京都・北野界隈 異人さんが御花の処方箋お出しします

@rurimatsuri

第1話  お花の処方箋のはじまり

 薄く氷の張ったバケツの表面をキラッと輝かせる、うららかな陽がさす。春が確実に来てるのだなとは思うほどのほんの少しの暖かさを見出せそうな月曜の朝、市場から届いた花箱の封にカッターの刃を滑らし蓋を開ける。

「あぁ、寒っ。」両手をこすりあわせ、気分のあがる「香り」を嗅ぎたくて最初に選んだひと箱だ。

 スイートピー、フリージア、水仙。鼻から脳の海馬へ抜けてダイレクトに届く早春のみずみずしくも馥郁とした季節の匂い、1月の花屋の匂いでもある。

「春ですねー」店主は取り出したスイートピー・青式部の花の束に顔を埋めるように胸いっぱいに春の香りを溜めている。

老舗メゾンの香水も生花から香り立つ命の芳醇な匂いはかなわないだろう。フローリストの受ける自然からの贅沢なギフトのひとつである。

 そして、ここ京都の北野天満宮をその界隈とするフラワーショップ「一(いち)加(か)」の店主の破壊的かつ圧倒的な美しさを朝一番から眼福させて頂くというアシスタントの特権も思いっきり享受させて頂く。

今年で30歳だという美貌の店主は、柔らかなウェーブのかかった亜麻色の髪、吸い込まれそうなほど澄んだ森を映す湖底のように深いグリーンの瞳。彫像モデルでもあるかのような端正な顔立ちとスタイルを有する、ひとことで言えば超イケメンのフランス人フローリストである。


 京都で超絶イケメン外国人の店主が営む花屋、なおかつ日本語堪能、時々京都弁可となれば、それこそ有名婦人雑誌の京都特集などのメディアからの取材引き合いもきついであろうが、取材メディア等一切お断りなのが「一加」と店主「レオナルド・ラガーフェルド」の主義である。

 全国的に知られている学問の神様菅原道真をまつる北野天満宮から今出川通りをまっすぐ西に行くと北野白梅町の交差点である。最近モダンに建て替えられた嵐電の駅舎のあるこの交差点から西大路通りをまっすぐ下がり、(南へ向かうことを京都では下がるという。ついでに言うと北へ向かうときは上がるで東や西は入るという。)百鬼夜行の妖怪ストリート一条通りを西に入って数本目を下がった住宅街にひっそり佇む京町家のショップ兼住宅が一加である。

 一加の店頭に花は並ばない。

 外観は古い京町家だが引き戸を開けるとシンプルに土間打ちされた入口には2メートルほどのテーブルサイズに切り出され、上面をテーブルのようにカットされた大きな石があるのみ。そして奥に進むと、

「一加」の店舗というよりはアトリエ、研究所とでも言ったほうが良いかとも思う店内は多彩な表情の観葉植物、和と洋、オリエンタル、ロマンティック、骨董、モダン、世界のいろいろな文化がほどよく融合した小世界を織りなしている。切り花は丁寧に水揚げされた後、別の冷蔵庫仕様に改築された専用の部屋に整理されて出番を待つ。1階は他に来客との打ち合わせルームとギャラリーのように作品を展示できるスペース、制作室。スタッフは僕ひとり、猫2匹、犬1匹。

この猫と犬のスタッフがまたユニークなのだが、それは改めて時間を取り、ゆっくり紹介したい。


 店先にあふれるように花を並べないのは、店主レオナルドのSNSをしない主義の影響による。店舗としてその存在はあまり世間に認知されていないからだ。店舗の外観はおよそ花屋さんのようにも見えず、一見さんのお客様がほとんど来ないし、戸をあけた途端どんと構える石のテーブルと何もない空間に気圧され、そっと戸を締め、回れ右される来客も多い。

 アルバイト初日、店には誰も来店がなかった。それでもひょうひょうと良い花を仕入れるレオナルドはどんな仕事をしているのだろう?一加は本当にフラワーショップなのか?と疑問に思ったが、そんな不安は一切無用ということを僕は勤務一週間以内に知ることとなる。


 僕が最初にレオナルドに会ったのは、岡崎エリアにあるみやこメッセというイベントホールで開催された、日本でも有数のフラワーデザインコンテストの会場だった。僕、「御輿(みこし) 青(せい)蘭(らん)」は明治の代に大きな生け花流派から独立して創設した、京都で3代続く昇月流の次男である。京都でまだ100年そこそこの流派など弱小で、生け花の流派合同花会などでは細々と出瓶している。家では兄が流派を4代目として継承する予定で全て進んでいる。

そのおかげで僕は幼少の頃から稽古場は遊びの場で、花は楽しむというスタイルで触れる程度であった。

 そして僕は、高校の部活で文化祭応援要員として手伝った華道部でフラワーデザインという欧米の花活けのスタイルに出会った。同じタイトルで花瓶に入れられた生け花と洋風のスタイルの花。

その対照になぜか強く惹きつけられ、それからは家にある生徒さんのお稽古花を少しわけて貰っては、動画を見ながら見様見真似でフラワーデザインなるものを楽しんでいた。無意識ながら日本の伝統を踏襲しない花を生けてみたかったのかもしれない。


 高校最後の年、僕は気まぐれにこの大きなフラワーコンテストに華道部の女子と一緒にエントリーしていたのだが、僕の展示作品がなんとファイナリスト10名に勝ち残っていた。。そして、そのコンテストの審査員のひとりにレオナルドがいたのだ。


 決勝種目はフリースタイルの花束と、ステージに出てきたモデルの衣装にあわせた装花をあわせて120分以内に作るというもの。

なんせ動画研鑽の自己流フラワーデザイン。コンテストも初めて、人前で花を活けるのも初めて、時間があっという間経過し、ファイナルステージの終了を告げるアナウンスを聞いた。120分の終了後、何名かの審査員がステージ上で制作した花束を花瓶から出してもっともらしく頷きながら回転させて揺らしてみたり、モデルを動かして装花をチェックして手元のボードに点数を記入していく。

 コンテストの結果はファイナリスト10名のうちもちろん10番目。この業界では、審査員の先生にコンテスト終了後講評をもらいに行くのが慣習らしく、表彰式の後の懇親会で、何名かの審査員を尋ねて回った。審査員はそれぞれ、コンテストに出場した選手やその審査員の教室の生徒であろう人に囲まれたいくつかのグループを作り談笑している。

「君の花は古いヨーロッパのスタイルだよねぇ。もっと最新のスタイルをとりいれなきゃ。〇〇先生のお教室で教えているような。」何人かの審査員に同様のことを言われ、どこの教室にも所属していない僕は何だかとても場違いなところに来てしまったような居心地の悪さに早くここから帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。


 「あなたのコンセプトは素晴らしかったです。日本の生け花のテクニックが随所に見られ、モダンでクールでしたよ。でも、圧倒的に技術と知識が不足してますが。」と背後から低く、だが耳に心地よい響きの声が聞こえた。超絶イケメン外人の審査員の先生がいるのはわかっていたが、自分には関係のない世界だと、そしてもし英語で話しかけられたらどうしようという苦手意識もあり、あえて挨拶をさけていたのに。流暢で美しい発音の日本語でその審査員先生に話しかけられたのだ。

「僕、動画で見た自己流で。何がどういうスタイルなのか自分ではわかっていないんです。ただ、こんなものが創りたいって感じで。」

「そうですよね。コンセプトはとても良いとセンスの原石を見つけたような作品でした。でもそれを表現するテクニックはびっくりするほど未熟です。もし、あなたが花本来の美しさを損なわず、より昇華したデザインを作ることが出来たら、日本のフラワーデザインは大きく流れをかえるかもしれませんね。」美貌の外国人審査員先生はさらっと呟いた。

「最近、北野天満宮・天神さんの近くにショップを開いたのです、もし良かったら一度遊びに来てもいいですよ?」と京都北野・花の店「一加」フラワーデザイナー「レオナルド・ラガーフェルド」とシンプルに印刷された名刺を貰った。


 後日このアトリエのような店を訪れ、僕はたちまち不思議な空間のとりこになった。だがその空間にレオナルドが活けたシンプルな白とグリーンの花々が繊細で緻密に絡み合い、静謐ながら力強い存在感を放つアレンジメントを見た瞬間、稲妻のような感動に打ち抜かれ、思わず口にしていた。

「京都は道が狭いから慣れた人が配達した方がいいですよ。」「京都で商売するなら知り合いが京都にいた方が何かと都合がつきやすいですよ。」などと半ば強行にアルバイト自薦売り込みをしてしまったのだ。そして、まずは見習いから始める許可をもらったのだった。

 それでもその時は、後にこんなに「花にはまる」とは思いもしなかった。


 スイートピー・青式部(あおしきぶ)100本入りの箱を水揚げし、香りをたっぷり楽しんだのち、早く水につけてあげたいスノーフレークなど草花系の箱を片付け、チューリップ、ガーベラ、バラ、順番に箱を開けては下葉を取り除き、棘を取って足元を鋭角に切っては水につけていく。それぞれの花によって水揚げの仕方が違うということも少しずつ覚えてきた。

 小さな生け花流派の家元である家にはいつ花が溢れているが、それらは全て懇意にしている仲卸さんが手厚く準備してくれている花だったので、これまで花の下処理などは全く知らなかったのだ。

花物が終われば、次は葉物そして枝物。今日の枝物の雪柳や青モジの枝を割って水につける。ひとしきり片付き整理したところで電話がなった。


ダリア・艶舞


「ありがとうございます。一加です。」

アルバイトである僕が応答する。

「もしもし、おはようさんです。祇園の山口ですけどレオン先生いてはる?」御贔屓の料亭の女将である。

「すみません。今ちょっと姿が見えなくて。」

どうやら店先に届いた他の荷物を取りに出たようで近くに姿は見当たらなかった。

「そうか。それやったらレオン先生に言づけといてくれはるか?こないだ相談させてもろうた古希のお祝いのご宴席のお客さんやけどでな。今晩のお席やし、その確認の電話やていうといて。お嬢さんからお母さんへのサプライズやしな。いつものようによろしゅうってな。ほなお頼申します。」こちらが返答する声にかぶせるようにガチャンと女将の電話は切れた。


 一加の花仕事は常連さんの数珠つなぎで成り立っているらしく、かかってくる電話も当然このようなお客様が圧倒的に多い。京都で商売を始めたばかりなのにどういった縁故をうちの店主はもっているのだろうか?

レオナルド(レオン先生)が戻ってきたところで、夕方山口さんのところに古希のお祝い花をお届けする確認の電話が女将から入ったと内容を伝える。

「青嵐、古希のお祝いの花といえばどのようなお花を合わせたら良いと思いますか?」美貌の店主は、まるで小テストをする先生のようにすんとした目で僕に尋ねる。

「古希って70歳だよね。古希の色ってあるの?還暦は赤だと知っているけれど。」

と呟く僕に、

「青嵐、あなたは生け花のお家元に生まれて、日本人でしょ。日本のセレモニー、節目の色は最低限身知っていなければならない教養だと思いますよ。古希の色は紫です。」と溜息交じりに答えが返ってきた。

「なぜ紫なんだろう。」

言葉を重ねた僕に、レオンはもう一度小さく溜息をついて優しく解説してくれた。

「そもそも古希とは、昔、唐の詩人・杜甫が呼んだ詩の 人生70年古来稀なり に由来しています。昔は短命な人が多く70歳まで寿命をを保つのは本当に稀であったから、70歳を無事迎えたということをお祝いして最も尊いとされた紫を用いるようになったのですよ。」

フランス人に日本のセレモニーを解説されるという無教養の恥を晒しながら春には大学生となるアルバイトの僕は頭をかきながら紫の花を選び始めた。

 これでも生け花の家元の家に生まれたからにはある程度、花の名前は知っている。合点したとトルコ桔梗、チューリップ、バンダ、バラの紫をレオンに差し出す。レオンはこくりと頷き、

「オーバルの黒い器に吸水性スポンジを1ブロックセットして下さい。それから、外に出している侘助と青文字、木賊も少しおねがいします。」

 レオンは優雅な手捌きでナイフと花鋏をあやつり、花を活けていく。グリーンと紫の花があらかじめ決められた場所に収まるかのようにデザインされていく。

全体的なスタイルはクラシックスタイルとよばれる王道のシンプルな半円形だ。華美なテクニックを施すでもないが、あるべきものがあるべきところに均衡を保ってただ生き生きと配置される。紫の花に混じってさりげなく「感謝」の花言葉を持つピンクの薔薇もちりばめられる。

「さて、仕上げにそこのダリアを入れましょう。」レオンが手にしたのはダリア・艶舞。赤みがかった濃い紫が白い花弁にさし、舞い踊るような花びらの華やかなダリア。

これをアレンジメントの中心に配置する。

艶舞はさも承知したとばかりにアレンジメントという舞台の中央で妖艶な主役としての魅力を振りまき、贈り花は上品な紫に「華」が加わった。


 お客様それぞれの背景に適したストーリーのエッセンスを花に加える。

これが店名の「一加」の由来。


 私は今日、母に初めて感謝の言葉を伝えるつもりだ。子供の頃贈った母の日のカーネーション以降母に花を贈った記憶はない。私は舞・芸妓さんが舞う踊りの家元の家に生まれた。3姉妹の3番目。

一番上の姉は生まれたときから後を継ぐべく、物心つく前から舞の稽古に励んでいた。

小さな頃から着物の似合う顔と体つきで筋も良く、流派は安泰と周りの御社中さんも目を細めて姉の成長を見守っていた。二番目の姉は勉強がよく出来た。踊りもそこそこそつなくこなし、ただ後を継ぐ必要もないので良い大学を優秀な成績で卒業すると、今流行の私には理解できない横文字企業に就職した。

私は、普通だった。特に勉強が出来るわけでもなく、踊りは退屈だと思っていた。ただ、運動神経は良い方で、体も柔らかく、ダンスが好きだった。

母に頼み込んで小さな頃はクラシックバレエ、その後ダンスを踊るようになった。上二人の優秀な姉へのコンプレックスがあったのだと思う。踊りの稽古は何かと口実を設けてはずる休みをしていた。伝統に対する若い反抗心や洋ものへの憧れもあったのだと思う。わがままにも高校からアメリカに留学させて貰い、卒業後もそのまま帰らず、ダンスのインストラクターとなった。たいして大きな芽がでるわけでもなく、気づいたら数年が過ぎていた。

 こんなもんかと半ば投げやりな等身大のダンスエクササイズをSNSにアップしたら、これが身近でいいと共感する人が多かったのだろう「バズった」。

何冊かエクササイズ本も出し、テレビで紹介されることもある。日本に帰国してスタジオを持つことになった。こうして、私は何とか自分に自信を持てる依り代を見つけることが出来たのだ。

 そして、母の70歳の御祝いをしようと姉たちから声がかかった。久しぶりに実家に帰って見た母の背中はこんなに小さかったか?

いつもたくさんの舞・芸妓さんの中心で型をつけ、指導していた私の記憶に残る母はもっと大きく、強かった。知らない間に年を取ってしまった母に今なら間に合う。これまで好きにさせてくれた感謝を伝えなくては。でも面と向かって「ありがとう」というには今更な感じで柄にもないし恥ずかしい。さりげなく御祝いの席で花でも贈ろうと思った。そして祝いの宴席をもつ予定の、昔から懇意の女将に相談した。

 「それならうちがいつもお願いしてるお花のデザイナーさんに頼まはったらいいわ。」と紹介をうけ、今まで好きなことをさせてもらった感謝の気持ちを伝えたいのだと,電話の声はまるで日本人のように応答してくれる、フランス人だというデザイナーさんにお願いした。

 母の好みを日頃から見ている姉たちは、何かブランドのスカーフやバックを贈るらしい。私は、「花」でいい。「花」があれば話しやすくなる。「花」をきっかけに少し会話して何か親孝行でもしてみたい。


「古希を迎えるお客様は踊りのお師匠さんで、お花を贈るお嬢さんは長くアメリカにいらっしゃって、ダンスをしておられるとお聞きしました。何でもSNSをきっかけにダンスエクササイズがとても流行っておいでだと女将からもお聞きしました。お二人の関係、絆を花で御祝いするなら,是非この艶舞でお手伝いしなくてはね。」

山口の女将から念を押すように顧客情報が追加でレオンの携帯電話に届いていたようだ。

長年、舞、芸妓に踊りの指南をし、今尚、現役で自分も舞台に立つ女性。母とは違う踊りの道を歩む娘。

御祝いを贈る人と受け取る人との間にある絆のひとつは「舞」。アレンジメントはクラシカルな形の中に日本の伝統的な花と艶やかな洋花の競演。


 レオナルドの作る花がきっとお二人の間を温かくつなぐのだろうなと僕は思う。

僕の務める一加というフラワーショップ、超絶美貌のフランス人店主、レオナルドはお客様の背景を聞いて花を作る。まるで、お医者さんが問診、診察して処方箋を出すように。

 ただ紫の色を使うだけではなく、花を贈る人、もらう人のつながりにあう花をセレクトしてストーリーをつくる。そして、さらなる絆と心の架け橋になるべく、花を活ける。こんな繊細な気持ちで花を選んでいることに感動を覚えつつ、一体このフランス人は日本人でもなかなか覚えられない花の品種を、もしかしたら花言葉を、日本の歳時記なんかも全て頭に入れてるのか?と尊敬と畏怖の気持ちを込めて僕はラッピングのリボンを結んだ。



一加の店主レオナルドが活ける花で、それぞれの花と人々のストーリーは紡がれていくのだ。


#古希の御祝いアレンジレシピ

・チューリップ(クラウンネグレタ)・トルコキキョウ(エグゼラベンダー)・ダリア(艶舞)・バンダ・薔薇(ラベンダーヘイズ、オールフォーキュート)・カーネーション(ムーンダスト) 、スプレー薔薇、スターチス、ブプレウルム、青文字、ミリオンバンブー、木賊、椿(侘助)、レモンリーフ

1, ミリオンバンブー、木賊、椿で全体の高さや輪郭を出す。

2, チューリップをグループで群生させてナチュラルに挿す。

3, トルコキキョウや薔薇など順に半円の形に収まるように配置する

4, アレンジメントの中心部にバンダを配置

5, ダリアを効果的に配置する。

6, 器の縁にレモンリーフを入れ器とアレンジメントをなじませて仕上げる。






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