第33話 小説に求められるもの
昨日のつづき。
昨日は、絵と小説について、それぞれ写真と映像作品(映画やテレビ)が登場したことによって、人間の内面を描くようになっていったんじゃないか……ってなことを書いていました。
ただ、それもこの国では20世紀までの話だと思ってます。絵も小説も難しくなり過ぎたように思う。まっさらな状態で見たり、読んだりしてもよく意味がわからない。たくさん予備知識を仕入れてから鑑賞しないと分からない作品が良い作品――とは、思えないんですよね。いくら専門家から高く評価されているとしても、一般の人の心に響かない作品は、良い作品とはいえないと思います。
そう考えてたのわたしだけではないようで、80年代になると「分かりやすい小説」が本屋さんに並ぶようになりました。「ラノベ」です。
個人的に、ラノベの元祖は水野良『ロードス島戦記 灰色の魔女』だと思ってます。ラノベ(ライトノベル)といえば「キャラ」と「メタ」。キャラクターが立っていて、物語に元ネタ言及的な部分があるっていうんでしょうか、そんな感じ。
『ロードス島』は、もともとテーブルトークRPGのリプレイとしてはじまった連載をノベライズした小説で、小説そのものがメタRPGになってます。(これは、いまの異世界ファンタジーにテンプレとして踏襲されています)登場人物は「人間」「エルフ」「ドワーフ」という種族や「戦士」「魔法使い」「僧侶」といった職業で明確にキャラクターづけされています。
特に「キャラ」はこの小説をすごくわかりやすくしていれていて理解に迷わない。一般文芸にラノベのようなわかりやすいキャラは出てきません(なぜなら、実際の人間はひとつの「キャラ」で表現出るほど単純でなければ、他の人に際立った個性を持っているわけでもないからです)ので、小説って難しいからと敬遠していた人がラノベに飛びついたのでしょう。
ラノベという小説は、人間の内面を描く分かりにくさを避けるために、人間を登場させずに「キャラ」を登場させるようになったのです。「キャラ」って何かというと記号ですね。人間が描かれているじゃなくて、「熱血漢」とか「ドジっ子」とか人の一面を切り取って個性(属性)を際立たせている。効果として、登場人物がとても分かりやすくなります。
むかしから、ラノベはセリフばかりで地の文がほとんどないという批判(?)がありますが、じつはその批判は的外れです。ラノベは単純で明確なキャラ設定があるので、地の文で内面描写をする必要がありません。小説をわかりにくくしてきた内面描写は不必要なものとして書かない。いわば小説の正当な進化ですね。
ラノベって、小説として開き直ったところのあるジャンルだと思う。
――わかりやすくて悪いか。
――いかに高尚なことを書こうが、読まれてなんぼじゃろが。
この開き直ったところが、アニメ化などメディアマックスと相性がいいんでしょうね。「小説ならでは」を追求していないがために、アニメ化しやすく売れ行きもいいわけだ。小説ならではの小説を追求してきた一般文芸(特に純文学かな)の作家にしてみれば複雑でしょう。
Web小説は、ラノベの子どものようなもの。さらに分かりやすさが求められているような気がします。わたしは一般文芸よりの作品が好きでよく読みますが、☆三桁の作品はあっても☆四桁の作品はありません。ラノベ風が読まれる傾向にあるのは明らかです。
わたしも☆100を目指そうと思ったら、ラノベを書かないといけないのかなー。うーん、ラノベかあ。悩む悩む。
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