第6話 「近い内に、里帰りをして来るよ。」
〇桐生院乃梨子
「近い内に、里帰りをして来るよ。」
夕食後。
全員が大部屋でお茶をしてる時、お義父さんはそう言って。
「里帰りって、リトルベニス?」
お義姉さんの問いかけに、少し目を細めて頷いた。
お義父さんの生まれ故郷は、リトルベニス…イギリスのロンドン。
昨年の春、二人は、そこで結婚式を挙げた。
「新作出すって分かってるんすよね?」
お義兄さんが低い声で言うと。
「もちろん。二人でしっかり練って来るよ。」
お義父さんは笑顔でサラリと言ってのけた。
「誓君。」
誓君がみんなより少し早く大部屋を出て。
あたしは、さりげなく…のつもりで誓君の後を追った。
「あれ?まだ寝ないんじゃ?」
「う…うん…そうなんだけど…」
「どした?」
どうした。と聞かれると…言いにくい。
恐らく眉間にしわが寄ってしまってるあたしの顔を、誓君は人差し指で前髪を分けて覗き込んだ。
「…あの…あたし…」
「…うん。」
「その…」
「…上がろうか。」
誓君の手が背中に添えられて、階段を上がる。
ああ…咄嗟に浮かんだアイデア。
上手く言えるかな…
部屋に入ってベッドに座ると。
「…誓君。」
あたしは、意を決して口にした。
「リトルベニス、あたし達も行かない?」
「え?どうして?」
「えっ。」
ヤバイ!!
あっさり賛成案しか浮かんでなかった!!
首を傾げてる誓君。
そうだよね…あたし達、帰国してすぐなのに…理由もなく行こうって言ったって…
「ほ…ほら、あたし達、ずっと海外にいたから親孝行出来てないし…」
「でも、邪魔じゃないかなあ?」
「うっ…」
じゃ…邪魔…
…邪魔なんて…
「邪魔なはず、ないじゃないっ!!」
あたしは両手を握りしめて立ち上がる。
「お義父さんもお義母さんも、誓君はもちろん…あたしの事だって本当の家族みたいに可愛がってくれる!!そんな二人があたし達を邪魔なんて言うはずないっ!!」
「の…」
「だって、心配なの…」
「……」
「お義父さん、余命更新してるけど…あんなに痩せちゃって…」
本当はー…もっと言いたい事はある。
だけど、これ以上誓君に背負わせたくない。
だから、これが今の…今のあたしに言える、気持ちの全て。
「……ふっ。」
突然、誓君が吹き出した。
「え…ええ…何かおかしかった…?」
「ごめん…ふふっ…乃梨子…ごめん。」
「??なんで謝るの…??」
「はははは。」
「え…えぇ…おかしい…?」
「あ…ああ、ごめん。乃梨子、可愛いなと思って。」
「え…えっ?あたし、立ち上がって力説しただけ…だよね…?どこに可愛い要素が…誓君帰国して少し忙しかったから疲れてるとか…」
「心の声ダダ漏れ(笑)」
「はっ…」
ともあれ…
「邪魔しないように、先に行ってコッソリ待っておこう。」
誓君が、笑顔でそう提案して。
「急な仕事が入ったから、近い内にカナダに行って来るよ。」
翌朝、誓君がみんなに言った。
そして…
「何だか夢みたい。」
リトルベニスに到着してすぐ。
あたしは青空を見上げて言った。
「何が?」
「誓君とここに居る事。」
「自分から誘ったクセに。」
「そー…それはそうだけどっ。」
いつも一人で訪れてた場所。
ここに…誓君と一緒に来れるなんて。
お義父さんは…きっと紺野様に会いに行かれるんだ。
それを邪魔するつもりはない。
ただ本当に、純粋に心配なだけ。
あたしが心配したって…あたしがここに来たからって…
全てが上手くいくわけじゃない。
でも、ここまで関わってしまったからには…見届けたい。
あのご兄弟の再会を。
「これからどうする?お義母さん達が来るのは明日だよね。」
あたしが時計を見て言うと。
「…夕食まで別行動でもいいかな?」
「え?」
誓君の思わぬ提案。
自由行動?
「実は…祖母の好きだった紅茶のお店が、近くにあるみたいで。」
「えーっ?おばあさまの?じゃあ…」
「うん。乃梨子、お願いしていい?」
「え?お願い…?」
「はい、これお店の名前。」
誓君は、そう言って…あたしに紙を手渡した。
「…誓君は?…」
上目遣いで見上げると、誓君は首を傾げて小さく笑って。
「実はさ…ノン君には正直に言っちゃったんだよね。そしたらお土産せがまれちゃって。」
少し距離を詰めて、小声で言った。
「…お土産…一緒に買いに行っちゃダメなの?」
「そこは察して欲しい…」
「…察して…?…男の人が一人で買いに行かなきゃいけないお土産…それはつまり……はっ…!!ノ…ノン君てば…っ…!!いい歳した叔父にそんな物…っ…」
「あはは。乃梨子、ダダ漏れだってば。」
「ひゃあ…」
頭の中を覗かれてる気がして、両手で頭を抱え込んだ。
あたしのダダ漏れは今に始まった事じゃないけど、このクセがとびきり恨めしい。
こうして…あたし達はホテルにチェックインを済ませた後。
「じゃ、用事が済んだら連絡取り合おう。」
「うん。じゃ、行って来ます。」
お互いの目的のために。
背中を向けて歩き始めた。
〇高原夏希
「んーっ!!懐かしいっ!!」」
笑顔のさくらに和まされてはいるが…俺の心は揺れていた。
リトルベニスにやって来たのは、兄に会うため。
だが、乃梨子から聞いた兄は…高原の姓を捨て、母方の『紺野』を名乗っていた。
…そんな兄に会っていいものかどうか…
ここまで来て、怖気付いていた。
「さ、行っちゃう?」
そう言われて、歩き始めたものの…
「さくら。」
俺は足を止めた。
「ん?」
「今日は二人で思い出巡りをしないか?」
「…思い出巡り?」
さくらは少しキョトンとして俺を見上げたが。
「うん。いいよ。」
すぐに笑顔になって。
「あのお店、まだあるかなあ?」
河の向こうに視線を向けた。
「この辺は老舗ばかりだ。よほどの事がない限り、潰れないだろ。」
…そうだ。
俺達が式を挙げたのは、一年前。
街並みも変わっていない。
あの時すでに、兄はこの街に居た事になる。
知らなかったとは言え…
「……」
変な焦りと後悔が入り混じる。
城と家族、自分の身体にばかり気を取られて…行方が分からなくなっていた兄の事を蔑ろにしてしまってた。
「…なっちゃん?」
「あ、いや…悪い…」
立ち止まった俺に、さくらが怪訝そうな顔をした後。
「もう秘密はなーしっ。」
両手で俺の頬を挟んだ。
「……」
「何か気になってるんでしょ?話して?」
「……」
小さく溜息を吐いて、口元を緩める。
全く…さくらには…
「…兄をほったらかしてた。」
「うん。」
「…なのに…」
「なのに?」
「……」
「今は『紺野』さんになってるお兄さんに、会っていいかどうか悩んでるの?」
「……おまえはー…ついに人の心まで読めるように?」
さくらの肩を引き寄せて、腕の中に閉じ込める。
「何言ってんの?そんなわけないじゃない。」
「…さっきから言い当てられてばかりだ…」
「それは、なっちゃんの感情が顔に出まくりだからだよっ。」
「…乃梨子のダダ漏れ癖が笑えなくなったな…」
小さな溜息を落とすと、さくらは身をよじって俺を見上げて。
「分かりやすくていいじゃない。なっちゃん、口に出して言えないんだから。」
とても…とても優しい笑顔で言ってくれた。
…ああ。
いいんだ。
そう思わせてくれる笑顔に、つい…泣きそうになる。
「…俺は今まで…たくさん失敗をして来た。」
「そう?」
「ああ…後悔や懺悔は数えきれないほどある…」
「そんなの、あたしにだって。」
「…こうして兄に会いに来たのも…俺は常に誰かに許して欲しいと思っているのかもしれない…そんな甘えのような気がしてならない…」
「…なっちゃん。」
さくらが背伸びをして、俺の首に腕を回した。
「大丈夫。何も怖くないよ。」
「…怖くないか…」
「うん。だって、なっちゃんはお兄さんに久しぶりに会いに来ただけ。許すとか許されないとかじゃないの。」
「…そうか…」
「それに、甘えだとしてもいいじゃない。なっちゃん、そろそろ自分を甘やかすべきだよ。」
「……」
「もっともっと自分を甘やかして、スッキリした気持ちで新作に挑もうよ。それが、スケジュール総入れ替えの償いっ!!」
ギュッ。
音が聞こえそうなほど、きつく抱きしめられた。
それと同時に、さくらの言葉と声が…驚くほど体中を駆け巡った気がした。
「…それもそうか。」
「それもそうだよ。」
「ふっ。」
「ふふっ。」
「スケジュール総入れ替えの償いは、高くつきそうだ。」
腕を外して、今度は俺がさくらの腰に腕を回す。
華奢なさくらは、不思議な事に…昔と全く変わらない。
「そうだね…世界に発信して、一位獲っちゃわないとね。」
「…大きく出たな…」
「当たり前。ニッキーとシェリーのアルバムだよ?売れないわけなーいっ。」
チュッ
跳び付くように、頬に唇を押し当てられて。
「さっ、お店に行く?それとも…?」
俺から距離を取って、右と左に指を向けるさくらに。
「…兄貴に花は似合わないかな?」
俺は、そばにある花屋を指差した。
…決めた。
俺は…もう迷わない。
甘いと罵られてもいい。
残りの人生を…
都合のいいように、笑って生きる。
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