第11話 感動がやってくる

 このエッセイでは何度も書いてきたことなのですが、最近、小説を読んでもあまりおもしろいと感じられなくなりました。年取ったからなのかなーと思います。若い頃はなんでも、それなりにおもしろく読めたものですが。最近はなかなかおもしろい小説やマンガに出会えません。


 人が感動するとき、その感動はどこからやってくるのでしょう。読んでいる本とか、見ている映画、アニメからやってくるのでしょうか。



 先日、司馬遼太郎の本を買って読みました。『侍はこわい』光文社文庫。時代小説短編集です。


 学生時代からの司馬遼太郎ファンであるわたしは、文庫になっている司馬遼太郎の著作はほとんど知っていると思ってましたが、これは知りませんでした。戦国武将から忍者、幕末の剣豪ものまで「寄せ集め感」は半端ないですが、司馬遼太郎の小説なら読まないテはないと思い、110円出して買いました。ブックオフで見つけてのです(笑


 おもしろい。さすが、司馬遼太郎。


 巻末の解説を読むと、この本に収められた短編は雑誌に発表されたが、これまで単行本に収録されてこなかったもの――とあり、「道理で知らなかったわけだ」と納得したのでした。


 この解説を読んでいると、なにやら蛍光ペンで線が引かれている箇所を見つけました。古本ですから、以前の持ち主がしるしをつけたものなのでしょう。


 ――やだなぁ。


 見つけたときは、本が汚れていることが不快でした。線が引かれた箇所を読むと、


『この仕事を長く続けるこつは、昨日のことは忘れ、明日のことは思い煩わないことです』


とあります。


 この本の解説を書いた三好徹が直木賞を受賞したとき、司馬遼太郎から送られてきた葉書に書いてあった言葉です。日頃、司馬遼太郎が心がけている小説家としての気構えなのでしょう。


 わたし、この一文に本に収められたどの短編よりも感動しました。司馬遼太郎にというより、線を引いた人に対して


 ――この蛍光ペンで線を引いた人も、わたしと同じように小説を書いていたのかなあ。この言葉とおり、書き終えた小説には悩まず、まだ書いていない小説に思い煩うのはやめよう。


といろいろ想像することができて感動したのです。この件に関しては、司馬遼太郎の力ではなく、わたしの想像力こそが感動の源であるように思いました。


 感動とはじぶんの中から溢れ出てくるものかもしれませんね。


 古本ならではのエピソードでした。


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