風邪とヴァン・ショー

「ぶっぇっくしょい」


 特大のくしゃみが騎士団の練習場に響き渡った。


「おい、ジルベール。今日はもう帰れ。訓練は俺が見るから。」


 普段、ジルベールとシルヴェストルは交代で騎士たちの訓練を監督しているが、ジルベールの体調が良くなさそうだと聞いてシルヴェストルは訓練場へやって来た。


「いや、この後リナが剣の訓練をしにくるから、それは相手にならないと。」

「それも俺がやるから。もし、手に余るようならシルヴァンを呼んできても良いし。とにかく、仮眠室でもいいから少し寝ていろ。声がおかしいぞ。」


 ジルベールは頭を掻きながら何らかの返事をして訓練場を後にした。



「今日、団長は?」


 ジルベールがいないことを不思議に思ったリナは、シルヴェストルに聞いた。


「風邪のようだ。結局、屋敷には帰らずに、仮眠室にいるみたいだが。」

「団長が大人しく帰るだなんて、余程悪いんじゃないですか?仮眠室よりちゃんとお屋敷に帰られた方が…。夏風邪は長引きますし。」

「あー。多分熱もあるんじゃないかと思うが、使用人に世話をされるのを嫌がるから、屋敷に帰らないだろうな。」

「かと言ってご家族もいらっしゃらないですしね。」

「仮眠室の方が一人静かに寝られるんだろう。しかし、なんで、何十年も体調崩さなかったのに。もうさすがに年か?」


 リナには一つ心当たりがあった。ジルベールは汗で濡れたままの格好でしばらく訓練場にいる。以前は濡れたシャツをすぐその場で着替えていたが、今はリナが訓練場を出るまで着替えるのを待っているらしい。他の女性騎士がいても気にせず、着替えるのに何故かリナがいる時には着替えない。理由は一つ。


「ちゃんと笑ったつもりだったけど、笑えてなかったか…。」

「うん?何か言ったか?」

「いいえ。申訳ありません。リオ様からの頼まれ事忘れていて、今日の訓練はお休みさせて頂けますか?」

「あぁ。構わないけど。」

「本当に、申訳ありません。」


 リナは、走って訓練場を後にした。



「母さん。母さん。」

「どうしたの姉さん。シルヴァン兄さんに何かあった?」


 馬で突然帰ってきた姉にジャンは慌てる。


「兄さんはピンピンしてる。殺しても死なない人よ兄さんは。病人は違う人。ちょっと台所借りるからね。」


 リナは食物庫を漁って、数種のスパイスとリンゴとオレンジを持った。その足で台所へ行くと、床下の収納庫を漁る。


「あった。」

「それ、父さんが大切に飲んでるワインヴァンだろ。」

「一度開封しちゃったらまずくなる一方なのにね。じゃ、これもらっていくから。父さんに宜しく言っておいて。」

「何?どうしたの?」


 家を走る姉をジャンも一生懸命追いかける。


「ヴァン・ショー作りたいけど、王宮のワインじゃ高級すぎて逆に美味しくないのよ。これくらい渋みのないワインじゃないと。って事で。じゃあね。」

「本当に姉さんは昔から嵐みたいな人だよな。」


 馬で走り去る姉を見届けたジャンは何故か急激に疲労感を味わった。




 コンコンコン。


「誰だ?何かあったか?」


 ジルベールが答えると、そっと顔を覗かせたのはリナだった。


「リナ。今日の手合わせはシルヴェストルに代わってもらったんだが…。」

「はい。知ってます。風邪、大丈夫ですか?ヴァン・ショー作ってきたので、飲んで下さい。夏風邪は睡眠不足が原因だったりしますから、これ飲んで沢山寝て下さい。」


 リナは大きなトレイに色々な物を乗せて入ってきた。サイドテーブルにトレイを乗せると、マグカップをジルベールに渡す。


「我が家のヴァン・ショーがお口に合うかわかりませんが。」


 ジルベールは黙って、一口飲んだ。


「小さい頃、お袋が作ってくれた味によく似てる。あれは、完全に酒を飛ばしてたけどな。久し振りの味だ。」

「町場のワインで作りました。王宮のワインは渋みが強くて、ヴァン・ショーには合わない気がして。」

「うまい。」


 リナははにかんだ。


「着替えを、更衣室から取ってきました。っと言っても、副団長が取ってきてくれたのですけど。」

「あぁ。悪い。」

「ハーブティーも淹れてきました。汗かいたら、着替えて、お茶を飲んで下さい。タイムやカモミールを使ったブレンドティーです。これも夏風邪に良いので。」

「あぁ。悪い。ありがとう。」


 ジルベールがサイドテーブルにカップを置こうとした時に、何かがベッドから転がり落ちた。


「これ…。」

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