第5話 カレンダー

 ずっと気になっていた事がある。


 それは、カレンダーに意味深に付けられた、青ペンで描かれた丸印。

 曜日が土日や祝祭日というわけでもなければ、数字の切りがいい日付というわけでもないのに、その中途半端な場所に付けられた印が、嫌でも目に止まってしまうから気になって仕方が無い。

 カレンダーに書き込まれたのはたった一つの丸だけで、その丸が何を意味しているのかを示す言葉は書き添えられておらず、解決しない気持ち悪さがそれを見る度ついて回る。

 誰が、何のために、それを書き入れたのか。

 それすらも曖昧で思い出せなかった。

「……うーん……」

 生憎、家には自分一人きり。この印が目に止まるときは決まって、家の中に他の家族が居ない時である。例えば、朝。寝坊して起きて、気が付けば一人。留守番をすることになってしまった休日や、支度が終わって家を出る直前。時間が差し迫っていて早く家をでないと行けないとか。

 そう言ったときばかりこの印に目が付いてしまうのだ。

 電話をして聞けばいいとか、メッセージで家族に聞けば簡単だとか。言われてみれば確かにそれが効率のいい方法だと分かりはしても、その頃にはこの『カレンダーに書き込まれた青い印』のことは、すっかり忘れてしまっている。

 そんなもんだから、この消化されない気持ち悪さは、定期的に思い出されてはずっと付きまとい続けていた。

「……ホントに、何なんだろう……この印」

 一度、気になりすぎてスマートフォンのスケジュール帳と、カレンダーの内容を照らし合わせたことがある。カレンダーには確かにある青い印。スマートフォンの中のスケジュール帳では、同じ日にチェックマークは存在しない。

 結局のところ、この印を書き入れた人間に確認しない限り、この疑問の答えは得られないということを理解して以来、どこかで来るそのタイミングを待ち続けているのだが、未だにそれが訪れる気配は無い。

 その印は、何ヶ月も前からその場所に存在しているのだ。だからこそ、ここぞというタイミングで聞く事を忘れてしまったとしても仕方が無い話なのだろう。

 一ヶ月、一ヶ月と。時が過ぎる度捲られ切り取られていく一枚の紙。

 日付が進む毎に、丸ではなく右から左へ引かれた斜めの線で数字が消されて行く。時間の経過が目に見えて分かるのは便利なのだが、無意識に丸印を確認するように紙を捲っては、首を傾げ答えを探す。いい加減、メモに残すなり、電話するなりすればいいのに、数時間後には忘れてしまうのだからどうしようもない。

 そうしていつの間にか表に出ているカレンダーは、丸印が書き込まれた月のものへと変わってしまっていた。

「あ。そうだ」

 この疑問は、日々カレンダーを見る度始まる。

「今日こそは、この印について聞かないと」

 忘れないようにメモを残し、言葉で宣言して家族を探す。

「ねぇ、教えて欲しいんだけど……」

 しかし、その時に限って家族の人間は、やれ忙しいだの、家に居ないだので結局未だに分からずじまい。

「……何でいつもタイミングが悪いかなぁ……」

 此処まで来ると、いい加減自分の間の悪さを呪いたくなってきた。

「もういいや。直接カレンダーに書き込んじゃえ」

 誰も答えをくれないならこちらから動くしかない。漸くそういう結論に至ったところで、ペンを一本手に取った。

 安っぽいボールペンは量産品のシンプルなデザインの物で。どっかの不動産屋から貰ったらしいノベルティ。柄の部分に店名の刻印が入っているが、特に興味も無いからちゃんと見たことはない。黒いキャップを取り外し、青い丸の下に一言書き添える。『この日は一体何があるんですか?』と。

 それについての解答がいつ得られるのか何て分からなかった。そうやって私は、いつものようにもやもやを抱えたまま一日を過ごしたのだ。


「あ」


 その答えは唐突に知ることになる。

『命日』

 書き込んだ問いに対しての答えが書かれたカレンダー。たった一言だけ、綴られた言葉に、口元を押さえ小さく唸る。

「そっか。命日なんだ」

 でも、一体誰の? 今度はそんな疑問が頭を過ぎった。

「……おじいちゃんかなぁ?」

 私の祖父は大分前に他界している。祖母はまだ現役で、元気が取り得のパワフルな女性。両親は当然健在だし、兄妹も元気で病気一つしたことがない。

「そっか。おじいちゃんの命日なんだ」

 最近は、忙しくてお墓に行く事も出来なかったから、すっかり忘れてしまっていた。心の中で呟くごめんなさいは、後ろめたさと心苦しさが半分半分。

「今年はちゃんと、お墓にいかないとなぁ……」

 そう呟きながら、祖父の好きだったものを思い出そうと記憶を辿る。

 もう、朧気でよく見る事が出来なくなってしまった過去の映像は、ただ、ただ、優しかったという事だけは覚えて居て。和菓子が余り好きではない私のために、味の濃いバタークッキーと懐かしいパッケージのあめ玉を用意してくれていた。

 考えてみれば、それが祖父の好きだった物なのかは分からない。それでも、私にとって祖父と一緒に味わった美味しい記憶は、その二つが色濃く残っているのだ。

「おじいちゃんに持って行くの、それでいいかなぁ?」

 日付を確認して、墓参りに行くスケジュールを調整する。向かう途中で必要なものを買うことも忘れないように、寄り道のルートもしっかりと考慮して。

「何だかちょっと、おじいちゃんに話したいこといっぱいあるような気がしてきた」

 墓参りに行くと決めたら不思議なもので、あんなに分からなくて気持ちが悪かった印が、何だか嬉しいと感じる印に変わってくれた。

 あと何日でその日になるの?

 指で叩いて数える日数。それは数週間後にやってくるのは、何度数えても変わらない事実だというのに。


 そうやって訪れた墓参り当日。

 支度を終え、家から出ようと鍵を手に取りカレンダーに視線を移したところで私の頭は真っ白になった。

「え?」

 気のせいだろうか?

 見覚えのない言葉が書き足されているように見えるのは。

「……な……に……これ……」

 その文字は、微かに震えていて、とても綺麗だとはいいきれない物で。

「……そんなはず……」

 それでも、しっかりと、こう書かれている気がするのはどうしてだろう。

『………の命日』

「うそ……」

 その音は、とても聞き覚えのあるもので、でも聞きたくも無い不快な音色。

「そんなこと無い……よね……」

 震える唇に指を這わせ、嫌だ嫌だと頭を振る。

「そんなこと信じられない!!」

 そう言葉にした瞬間、大きな音と共に何かが弾けた気がした。


「……あ」


 ソウカ。

 ソウイウコトダッタンダ……。


 カレンダーに書かれた青い丸印。

 その印の意味を私が知ることは、有り得無い。

 何故ならそれは、


 私が死んだ日を示していた記号にしかすぎなかったのだから。

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