔が似つかわしくない場所でも、その人は必ず笑っているのだ。
余りにもそれが自然過ぎて、特に気に留めることも無かった。そこに在る事が当たり前すぎて、意識して見ることをしていなかったのかも知れない。
だから一度も聞かなかったのだ。
「この人は誰?」と言う一言を。
その写真に気が付いたのは、祖母の荷物を整理しているときである。
随分と立派な建物は、田舎ながらの古くさい作り。住み慣れた家の形が無くなるのは悲しいと嘆く気持ちは分かるが、加齢のため安全上の観点から建物を建て替えるという話になり引っ越しの準備を進めていた。ついでに不要品も処分しようという話になったことで、祖母や母に確認しながら、廃棄するものと所持するものをより分けていく。その作業は数日間続いている。
部屋の隅に詰まれた段ボールの束。それに目が止まったせいで邪魔だと感じて仕方ない。
「これ、移動するね」
一応声をかけて了承を得てから着手する作業。そこに在るものは全て段ボールかと思っていたのだが、一番上に置かれているものだけ材質が異なり首を捻る。
「まぁ、いっか」
どちらのせよ片付けは進めなければいけないと。取りあえず中身を確認しやすくするために部屋の中央へ移動しようと箱の一つを持ち上げる。
「あっ」
両手で抱えないと持ち上げられない程大きな一つの木箱。謝ってそれを落としてしまった時、その写真が現れたのだ。
「なにこれ……」
床一面に散らばった大量の紙。やってしまったと舌打ちを零しつつその中の一枚を手に取り視線を落とす。デジタルの画像が元ならば、インクジェットプリンターのフォト専用紙に印刷されたものなのが殆どなのに、この手触りは余り指に馴染まないと感じる。その違和感は直ぐに分かる。これは、フィルムで撮影され、印画紙に転写されたものなのだ。そのことが分かると、湧き出る興味のせいか作業の手が止まってしまう。
拾い上げた一枚の写真。それはこの家の玄関で撮影されたもののようで、家の前に若い頃の祖父母と母。そして兄弟達が並んでいた。
「わぁ……何だか新鮮!」
私の記憶にない昔の姿。何となくどれが誰だということは分かるのだが、年齢が若いためとても新鮮に映る。少しだけ黄ばんでしまった印画紙が物語るのは経過した時間の長さ。たった一枚の小さな紙がもたらしたタイムトラベルに、思わず声が上がり母を呼ぶ。
こうなってしまうと作業どころでは無くなるのは予想出来ていたことだろう。一度花が咲いてしまった昔話が始まると、やれこの写真はどうだの、この頃はああだっただのと、祖母と母が話を始めてしまう。
「この時のアンタは反抗期でねぇ…………」
「お母さんだって、お父さんの酒癖の悪さで毎日愚痴ってたじゃん……」
「この時、お父さんが屋根から落ちちゃってねぇ……」
「これって、兄さんが大学に入学したときのものだよね。うわぁ、懐かしなぁ……」
それぞれが写真によって呼び覚まされた記憶を懐かしむように思い出を言葉に変えて語る。その度に呼び止められ写真を手渡されて見るように強要されるから、ついこちらの手も止まってしまう。そうやって暫く懐かしさに浸っていたとき、ふと気になったことを呟いてしまったのだ。
「ところでさ。この人、いつも笑ってるね」
「ん?」
それは、一番目立つところにいる一人の男性。
「これ、誰だっけ?」
どの写真もこの男性が一番目立つところに写っている。
「ねぇ、母さん。この人誰だっけ?」
「うーん……」
これだけはっきりと写っているのだから、母親か祖母がその人の事を知っているのだと思い込んで居た。
「こんな人、居たかねぇ……?」
「え?」
これだけしっかりと写っているのに、二人ともその存在を知らないと首を振る。
「お父さんの兄弟ではないはずだけどねぇ」
「お兄ちゃんでもないし、近所のおじさんにもこんな感じの人、居なかったよね?」
「そうだねぇ……見たことないねぇ……」
誰も知らない一人の男性。それは、どの写真にも写り込んでいる。常に笑顔で楽しそうに。
「……もしかしてこれって……」
「馬鹿なことを言うんじゃないよ!!」
本能的に何かを察知したのかもしれない。強い口調で遮られたことにより、言葉が中途半端に途切れてしまった。
「で……でも……」
「気のせいよ! 気のせい、気のせい!」
気のせいといいながらも、母が慌てて写真を片付け始める。これ以上はそれを見たくないとでも言うように。
「……これだけハッキリ写ってるの……何か、気持ち悪いなぁ……」
そう呟いた瞬間、背後で鈍い音が響いた。
「きゃあっ!!」
反射的に振り返り音の正体を探ると、随分と古いフィルムカメラが床に転がっている。
「……何だぁ……カメラかぁ……」
不安定になった荷物の上にでも置かれていたのだろう。バランスを崩したそれが落下しただけだと分かり胸を撫で下ろすと、床に転がったカメラを手に取り何となく覗き込むファインダー。
「カシャ! なんちゃっ……て……」
その行動は無意識に行ったものだった。シャッターに添えた指を軽く押して撮影を真似ただけの動作。
ただそれだけのはずだったのに、気が付いてしまったのだ。
「……いっ」
この世には、見てはいけないものがあるのだと、誰かが言っていた。
「いやぁあああああああああああああああああっっっっっっっっっっ!!」
覗き込んだことを後悔するのは、必ず決まって行動を起こした後。
「どうしたの! アンタ!! 落ち着きなさい!」
「いやあっっっ、いやだぁあああああああっっっ!! いやぁあああああああああああっっっっっっっっっっっ!!」
霞んだファインダーの向こう側。
そこに捉える一つの像。
『この人、いつも笑ってるね』
常に笑顔で楽しそうに写真に居た見知らぬ男性。
どの印画紙の中にも、同じように存在し、居ないという事は有り得無い。
てっきりそれは、写真に写り込む何かがあると思い込んで居たのだ。
でも、本当はそうじゃなかった。
彼は、在るべくしてそこに存在していたことに気付いてしまった。
覗き込んだ内側で、彼は嬉しそうに笑っている。
フィルムがあれば、過去と同じように、彼はきっとそこに居座ることだろう。
それもそのはず。当たり前の事。
何故なら、彼は……
写真に偶然写り込んだモノではなく、元々カメラに潜んでいたモノだったのだから。
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