第6話 ヘッドフォン
安物のヘッドフォンだけれど、使えるのならばそれで良い。
音質なんて気にしない。
そんなのは建前ではあったけれど、それが自分に出来る精一杯であることは否定出来なかった。
使用する目的で購入を決めた商品ではあるが、そのデザインや質に納得がいっているかと言えば、正直な所不満の方が大きいではある。それでも、妥協してその商品を購入したのには、それなりの理由があった。
ネットを通して知り合った相手。それが男性なのか女性なのかは、未だ分からない。その相手と音声通話をすることになったため、急遽環境を整える必要が出てしまった。それがその商品を購入する事を決めた理由である。
わざわざその機械を揃える必要があるのかと疑問に思う人間も居るだろう。相手の声を聞き、相手に思いを伝えるだけならば、手の中に収まる小さな端末機器だけで機能は十分事足りる。それでも敢えてその機械を購入しようと思ったのは、余り電源を入れることのないパソコンが勿体ないと。そう感じたから。
ただ、それだけの理由だった。
「お届け物でーす」
家から出るのが億劫でネットを通してボタン一つで購入した商品は、注文した翌日にはこうやって、配送スタッフの手に寄り玄関先へと届けられる。
余り人と話すことが得意ではないため、外出し店頭で商品を購入するということがとてもハードルの高いことだと感じる自分にとっては、この様に本の数秒で終わるやりとりが精一杯のコミュニケーション。
見慣れたショップのロゴが印刷された段ボール。サイズが想定していたよりも少し大きいのは、商品に対して外装のサイズが大きめに作られているからなのだろう。
「では、こちらの伝票にサインをお願いします」
配送伝票とボールペン。商品段ボールと共に出されたそれらを受け取ると、小さな枠に自分のフルネームを書き入れる。
「はい。確認いたしました」
受領したことを照明する線を確認した後、スタッフが伝票シールの一部を剥ぎ取り頭を下げる。
「ありがとうざいました」
無駄な言葉は一切ない。振り返る事もなく小さくなる相手の後ろ姿。廊下を折れ完全に姿を消したところで扉を閉め、鍵とチェーンを掛けて小さく溜息を吐く。
「やっと、届いた」
ヘッドフォン一つ買っただけだというのに何だか疲れた、と。段ボールの大きさを指で確かめながら、急いで部屋に戻った。
商品の状態を保つためとは言え、箱の中に箱があるのはゴミが増えて余り好ましくない。『カッターでの開封はご遠慮下さい』と書かれた言葉を無視して開く過剰梱包。段ボールの蓋が開けば、隙間を埋めるための緩衝材が勢いよく飛び出してくる。
「……はぁ」
その量の多さにうんざりしながらも、発掘した商品を手に取り状態を確認する。外装の損傷は特に見あたらない。シールで封がされたパッケージにカッターで切れ込みを入れ中身を取り出すと、新品で綺麗なヘッドフォンが姿を現す。
「設定しようかな」
人とコミュニケーションを取るのは苦手な自分ではあるが、新しい物を試したい欲というものはしっかりあったりする。早速パソコンを立ち上げ、マイクとスピーカーの端子を確認しヘッドフォンをセットする。物理的な作業はたったこれだけでお終い。あとはソフトウェア上での作業なので、取扱説明書に軽く目を通した後に、手順通りに操作していく。操作は至ってシンプルで、ネット上にアップされているドライバーをダウンロードしてインストール。あとはパッケージされたファイルを解凍し手順通りに操作していくだけ。たったこれだけの作業で直ぐに使用出来る状態になるのだから、実に呆気なく笑ってしまった。
「……ちゃんと、音、聞こえるのかなぁ?」
一応、念のため。商品が正常に使えるのかをテストしてみることにする。
通話アプリを立ち上げてテスト通信に接続し、試しに一言喋ってみる。直ぐに自動音声のあとに返ってきた自分の声は、普段耳にしている音と異なり何だか不自然で。喋り慣れない事がとてもよく伝わり、聞いていて無性に恥ずかしいと感じる。
それでも、画面の向こう側に居る彼だか彼女だか分からない相手と話をすることは楽しみなのだ。恥をかかないように、予めデモンストレーションを繰り返し、状況に慣れようと努力する自分が少しだけ愛おしい。
そうやって遂にやってきた本番の時間。
専用のボイスチャットスペースに入室したことを知らせる音が耳に届くと、相手の事を待ち深呼吸を繰り返す。
『あ。もう、来てましたか?』
現れた相手は女性。声は思ったよりも高かったが、落ち着いて心地良いと感じる。
『初めまして』
「あ。はい。はじめまして」
互いに簡易的な自己紹介を済ませ言葉を交わす。こちらと異なり向こう側はこういう状況に慣れているらしい。自分が無理に話題を探さなくとも、向こうから話題を振ってもらえるため、思ったよりも会話をスムーズに繋げることが出来驚く。
そうやって数時間。初めての経験である通話を楽しむ。
少しずつ緊張が解け、大分互いに打ち解けてきたときだった。
『…………ところで……』
ヘッドフォン越しに聞こえていた彼女の声が、少しだけ小さくなる。
「え? どうしたんですか?」
『……いえ』
何やらとても曖昧で。実に歯切れの悪い一言だけの返事。
「ちょっとちょっと、気になるじゃないですか」
もしかして。自分は何か、彼女に対して失礼なことでも言ったのだろうか?
ふと、そんな考えが頭を過ぎり不安に駆られた。
「何か気になる事でもありましたか?」
折角仲良くなれたのだから、今回で終わりではなく、また通話に誘って欲しい。そんな下心から、少しだけ探りを入れるように掛けた言葉。
『気になる事……と言えば、そうですね……』
どう表現したら良いのか分からない。そんな雰囲気で彼女は言葉を続ける。
『もしかして、誰か、他の人間とか居たりしますか?』
「え?」
耳に届いた言葉。それは、全く予想していない一言。
『さっきから、誰かの声が重なって聞こえてくるみたいで、気になってしまって……』
この人は、一体何を言っているのだろう?
対今し方、言われた言葉を噛みしめるように反芻し、その意味を探る。
「誰も……居ません……よ?」
無意識に後ろを振り返り部屋を見回すが、この部屋には最初から自分一人きり。自分以外の人間が要る事など有り得無い。
『そう……ですか……?』
それでも彼女は納得がいかないとでも言う様に、言い淀み口を閉ざしてしまう。
『あ。すいません』
唐突に。彼女は何かを思い出したようにそう言うと、こう言葉を続けてきた。
『用事が入ったので落ちますね』
「え? ちょっとま……」
その通話は一方的に。
『また、連絡します。今日は有り難う御座いました』
こちらの制止に耳を傾けることなく、伝えたい言葉だけを伝えさっさと退出してしまう。
「待ってください! ちょっと!!」
通信アプリに表示されたのは、自分が使っているハンドルネームが記載された丸い形のアイコンだけ。会話をする相手が居ないため、繋いだままのヘッドフォンから音が聞こえてくることは無い。
「なん……なんだよ……」
伝えられた言葉の意味が分からない。判らない事に対しての不安だけを残して、相手はその場から姿を消してしまったのだ。
「…………」
仕方が無いから退出し、使用していたヘッドフォンを外して暫し固まる。無意識に耳に意識を傾け拾う周囲の音。しかし、どんなに神経を研ぎ澄ませても、目の前で稼働するパソコンの電子音以外、己の耳が拾う音なんて存在していない。
結局、彼女が聞いていた不可解な音が一体なんだったのか。確認する術は無いから謎のまま。
少しの不安と恐怖だけを残しただけで楽しい時間は終わってしまった。
「……いや……。そんな、まさか……ね」
ふと、ある考えが頭を過ぎったが、それを否定するように首を振ると、パソコンの電源を落としベッドに潜り込んだ。
願わくば。この考えが、嘘でありますように。
そう小さく願いを込めて。
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