第89話 みんなと同じ呪い

 うちの奥さんが、息子によく言うことなのですが――。


「クラスのみんなはどうしてるの?」


って。


 たとえば、テストの点数が良くなかったり、小学校へ登校するときの服装であったり、持ち物であったり、勉強の仕方であったり、遊ぶ時間と勉強時間の割合であったり、家で遊ぶか旅行に出かけるかであったり……枚挙にいとまはありません。


 ――人のことなど、どうでもいいやん。


とわたしは思います。


 テストの点数とか、通知表の成績が悪かったときに「ほかの子はどれくらいだったの?」と聞いては、不安になったり、安心したりする奥さんを見ていると、わたしの胸はザワつきます。


 ――他人と同じであることに安心したり、他人と異なっていることに不安になったり、そんなのやめようや。


と思います。


 どうやら奥さんは「みんなと同じ」であることに重きを置く価値観を強固に持っているようなんです。わたしは逆に「みんなと同じだなんて、自分の存在意義を損なう」と考えています。あまりに主張するとケンカになるので、言わないようにしてるのですが。


 ある集団の中で、良い意味でも悪い意味でも目立ってしまうと、楽できないじゃないですか(笑)普通の人(取り立てて能力があるわけでも、ないわけでもない人)は、なるべく目立たず集団の中で楽して生きたいと思うのが「普通」なので、そういう人にとって目立つことは悪いことなんですよね。


 ただ、「良い悪い」や「正しい正しくない」をすっ飛ばして、「どのくらいみんなと同じか」ばかり気にしているのはどうかと思うのですが、これも「ムラ社会日本」の弊害なんでしょうか。




 さて、小説ってどうなんでしょうか。みんなと同じがいいのでしょうか、オリジナリティ溢れるものの方が良いのでしょうか。


 わたしはオリジナリティのある小説を読めたときの方が「おもしろかった」「なんか得した」と思うタイプですが、Web小説界隈ではそうでもないようで、カクヨムを見ると同じよ〜〜なタイトルの小説がランキングにずらりと並んでいます。


 せっかく時間を溶かして読むなら、おもしろいことが保証されている流行のジャンルを読もう――その方が「安全だ」という意識が働くのでしょうか。


 また、コンテストでも、どこかで見たことがあるよ〜〜なタイトルやジャンル(出版社の判断する「売れ筋」なんでしょうね、これが)の作品から入賞していきますね。


 ――ここでも「みんなと同じ」かよ。


 一般公募の新人賞を前提に「小説の書き方」を解説した本には、「オリジナリティが大切」「あなただけの小説を読みたい」「新人賞に傾向と対策は無意味」などと書かれているものが多いのですが、ことWeb小説に限ってみると、この「小説の書き方」は当てはまらないですね。


 カクヨム友達の澄田こころさんがコンテストの傾向と対策を読んで、かつ、よく当てていることから分かるように、Web小説のコンテストには「傾向と対策」が有効で、「いまWebでウケているジャンル」そして「これからウケそうなジャンル」に乗っているかどうかが、大切ということが分かります。


 ――つまらねーな。


と思いますが、新しい才能を売り出すより、ある程度売れることが確実な作品を出版した方が、赤字になるリスクが小さいですからね。出版社も「安全」が第一。


 わたしたちは、みんなと同じって呪いにかかってる。










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