第47話 そろそろ書くか!

 きのうは県立美術館へ行ってきました。

『ミニマル/コンセプチュアル』っていう展覧会をやっていた。


 失礼なことを書いてしまうと、タイトルに作者の名前が入ってこない展覧会は主催者が「知名度が低いから作家名では集客しづらいんだよね。でも、いい企画だから見てもらいたいんだけどなあ」と考えていように思えます。わたしもどうせなら知名度の高い作家さんの作品を見たいので(おい)、『ミニマル/コンセプチュアル』のような展覧会にはいつもはいかないんですけどね。でもほら、わたしもGWの家族サービスで疲れてるから、あまりたくさん人のいるところへ行くよりは静かなトコロに行きたいじゃないですか。


 ――県立美術館でいいんじゃね。


とあまり期待せず行ってきました(重ね重ね失礼)。


 結果、かなりよかった。

 ミニマル・アート、コンセプチュアル・アートって、いわゆる「現代アート」(といっても50年くらい前の作品だ)です。ぱっと観るとよくわからないし、芸術的には見えない。鉛の立方体が床に並べてあったり、やはり正方形の鉛の板が床に敷き詰められていたりするんですけど、展覧会で見てもよくわからない。


 なんといえばいいのか……60年代、70年代って思索とか、観念とかがカッコイイ時代だったんじゃないですかね。だからそういう時代でにおいては、ひとめ見て「エモい」と感じる作品(一般人の想う芸術的な作品)は、最先端をゆく若い作家にとっては「ダサい」作品だったんでしょうね。ひとめでは分からないけれど、よく考えて作品を見れば製作者の意図が伝わってくる――観念的な芸術(コンセプチュアル・アート)ってわけ。


『ミニマル/コンセプチュアル』では、いくつか感心した作品がありました。


リチャード・アートシュワーガーって人の芋虫みたいなオブシェがあっちこっちに掛けられている作品とか、河原温の「Today」と「I Got Up」にはとても感心しました。アートシュワーガーは空間を、河原は時間をそれぞれ作品に取り込んで製作しているのが、素人のわたしにも分かりやすくてよかった。いずれも「これが芸術なのか?」っていう作品で、


 ――こういうのをコンセプチュアル・アートっていうのか。


目からウロコが落ちたような気がしました。作品解説の表示板を読まないと製作者の意図を掴むことは難しい作品でしたが、作者の考えが分かるととてもおもしろいなって思いました。








 そうなんだよな~。作者の意図がつかめれば「なんだこれ?」っていう小説もおもしろく読めたりするんだよな。逆にいうと、作者の意図が読者に伝わっていないから作品のPVがあがらないのかも。展覧会にあるよう作品解説の表示板をわたしの小説につけるわけにいかないかな。


 えっ、展覧会と同じで知名度の低いカクヨム作家はそもそもの集客力が低いから無駄だろうって? そりゃそうだけど、それをいいはじめると「タマゴが先かニワトリが先か」って話になんないですかね。


 あー、こんなこと書いてないで小説書こうっと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る