問3−3
今さら命という言葉に改めて驚いたりはしないが、この女はとんでもない事を言っている。接客の続きかと思う程に優しく柔らかな笑顔で言う事とはとても思えない。
「差し出す……?」
「えぇ、お連れ様のどちらか1人で構いませんよ」
崩さない笑顔が逆に恐怖を感じるな。くそっ、一体どうもっていくのが正解なんだ。
「差し出したらどうなる?」
「むしゃむしゃ食べられますね」
何度も見た地獄の光景。耳にこびりつく不快音。やっぱりあぁなるのか。芦屋さんがよぎる。秋風がよぎる。理央がよぎる。
俺に人の命を背負えるか?
……背負えるわけないだろ。
「差し出せない」
「それでは交換は致しかねます」
「なぁ、頼む。他に方法はないのか?」
すると、優しかった微笑みがすっと消えた。まるで深淵の暗黒かのように人の持つ感情が失われたように見える。
女は徐々に距離を詰める。一歩また一歩と進んでくる度に心が締め上げられる。その一歩がまるで死の宣告、命のカウントダウンのようだ。
「じゃあ……」
女は俺に体を密着させる。首に手を回す。恋人同士のようなシルエット。こんな時にだが人としての温度は体に感じる。
唇が触れる間際、吐息すら感じれる距離。輝く目を見つめる。息を忘れる程に引き込まれる。その時、ゆっくりと女の唇が動き始めた。
「あなたの命は?」
「えっ……」
「差し出せばお連れ様に1万円差し上げますよ」
俺の命……?
それで皆が助かるなら。それしか方法がないなら。
本当に差し出せるか?
途端にフラッシュバックする思い出、理央の表情、笑い声、それは簡単に俺の決意を打ち砕いた。
「なら、もう1万円はいらない」
「この話次はありませんよ?」
「あぁ。構わない」
女は寂しそうな表情をしながら、狂気を含ませてこう言った。
「残念……むしゃむしゃ食べられるところ見たかったのになぁ」
気がつくと、天井には俺包み込めそうなウネウネとしたそれが人を食べたそうにぶら下がっていた。そして、それはゆっくりと膜の中へ消えていった。
部屋を出て、芦屋さんと秋風のいる店の前まで向かった。
「すみません、成果はありませんでした」
「何の話だったんだ?」
「誰かの命と引き換えに1万円って言われたよ。そんな条件受け入れるわけないだろう? 違う方法を探すしかないよ」
「なるほど、相変わらず狂ってやがるな」
「確かにそうだね。それが答えだとは思えない」
芦屋さんも疑問に感じたらしい。が、しかし誰もが次へ進むヒントを失っていた。
スマホを見るとそろそろ動き出さないといけない焦燥感が増すばかりだ。
【残り 39:42】
「くそっ。残された手段は何だ?」
皆、生きるために必死だがそれがわからないんだよ。
合理主義な秋風は状況を整理し始めた。
「万引きは必ず処刑される、バレずに持ち出す方法がわからない。きっとセンサーかなんかで一瞬でバレるんだ。かといって命と引き換えにクリアってのが正解だと思えない」
「分からないな。あの女性は子を育てる優秀な大人をなんて言ってたしね。模範とする大人の行動を考えればって事なのかな?」
「あ」
秋風も芦屋さんもこっちを見た。ずっと考え事をしていた。忘れていた何かを急に思い出した感覚。
「何だよ?」
「るるちゃんはあの人形が欲しいなんて言ってない」
「るる? あぁ、あの子か」
「あれが欲しいんじゃなくて、ただのヒントって事じゃないか?」
芦屋さんは何かに引っかかる表情をしていた。
「るるちゃんって、あのるなちゃんの友達の事じゃないかな? 箱の裏側に色んなキャラクターの情報が書いてたよ」
「……それだ!」
俺達は急いで店内へと走った。
もう一度商品を手に取る。そして裏側の商品説明を見た。遊び方や、様々なキャラクターの説明が載っている。
るるちゃん。るる、るる……。
このセット色んな人形が入っているんだな。るか、るり、似たような名前が多いな。指先を添えて一つずつ確認しスライドさせていく。
【るか】
るるの大好きな姉。活発で明るい女の子……
【るり】
るるの大好きな友達。よく一緒におままごとやお人形遊びをしている……
あった。見つけたこの子だ。写っている服が同じ。間違いない。やっぱりこれはヒントだったんだ。
【るる】
人見知りで恥ずかしがり屋。おとなしい性格の女の子。甘くておいしいアイスクリームが好き。いつも笑顔で優しいママとしっかり者の姉が大好き。服装もよく姉のマネをしている。休みの日にはいつも一緒にお出かけしている。
「えっ?」
「おい、嘘だろ」
箱を隅々まで見た。見落としのないように。芦屋さんに箱を渡すと、もう一度確認してくれている。
「手がかりがあると思ったのに……」
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