ジルベール・ヴァンドーム 四十歳

「団長。その背中の傷は?」

「あぁ。ちょっと昔に。女に鞭でな。傷痕残るからやめろって言ったんだが…。女が言うこと聞かなくてな。困った女だった。」


 聞いてきた騎士は、冗談だと思ったようで、話を聞き流し笑いながら部屋を出て行く。この傷を背負ってもう何十年と経った。今では傷痕も疼いたりはしないし、心も痛まない。ジルベール自身の中では、聞かれて冗談めかして言えるくらいの出来事にはなっていた。


 ジルベールはため息を吐いた。騎士の更衣室にジルベールの棚もあるにはあるのだが、新人騎士たちが気を遣ってしまうので、着替える時にもできるだけ更衣室は使わないようにしていた。汗をかいたシャツを訓練場で着替えるのはいつものことで、何の気なしにしてしまった事だったのだが、


「あんな表情されると、逆にこちらが居心地悪くなる。」


 独り言をつぶやく。そこへ、騎士が更衣室へ入ってきた。


「団長。陛下がお呼びです。」

「あぁ。わかった。」


 ジルベールは身なりを整えて部屋を出た。



「俺も、女神祭りの護衛に?」

「あぁ。申し訳ないが、行って欲しい。」


 王妃の暗殺未遂から数ヶ月。実行犯と首謀者は処刑したが、レオナールは更に裏で糸を引いている人物がいると考えているらしい。首謀者として処刑された侍女のマルタが、王妃暗殺を画策していた時期と同じ頃に王宮内のことを探ろうとしていた侍女も気になる。


「わかった。それでレオナールが少しでも落ちついて仕事が出来るなら。」

「頼む。ジルベール。このままじゃ、こいつが本当に同行しかねない。」


 クロヴィスの表情はいつになく必死だった。




 王宮を出発して三日目、ノーラの街に着いた。騎士たちは安宿に、里桜とジルベールは王家が贔屓にしている宿に宿泊した。

 ジルベールはあくびをかみ殺しながら宿の裏を巡回していた。そこに人の気配がした。ジルベールは神経を研ぎ澄ます。

 草を踏む音は軽い、女か?まさか、あの侍女か。

 相手が間合いを一気に詰めてきたところで、ジルベールは剣を振り下ろす。カキーンと、剣同士がぶつかり合ったところで、互いを認識した。


「リナ。」

「団長。」

「お前は何をやってる。」

「警護案を拝見して、こちらの方角が少し手薄になっていると感じたので。」

「俺もだが…。」

「団長はしっかりとお休み下さい。」

「お前もだ、日中は侍女として王妃の世話をしているんだから、しっかりと休め。」

「一度、王宮を出たら私のことは護衛だと思って下さい。」

「いつもこんなことをやっているのか?」

「騎士の皆さんはリオ様を守って頂く役目。私は不審者を排除するのが役目です。」

「俺は危なく、ここで命を失うところだったか。」

「ただ者ではない気配だったので本気でかかるところでした。」


 ジルベールは困ったような顔をする。


「なぁ、リナ。」

「はい。」

「お前や、アナスタシアもそうだが、少し肩の力を抜け。レオナールも未だ、裏で糸引く奴の存在を探っている。俺もそれは気になる。しかし、お前さんたち少し張り詰めすぎだ。あれじゃ、王妃も疲れちまう。」


 里桜が気を抜かない自分たちに気を遣ってしまっていることは分かっていた。リナは何も言わず、頷いた。


「お前たちだけで王妃を守るわけじゃない。騎士団だってレオナールの兄弟たちだっている。だから、少しは休めよ。今日は俺が見回りしてるから、お前はとっとと部屋に戻れ。」


 リナは、踵を返して一、二歩進むと立ち止まった。


「団長。コレ。」


 リナは、何かを剛速球で投げて寄越す。


「危ね。人に物を渡す早さじゃねえよ。何だこれ?」

「私の母の特製軟膏です。私の生傷が絶えなかったので、傷が残らないようにって塗ってくれていたんです。オリヴィエ家で栽培した安心安全のハーブで作りました。背中に塗って下さい。少しは良くなるかも。それじゃ、おやすみなさい。」


 リナは走ってその場を去った。


「いや…リナさんよ。一人で背中にどう塗れと言うんだ?まぁいいか。」

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