そこそこ売れるものは、「みんなと同じ」かもしれませんが、爆発的に売れるのは、オリジナリティのあるものじゃないですかね? 私は全くの趣味で小説を書いていて、そのわりに書籍化も宝クジ程度には目指しているので、どうせなら目標は高く! 直木賞や本屋大賞取るくらい、突出しておもしろいものを書きたいです(笑)。
伊坂幸太郎さんの「重力ピエロ」を昨日完読しまして、もう本当に感銘を受けました。直木賞はノミネートされたものの受賞はされなかったようですが、こんなすばらしい物語が書けるなら、もう人生に悔いなしって思います。
話が逸れましたが、「みんなと同じ」病は、世界のどこに行ってもあると思います。でも、それじゃあ、つまらないという気持ち、とっても共感します。子どもたちにも、社会にうまく適合しつつ、自分らしく生き生きと育ってほしいって思っています。
作者からの返信
そうですね。どうせ書くなら直木賞を取るような小説を書きたいですね〜。
「重力ピエロ」10年くらい前に読みました。おもしろい作家さんいないかな〜と探してる時期だったと思います。当時のわたしは、伊坂幸太郎さんの文体というか小説の構成というかに、苦手でハマれなかったけど、今なら読めるかな。
世界を股にかけるまりこさんが「みんなと同じ病」は、どこにもあるってのは説得力ありますね〜。みんなと同じ、でも自分らしく成長してほしいです(わたしもそうしよう)。
これ結局「誰に向けて小説を書いているのか」という話に落ち着くんだと思うんですよ。「賞と書籍化」を目的として小説を書いているなら圧倒的にはやりの売れ筋を書くのが早い。
でも中には俺のように「賞と書籍化」にそれほどこだわらない人間もいるんですよね。読んでくれる人が笑ってくれたらそれでいい、という人間が。そういう人間に「賞と書籍化がゴール」となる手法を説いてもまるで響かないのは当然であります。
ちなみに「わたし、賞も書籍化も全然気にしていないです」という割にはpvとかハートを気にしている作家さんたまにいます。それ受賞欲出版欲が残っている証拠ですから。そういうの一番見苦しいと俺は思いますね。
作者からの返信
賞はともかく、書籍化になんないかなあと、ずっと思ってますね。「本」に憧れがあるので。
ゆうすけさんの言う「誰のため」というのは、大事らしく「小説の書き方」本でもよく説かれてます。
ただ、わたしは「自分のために」書いている中二野郎なんですよ(笑)わたしを表現するためのツールとしての小説を通じて、わたしのことをわかって欲しい感じ。
だから、「読まれないなら売れ筋を書こう」って、自分で自分を否定するみたいでできないですね〜。
そうなんですよー-私もついつい子供のテストでは、平均点は?
って聞きますよ。とりあえず真ん中あたりにいてほしいという、親の願望ですね。
しかし、息子はその真ん中になれないことが多く。あんまり聞かなくなりましたね(笑)
いまはとにかく出版社に体力がないので、売り上げアップが至上目的なのでしょう。売り上げアップして、資金ができたら冒険できるのでしょうけど……
どうも、ここ数年公募でも冒険した受賞作はあんまりでてませんよね。それだけ出版不況はひどいのかなー
出版社の売り上げに貢献するため、本を買うしかありません。
作者からの返信
>私もついつい子供のテストでは、平均点は?って聞きますよ。
そう。聞いちゃますよね〜。平均より低い子供からしたら、嫌〜な気分になると思うんですよね。平均より高い子供にとっては、平均なんてどうでもいいことだし。平均を聞くのは「平均以上」であってくれという親のエゴですよね……。
出版社が利益回収に気を取られているうちは、「安全牌」な作品――売れそうな作品から優先されて書籍化されそう。売れ筋から外れてる自覚のあるわたしなど、まったく相手にされないです〜。
日本人のサガ…ですね。
村社会は今でも根底に根強く残っています。
母親とは、子が集団から弾かれているのを良しとはしたくありませんね。どうしても「みんなは?」と聞いてしまいます。
うちの子たちも「みんな、そうしているから」と言います。こうやって日本の仕組みは続いて行くんでしょうねー。
本当ね。日本人はワンパターンが好き?
水戸黄門もいつも同じだから安心感あるもんなー。
作者からの返信
>うちの子たちも「みんな、そうしているから」と言います。
普通そうなんですよね。わたしがちょっと変わってるんです(笑)
>水戸黄門もいつも同じだから安心感あるもんなー。
水戸黄門のワンパターンは、わたしが子供の頃から、さんざん揶揄されてましたから。人は「安心」、「安全」で、「期待を裏切らない」コンテンツを求める人って、とても多いんだなって思います。