第4話 匙
並べられた大きさの異なる匙。
目の前には一枚のスープ皿。中身は空っぽで底は見えている状態で。
脇には銀色のスープチューリン。その蓋は閉まっており何が入っているのかは確認出来ない状態になっている。
運ばれてきたものはそれが全て。テーブルの上に並べられるはずのフルコースなんて存在しないのかと分かると、少しだけ残念に思えた。
それでも、食べる物があるだけまだマシなのだろう。
しかし、不思議なのは何故、こんなにも匙の種類が多いのかと言う事。スープ一つ味わうのであれば、使用する食器はワンセットで良いはずなのにと首を傾げてしまう。
スープチューリンはあるのにレードルが無いため、どうやって中身を皿によそえばいいのかも分からず困っていると、皿に乗せられた粉末が数種類運ばれてきた。
「これは?」
一体何だろう。そう問いかけるのだが、それを運んできたホールスタッフは何も答えずにその場から去ってしまう。残されたのは真っ白な陶器の皿と、その中にある様々な色の粉末。成分なんて分からないし、用途も全く予想が付かない。
「どうしろと?」
説明がないからどうすることも出来ず途方に暮れていたら、漸くスタッフが戻ってきた。
「……天秤?」
大きな銀色のトレーの上に乗せられているのは、随分と無骨な天秤が一つ。左右の皿には何も無く、何の重さを量るために用意されたのか分からず再び首を傾げてしまう。食事をする卓に乗せるのには不釣り合いに感じるそれは、さも当たり前の様にその場所に鎮座し、使えといわんばかりに存在を誇示しているのだ。
「もしかして……この粉末を計れ……ってこと?」
意味深に置かれたアイテムから導き出される曖昧な答え。その必要が何故あるのか何てことは分からないが、多分、これらの物を使って皿の中に粉末を移していけと。そう言うことなのだろうか。
「もしかして、これって、スパイスの一種か何かかなぁ?」
試しに一つ。一番小さな匙を手に取り粉末を掬う。匂いを確かめるべく鼻先に移動し、手で軽く仰いで刺激があるかどうかを試してみるが、残念ながらその粉末からは何も感じ取ることができなかった。
「……舐めて……みる?」
匂いが分からないなら味をと思いはしたが、どうにもそれを試そうという気は起きない。
「……うーん……」
まぁ、スープが目の前にあるのだから、口に含んでも問題は無い粉末なのだろう。深く考えることを止め、空の小皿を二枚、天秤の両側に乗せてから適当に粉末を乗せていく。
「これ、何が正解なんだろう?」
残念なことに、重さを計るための分銅というものは存在していない。だから、両側の皿にそれぞれの粉末を乗せて計るしか、計る方法は無い。
粉末の種類は全部で五つ。赤、青、黄色と緑。そして紫だ。
実際に計ってみて分かったことは、それぞれの粉末は微妙に粒子の大きさが異なるのだということ。同じ回数だけ匙を動かしただけでは、天秤の均衡を保つことはどうやら不可能のようで、少しずつ匙を傾け量を調節しないと、左右のバランスは上手く整わないらしい。
ゆらり、ゆらりと左右に傾く二つの重さ。それがぴたりと合わさった量を真っ白な皿の中へと移していく。
「あれ……? でも、粉末は……全部で五種類あるじゃん」
四つめの粉末を皿に移したときにこれでは均等にならないと始めて気が付いた。
「あー……と、どうしようかなぁ……」
最後に残った粉末は、使うか使わないかの二択だけ。しかし、それを使おうとすると、何か一つが他の物よりも大幅に増えてしまう。
「うーん……でもなぁ……」
使わないのは勿体ない。そんな考えが頭を過ぎるのは、貧乏性だからだろうか。
「……やっぱり、使ってみよう」
そうして、結局五つの粉末を皿に移し変えたところで、漸くスープをよそうためのレードルが運ばれてきた。
「ああ。やっぱりこれはスパイスだったんだな」
随分と待たされた開封の義。銀色のスープチューリンの蓋がゆっくりと開く。
閉じ込められていた湯気がゆったりと逃げ出せば、食欲をそそるような香ばしい香りが鼻孔を擽る。スープはシンプルにコンソメベース。透き通った美しい琥珀をかき混ぜることで、より強い香りが部屋中に広がっていく。
さらさらとした液体を零さないように掬い上げ、色の付いた真っ白な皿へと注ぎ込んでいく。混ざり合う色の付いた粉末は、幸いなことに粉末のままスープの中で浮かび上がってくれた。
大きな匙で一掬い。慎重に口元へと運び味わってみると、何とも不思議な味がして驚く。
「あ。美味しい」
そう。それは見た目に反して不味くはない。どちらかというと、無意識に食が進むといった妙な中毒性を感じるような旨味がある。
気が付けば皿の中身は綺麗に姿を消してしまっていて。それでも満たされない空腹に、再び小さな匙を掴み粉末の重さを量り始めている。
それを何回繰り返しただろう。気が付けば、スープチューリンの中に有ったはずのスープも、皿の中にあった粉末も跡形もなく消えてしまっていた。
再び目の前には白い皿が一つ。
使用済みの匙と、汚れた食器。そして、相変わらず充たされる事のない空腹を覚えたままの客である自分。
「……おかしいな……なん……で……?」
食べる。という行為を確かに行ったはずなのに、食べた感じが全くしない。美味いという味を感じた記憶はあるはずなのに、その量が無くなれば無くなるほど強い飢餓に襲われる。
「お腹、空いた……」
もう、何も食べる物が無い事を悟ると、自然と涙が溢れてきた。からからに渇いた喉が引き攣るような痛みを訴え、もう出る事もない唾を出そうと口元が小さく動く。
「そんなに急いで食べるからですよ」
何処かからそんな言葉が聞こえてきたが、もう首を動かす事も出来やしない。
「折角、量を量るための天秤も貸してあげたのに」
目の前で食器の重なる音が聞こえてくる。食事が終わったのだ。それらが片付けられていくのは当然かもしれない。
「美味しい物はじっくり味わって食べなきゃ勿体ないですよ?」
辛うじて視線だけを動かし様子を窺うが、左右に移動するのは白い手袋を嵌めた手が机を動く様だけ。いつの間にか、テーブルの上は綺麗サッパリ片付けられてしまっていた。
「ご満足、頂けましたか?」
その言葉にイエスともノーとも答えられないまま。
「ご利用、ありがとうございました」
その言葉を最後に、私の世界は黒く閉ざされてしまった。
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