第18話 創作のくせ・接続詞
小中高を通じて学生時代は、作文が苦手でした。原稿用紙を渡されて「バス旅行の思い出を作文に書きましょう」などという課題が出されると、かなり絶望的な気分になったものです。例えば――
きのうはバス旅行で神戸へ行きました。そして、神戸港を見学しました。バス旅行は楽しかったです。
書いてもこれくらい。400字詰め原稿用紙で二、三行書くと、もう書くことがなくなってしまい、いつも途方に暮れてしまうのでした。
夏休みの課題によくある読書感想文など推してしるべし――という状態です。よく《『小説を書く》》などということを趣味にしたなと思います。小学生の頃のわたしが、未来の趣味を聞かされたなら――
『嘘つけ。おれにそんなことできるわけないやろ!』
と一刀の下、否定されたに違いありません。わたしの作文嫌いは大人なるまで続きました。
今回は、いつも書いている文章の癖の中から、接続詞の癖についてちょこっと書いてみます。
子どもの頃、やたらと作文に「そして」という接続詞を使っていました。上の例文にも使いました。例文の場合『きのうはバス旅行で神戸へ行きました。』で文章が切れてしまうところ、無理やり「そして」で、次の『神戸港を見学しました。』と繋げているわけ。それでないと、作文が一行で終わってしまい、先生に叱られてしまうから。。。
こういう情けない記憶と結びついた「そして」という接続詞は、小説ではまず使いません。わたしの癖のひとつです。
また、順接の接続詞「だから」とか「なので」は、それが使えるある場面でもなるべく使わないようにしています。どうして? と訊かれてもうまく答えられないので困りますが、その方がスマートな文章のように感じます。
あと、気をつけているのが「しかし」とか「だが」とかいう逆接の接続詞です。わたしが仕事上、よく使う接続詞ではあるのですが、これらには堅苦しいイメージがついて回ります。小説ではなるべく「けれども」とか「ところが」という接続詞に置き換えます。
わたしの場合、小説に逆接の接続詞をよく使う癖があるようで、下書きでは、仕事の癖で「だが」を連発しているところを、「でも」とか、「ところが」に直して仕上げることが多々あります。なるべくソフトな雰囲気をもった作品に仕上げるのがマイ・ブームだからです。(時代小説のときは、逆に殊更固苦しい文体で書くこともあります)
小説を書いているみなさんは接続詞に気をつけていたりするのでしょうか。気をつけている表現とかありますか?
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