第5話 「……」

 〇神 千里


「……」


 会長室。

 どこかに出かけてたらしい 、義母さんとアズと京介が。


 …ひたすら暗い。


 俺としては。

 夏の陣からこっち、京介が義母さんに懐いてるっぽいのが面白くて静観してる。

 今日の京介の『何かしようとしてるアレ』だって、義母さんの影響に違いないと思ってたんだが…



 いつもなら『聞いてよー!!神!!』って騒ぐはずのアズまでが、拗ねたような顔のまま無言。

 何があったか気にはなるがー…

 それより。


「義母…会長、新作の件なんすけど。」


 高原夏希とシェリーがアルバムを出す。

 それに乗じて、F'sとSHE'S-HE'Sのコラボアルバムも。

 この祭りに乗り遅れてたまるか!!と、他のアーティスト達も名乗りをあげて…

 ビートランドは若干気忙しい。


「はっ…うん!!色々詰めなきゃね!!」


 途端に背筋を伸ばした義母さんの向かい側で。

 京介が小さく溜息を吐いて…立ち上がった。



「……先に…映とスタジオに。」


 独り言のようにそう言って、義母さんにペコリと頭を下げる京介。


「うんー…俺と神もすぐ行くよ。」


 今日は新曲のリハ。

 だが。

 こんなテンションで大丈夫か…?



「…京介はいつもと変わんねーようにも思えるが、おまえがこんなに暗いのは珍しいな。」


 京介が出て行ったのを見て、アズの向かい側に腰を下ろして言うと。


「…なんかさー……はー……」


 珍しく。

 本当に珍しく。

 アズは深い深い溜息を吐いて。


「神様って、思わせぶりだなあって思っちゃったんだよねー…」


 アズらしくない事を言った。


 その隣では。

 唇を尖らせて、苦笑いの義母さん。


「あのね、千里さん…今日…」


「……」




 義母さんが口にした出来事。

 なるほど。

 それはー…



「…でも、だからって落ちてられないっすよね。」


「……」


 立ち上がった俺を、二人が見上げる。


「その事実を暗い事として残さないよう、現在いま動きましょう。」


「!!そっ…そうだね!!そうだよ!!千里さん、ありがとうっ!!」


 義母さんがピョーンと抱き着いて来る勢いで立ち上ったのを見て、俺はそれを両手を前に出してやんわりと断る。


「この事、里中は?」


「…たぶん知らない。」


「好都合。あいつ割と豆腐メンタルですから。」


「えーっ、そうなの?(笑)」


 笑顔になった義母さんの隣で、アズはまだ複雑そうな顔つき。

 たぶん感情移入しまくりなんだろうな。


 だいたいいつもプラス変換出来る奴が、こんなに落ち込んでる所を見ると…

 そうとうショックだったに違いない。

 当事者の京介の心中やいかに。



「アズ、行くぞ。」


「あー…うんー…」


「俺らが今やるべきことは?」


「…新曲を完成させる事…」


「そ。さっさと仕上げて、さっさとやんなきゃな。」


 俺の言葉にアズは目を見開いて。

 口に出さなくても、『うん!!』と聞こえてきそうな大きな頷きをして。


「よーしっ!!やっちゃうよー!!」


 伸びた前髪を、ポケットから取り出したピンで留めて。


「何してんの!!置いてくよっ!!!!神!!」


 いつも通りの顔で、会長室を出て行った。


「…やれやれ。」


「ふふっ。千里さん、ありがとう。」


「今まで俺が助けられてましたからね。これぐらいは何てことないっす。」


「頼もしい♡」


 笑顔の義母さんを残して、会長室を出る。



 新曲は割とシンプル。

 夏の陣でDeep Redの初期の曲を聴いて、そうしたくなった。


 七月末に発表された、あまり売れ行きの良くなかったDeep Redの新作も。

 夏の陣以降、急速に売れて…ヒットチャートの20位圏内に留まっている。


 あのアルバムもめちゃくちゃ刺激になった。

 それに、勉強にもなった。

 この歳で『まだまだ負けたくない』『進化したい』って思えるのは、幸せな事だ。


 その、Deep Redをお手本にしたと言っていい新曲。

 いくつかのパターンを試して、今日中に仕上げたい。


 問題はー…



 京介のテンションだな。





 〇高原夏希


「さくら。」


 帰って来たさくらに声をかけると。


「あっ…なっちゃん聞いて~。」


 複雑な表情で俺の胸に来た。


「ん?何があった?」


「…広縁で話していい?」


「じゃ、お茶を用意しよう。」


「あっ、窪田の羊羹も!!」


「もうすぐ晩飯だぞ?(笑)」


「いいのいいの。」


 さくらが広縁にクッションを並べ始めたのを見届けて、俺は大部屋に向かう。

 キッチンでは知花と乃梨子が食事の支度をしていて、それを大きなお腹をした咲華が覗き込み、その足元ではリズが大きな声で千里の物真似をしている。


「…リズ。可愛くてたまらないが、眉間のシワはやめておいた方が。」


 リズを抱えて眉間のシワに指を当てると。


「なちゅじ~、しゅき♡」


 ギュッと抱き着かれてしまった。

 柔らかい金髪が頬に当たり、そのくすぐったさに心地良さを覚える。


 ああ…幸せだ。



 知花に理由を話して、食事前の甘味に了承を得た俺は。

 お茶と窪田の羊羹を手に、リズを従えて広縁に向かった。


 さくらはと言うと、誓が植木の剪定をしている姿を、クッションに埋もれるような恰好で眺めている。



「誓、頑張ってるな。」


 お茶を下ろして言うと。


「うん…憑き物が取れたみたいにイキイキしてる。」


 さくらの、愛おしそうな視線。

 その視線を遮るように、リズがさくらの前に仁王立ちした。


「あっ、ただいま~。リズちゃん。」


「おかえいー。ばいばぁーい。」


「えっ、もう?」


 さくらの姿を見て安心したのか。

 リズは俺達にヒラヒラと手を振ると。


「んんまっ♪まっ♪んんまっ♪」


 飛んでしまいそうなほど軽やかな足取りで、大部屋に向かって行った。


「あっ…そっか。ご飯ね。ふふっ…」


 小さく笑うさくらに笑い返しながら、お茶を手渡す。


「で?何があった?」


「あ、ありがと…うーん…今日ね…」


 そこでさくらは…

 今日の一連の出来事を話した。


 社食で里中と話した事。

 圭司と京介が元バックリのメンバーを連れて来て、ユニットとして売り込もうとした事。

 そしてその彼が…元SAYSのベーシスト、小野寺の息子だった事。



「そうか…小野寺とは退所後一度も会った事がないな…それで?小野寺とは連絡が取れそうなのか?」


「それがー…」


「……」



 長い歳月を経て明かされた、SAYSの解散にまつわるもつれた感情。

 そこに現れた、小野寺の息子という存在。

 それは、里中と京介と小野寺…

 三人が抱え込んでしまった物を払拭させる光に思えたはず。



「…俺は長い間、神様なんてものはいないと思ってた。」


「……」


「だけど、居て欲しいと強く願う事がある。」


「…そう…だよね…」


「だが、願うだけじゃダメな事も知ってる。」


「……」


「千里も言うように、今はみんな自分がすべき事をやる。それから…だな。」


「うん…うん。そうだよね。」


 ふと、庭に目をやると。

 誓が俺達に気付いて手を振ってる。


「…さくら。」


「ん?」


「今、そんな気分になれないかもしれないが…」


 二人で誓に手を振りながら。


「俺のすべき事に付き合ってくれないか?」


 入院中、ずっと考えていた事を…切り出した。





 〇高原さくら


「んーっ!!懐かしいっ!!」


 川沿いに立って両手を空に伸ばして言うと。


「お嬢さん、落ちないようにね。」


 そばのベンチに座ってた女性に笑われた。


 …お嬢さん…って…

 あたし、きっとあなたより年上です…


「ありがとう。気をつけます。」


 女性に笑顔を返して、なっちゃんを振り返る。

 そこには、『もう慣れたけど、ここでもか』と言わんばかりの笑顔。


 まあ…いいけどね…




 …突然、なっちゃんから。


「俺とリトルベニスに行ってくれないか?」


 そう言われた。


 リトルベニス…

 それは、なっちゃんの生まれ育った場所で…

 あたし達が結婚式をした場所。


 正直、どうして…?って思ったけど。

 なっちゃんは。


「実は…兄がリトルベニスに居るらしいんだ。」


 意外な事を口にした。

 しかもその情報をくれたのは乃梨子ちゃんだそうで…

 あたしは、クエスチョンマークを頭の上に存分に散らかした。




「相変わらず素敵な景色だね。サイコー♡」


 なっちゃんの腕に抱き着くようにして言うと。


「そう言ってくれるさくらが俺にはサイコーだな。」


 わしゃわしゃと頭を撫でられた。


「…最近あたしの事、ペットか何かと思ってない?」


 撫でられて乱れた髪の毛を整えながら、唇を尖らせる。

 本当…そう感じちゃってるんだよ。

 何だかここ数ヶ月は、夫婦って言うより…何だろ…

 何て言うか、とにかく…


「バレたか…実は…」


「えっ。」


「ははっ、嘘だよ。悪かった。さくらが可愛いから、つい…」


 優しい手が頬に来て。

 なっちゃんの唇が額に落ちる。

 もう、お互いお年寄りなんだけど…あたしは今でもこの瞬間、昔に戻ったような心地になる。


 ボイトレをしてくれた。

 あたしのお弁当、笑いながら食べてくれた。

 なっちゃんが有名人だなんて知らずに、あたしは無防備に惹かれていった。


 何十年も、複雑な関係のままだった。

 今もこうして一緒に居られるのは夢じゃないかなって思う事がある。



「…なっちゃん…」


 額から唇の温もりが去って、あたしはギュッとなっちゃんに抱き着く。

 背中に回した腕に感じるのは…あの頃より細く頼りなくなった身体。

 何度も…無茶をして、無理をさせた。

 だけど、もう悩まない。

 後悔もしないって決めた。


 なっちゃんがしたい事。

 なっちゃんの気持ちを尊重したいから。



「さっ、行っちゃう?」


 パッと顔を上げて言うと。


「ふっ…ああ。」


 見上げる前から、あたしを見下ろしてたのか…



 なっちゃんの優しい目があたしを捉えてた。

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