第45話 愛対す




 ———————そして、二人は再開した。

 決戦の地で、雌雄は向かい合う。

 交わる事のなかった視線が交わり、離れた身体が触れ合う。

 月明かりをスポットライトに、数々の戦いの熱が残るこのコロッセオで、最後の戦いが始まる。


 大魔道祭決勝。

 アシェッタvsリューリ。

 喪失者と、龍の道を往く男の戦い。



「ようやく、ここまで来た。」

 感慨深そうにリューリが呟く。

 だが、今のアシェッタの耳にそんな言葉は届いていないだろう。

 彼女の髪は乱れ、目は血走り、カタカタと震えている。顔色も悪い。

「リューリ、私が勝ったら私のモノになって。何でも言うこと聞かせてあげる。」

 震えながら、アシェッタは呟いた。

 怯える様に、彼女は自分の肩を抱いている。

 その声を聞いたリューリは今すぐにでも彼女を抱き締めたくなったが、今の己にその資格は無いと思い手を下ろした。

 そして、瞳を閉じて彼女の言葉に答える。


「それでもいい。お前が何でも言う事を聞いてくれるより、俺がお前の言うことを何でも聞くってんなら、そっちのがずっといい。」

 安堵の吐息と共に紡がれたその言葉に、アシェッタはようやく震えを止めた。

「だけど——————」

 ビクリとアシェッタの肩が震える。

 リューリはそれでも視線を逸らさず言った。


「俺は強くなった。だから、お前を倒して、お前の隣を歩く。お前の隣にに居ていい俺になる。その為に、ここまで来たんだ。」


 強い意志が込められた言葉が、今一度アシェッタにぶつけられる。

 ゴクリと唾を飲み、少し息をしてアシェッタは震えを止めた。


「なら、示して。力で、戦いで。もし私に勝てないようなら——————私の手の中でずっとずっとずっと愛してあげるから……」


 顔に手を当て、アシェッタはその瞳を覗かせる。

 サファイアは燃えていた。

 その瞳の輝きに、リューリはアシェッタの心を知る。

 それは炎だ。

 熱く燃え、触れたものを決して逃さない。


 ——————好都合だ。俺も、今日ばかりは逃げるつもりはねぇ。

 だとすれば、俺の心も炎なのかな……アシェッタ……

 絡み合う二人の視線は熱を帯び、炎になる。

 熱が生きとし生けるものを動かすのなら、高熱である炎が呼び起こすものは決まっている。

 最高の動き——————即ち、戦い。

 炎は臨界点を超え、待ち侘びた戦いがついに始まった。




「私とリューリの間に、遠慮なんて要らないよねっ!」

 アシェッタは初手から大技を放つ。

 掲げた手のひらに炎を集め、握り潰す。炎は、鋭い槍となって放たれた。

 目にも止まらぬ速さのそれを、リューリは"視力"ではなく"勘"で躱した。

 飛び上がったリューリ。そこに、アシェッタの拳が叩き込まれる!

 それは、重い音を立ててリューリの顔面にめり込んだ。


「スカーズ……」

 すかさず、リューリが詠唱を開始する。

 受けたダメージを魔法に変換する詠唱。

 しかし、それを許すアシェッタではない。

「乱風脚ッ!」

 嵐を纏った右脚が、リューリを地面へと叩き付けた。


「がはっ!」

 内蔵が幾つか潰れたのだろう。リューリは血を吐き出す。

 コロッセオの地面は水捌けが悪い。

 だからなのかは知らないが、辺りは激戦の数々で流れた血に塗れていた。

 リューリの吐いた血も、血の泥沼へと消えてゆく。

 立ちあがろうと手を付けば、血で湿った地面はぐっしょりとしていて、指が少し沈んだ。


「まだまだ……この中に沈むには早い!」

「私の手に、落ちろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 天空から、踵が落とされる。

 リューリはそれを転がる様に避けると、弾けた血泥が雨を降らせた。

 地獄のような光景であったが、それを見たリューリは達成感を感じていた。

 この夥しい血みどろが、これまで超えてきた戦いの価値を、意味を、体現しているからだ。


「どうだよアシェッタ……俺はこんな所まで来たぜ……」

 手のひらを上に向け、血の雨を掬う。

 それはこぽこぽと泡立つと、紅蓮の炎となってリューリの拳に纏われる。

 そして、リューリは炎の拳を振るった。

 風を切りながら、それでも炎は拳で揺らめく。

 それに対してアシェッタは、最初から"決めていた"行動を取る。


「えいっ!」

 リューリの拳が最高威力でぶつかる前に、アシェッタはその拳を頭突きしたのだ。

 中途半端な位置で力が掛かってしまい、リューリの拳は音を立てて砕け、アシェッタは額を切った。

 額から血が流れると、アシェッタはその血で手を湿らせ、前髪を掻き上げる。


「リューリ、私リューリの事いっぱい考えてるよ。だからどんな事したいのか分かる。リューリも、もっと私を考えなきゃ、勝てない。」

 指と前髪の隙間から、アシェッタの瞳がリューリを射抜く。

 猛禽類のように鋭い目つき。けれどそこに美しさを見たリューリは一瞬目を奪われた。

「随分、親切だな……」

「リューリには甘々だからね」

「んじゃ、遠慮せずに。」

 リューリの身体中、傷のある場所から、血と同時に炎が溢れ出した。


「スカーズ・スペル『炎魔神イフリート』……この痛みでこそ、俺は実感を手に入れた!」

 痛みを炎に変えるスカーズ・スペル。

 それを自らが纏うのならば、単純に痛みは二倍となる。

 だが、リューリはリスクの先にあるものを見ていた。


「味わってあげるわ……リューリ!」

 アシェッタが大地を強く踏み締めると、アシェッタの方に吸い込まれるような風が吹いた。

 リューリの纏った炎が風で剥がされ、奪われてゆく。

 強風に煽られ、足も取られそうだ。

 しかし、リューリの炎は無くならない。

 幾度剥がされようとも、己の内より炎は湧き上がる。

「そんなに味わいたいなら、全開の炎をくれてやる!」

 リューリは湧き上がる炎を爆発的に増加させた。

 そして炎は、アシェッタの風に運ばれていく。

 (自滅するか……風を解除するか……)

 機を探るリューリの鋭い視線。

 アシェッタは、余裕の笑みを返した。


「言ったでしょ、味わってあげるって!」

 炎が、アシェッタに喰らい付いた。

 リューリは動けない。アシェッタの風は、未だ吹いている。

 そして、風の中心でアシェッタは、浴びるように炎を受けていた。

 (肌を引き裂く痛み一つ一つから、リューリの想いを感じる……

 痛み、苦痛、それだけじゃない。

 憧れと……これは……ふふっ、リューリ、私の事をこんなにも想ってくれていたんだね……)

 頬に手を当て、心底楽しそうに笑うアシェッタ。

 そして、風は強まる。


「あははっ、リューリったら私のこと好きすぎだよぉ〜っ! 尚更欲しくなっちゃった♪」

「いいや、俺はこんなもんじゃねぇ。もっと、もっと俺を傷付けろアシェッタ……お前への想いで、俺はお前に勝つ!」

 スカーズ・スペルの炎が起こす蜃気楼。

 焼けた夜の空気。

 そして、恋人が互いの吐息を絡めるように、炎は、炎は——————


「『お前への想いでお前に勝つ』ぅ? それはちょっと、見くびり過ぎだよ。だから、お仕置き。」

 そう言って、アシェッタもスカーズ・スペルを詠唱し、自らの痛みを風に混ぜた。

 風に乗り、ラブレターがリューリに届く。

 炎は蛇のようにうねり、リューリに絡み付いた。


「ぐああああああああああああああ!!!」

 胸を掻き毟りたくなるような、"苦しさ"がリューリを襲う。

 炎に焼かれる"痛み"とは似て非なる、熱病のような己の内から来る"苦しさ"。

 (ぐっ……なるほど、これがアシェッタの……

 これは、俺が弱かったせいでアシェッタに与えてしまった苦しみだ。

 どうしようもない喪失……俺にも覚えがある。)


「一人にさせて悪かったな……でも、だからこそ、俺はお前に勝たなくちゃならねぇ!」

 リューリは足を浮かせ、嵐の中心に飛び込んだ。

 (接近すれば力負け、離れ過ぎれば魔力負け。ならば勝機は、付かず離れずの間合いにあるッ!)

 そして、貫く地面に蹴りを放ち、足を楔のように地面に突き刺してアシェッタの嵐に抗う。

 大胆で繊細な足運び、まるでダンスだ。

 ——————攻撃は二の次でいい。

 最重要の一撃だけ見逃さず、間合いを保ってチャンスを伺う。


「ふふっ、もっと近くに来てよ」

 アシェッタの攻撃が始まった。

 抜き手のラッシュ。それは剣よりもよく切れ、槍よりも鋭い。

 リューリは最低限の動作で致命傷だけ躱していく。

 肩の肉が、脇腹が、腿が、削げてゆく。

 血が、炎が、リューリの身体から流れる。

 しかし、そのスピードにも目が慣れた。


「へへっ、俺だって、お前の事を見てるんだぜ……」

 リューリはアシェッタの腕を掴んだ。

「いいの? リューリの事振り回しちゃうよ?」

「いつもの事さ」

「それもそうだ、ねっ!」

 めちゃくちゃに体が振り回された後、リューリは上空へと吹っ飛ばされた

 ——————なぁ、覚えてるか……?

 ドラッグとお前がマッチングして、トーナメントを有耶無耶にする為にコロッセオをぶっ壊した時……


「人の理不尽や矛盾をぶっ壊す。その力に、俺は"今のお前"に惚れたんだ!」


 そう、そこだったんだ。

 あの時答えられなかったアシェッタに求めているもの。

 アシェッタならば、理不尽や矛盾、不条理の吹き溜まりのような俺の人生をぶっ壊して解決してくれるんじゃないかって。

 でも、あの時お前の顔を見て分かった。

 救われるだけじゃ救われねぇんだ。

 吹き溜まりに溜まった悪いものを全てぶっ壊してもらっても、吹き溜まりから抜け出せなくてはまた悪いものが溜まる。

 それじゃあ泥沼にアシェッタを引き摺り込むだけだ。

 だからこそ、俺が、俺自身がアシェッタに追い付き、共に並んで生きられるようになった時、その時こそ、俺はこの吹き溜まりを抜け出し、幸せに向かっていける。

 俺も、お前のように——————




 リューリは吹っ飛ばされた先——————コロッセオを覆う不可視のバリアを蹴った!

「ジェットストーム!」

 リューリはジェット噴射で加速落下しながら右腕を突き出す。

「砕けた右腕で来るんだ……それならっ!」

 アシェッタが月を掴むように腕を振り上げた。

 すると、地面から四本の槍がリューリに向かって突き出した。


「今度は心の方を砕いてあげる……」

「それはどうかな!」

 リューリの周りに半透明の幾何学模様が光る。

 それはジェット噴射の魔法であり、ジェット噴射が増えた事でリューリは更に加速した。

「嘘っ!? 多属性魔法フュージョンマジック並列展開デュアルスペルだなんて……」

「男児三日会わざればなんとやらだ。見せ付けてやるぜ……強くなった俺の姿!」

 空中で更に加速した事で、リューリは四本槍を潜り抜け、四本槍はそれぞれにぶつかって破砕。

 リューリの拳が、アシェッタに届いた——————


炎魔神イフリート呪撃カースドッ!」

 二人の身体が燃え上がる。

 それはリューリの秘策。

 自身のダメージ・消耗状況を、相手にも押し付ける痛み分けの下法魔術。

 超常の存在であるアシェッタに、人の身で勝つ唯一の方法。

 耐性や防御力を無視し、自分と同じボロ雑巾まで貶める。

 そうして初めて、リューリはアシェッタと五分の勝負ができるのだ。


 (本当に、本当にやるね……リューリ……力で捩じ伏せるつもりだったのに、ここまで魔力を持ってかれたらもう大技は打てないよ……)

 アシェッタから傲慢と余裕が消え、頬に一筋の汗が流れる。

 お互いにボロボロ。

 しかし、アシェッタは知っている。リューリはボロボロになってからが本当に強いという事を。

 五分の条件であのリューリと戦うなど、考えるだけで恐ろしい。


 ——————恐ろしい、か……

 思えば、あの時も、あの時も、私はリューリを怖がっていたのかも知れない。

 彼の反応を、彼から拒絶される事を。

 だから私はリューリを追う事が出来なかった。夏の間、孤独に膝を抱え続けた。

 今日このトーナメントに来たのだって、優勝して、もしかしたらリューリが声を掛けてくれるんじゃないかって思ったからで、自分からリューリに向かっていく勇気は無かった。


「でも、今の私は違う! 勝って、リューリを手に入れるんだッ!」


 アシェッタは震える腕で魔法を放つ。

 小さいが、強く熱い炎の魔法。

 リューリも何かしようとしていたが、アシェッタの魔法の方が早い。

「がはっ!」

 ボディブローのように突き刺さったアシェッタの炎弾が、リューリの足を浮かせる。

 だが、リューリは被弾の瞬間、己の魔法を完成させていた。

「下法魔術……自分喰らいッ!」

 一瞬前までリューリが立っていた場所から、ドス黒い氷柱がリューリに向かって突き出す。

 それは、追撃の為にリューリに近付いていたアシェッタの脇腹を抉った。

「あ……がっ……」

 ぶっ飛んだリューリが着地に失敗し地面に叩き付けられるのと、アシェッタが膝をつくのは同時だった。

 二人とも、最早歩けはしない。

 だが——————


「ウインドブラストッ!」

「ファイヤバーン!」

 魔法をあえて自らに当て、吹っ飛ばされる事で相手に近づく。

 こんな戦い方をするヤツと、それをずっと見てきたヤツ。

 戦いは既に意地の張り合いの領域へと突入していた。

 ならばこそ、己の愛に誓い、この相手に負けることは許されない。

 リューリはアシェッタの、アシェッタはリューリの胸ぐらを掴んだ。

 そして、キスよりも力強い頭突きを放つ。


「ぐ……ぅっ……アシェッタ……っ」

「リューリっ、リューリっ、リューリっ……」

 愛を確かめ合うように、互いが互いを傷付け合う。

 愛に応えるように、消し飛びそうな意識を奮い立たせる。

 掴んだ相手はもう離さない。

 瞳は輝きを取り戻し、もう最愛の相手以外映さない。

 全てが終わるまで、二人は拳を振るい続けた。


「リューリっ、私っ、こんなにも……」

「アシェッタ、俺ぁこんなにも……」

 血だらけの顔で、血の泥沼の中心で。


「リューリが欲しい!」

「強くなった!」


 二人は、愛を叫んだ。

 そして、どちらかが堪らなくなって、相手を抱きしめた。

 優しくはない。爪を立てて、相手に自分を刻み付けるように。

 リューリはその痛みで、実感を得た。

 アシェッタはその痛みで、意味を知った。


 そして二人は、混ざらないままに一つになった。

 決着は意味を忘却し、気づけば二人、その望みを果たしていた。




「リューリ、強くなったね……」

「ああ、アシェッタ、何でも任せてくれよ……」

 蓮の花が咲き誇る実在しない場所で、アシェッタはリューリに膝枕をしてその頭を撫でてあげていた。

 リューリは満足そうに瞳を閉じ、安らかな寝息を立てている。

 アシェッタは、そんなリューリを抱き締めると、うっとりとした表情になった。

 木々に囲まれた二人だけの泥沼。

 蓮の葉の上で眠る二人に、月光は優しく降り注ぎ続けた。



      リューリvsアシェッタ 決着。

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